2009/08/31

モスキート音

猫避け,ねずみ避けの機械から発せられる高周波音,通称モスキート音は,かつては人間には聞こえないなんていわれていたけれど,実は若者には聞こえているのだということが最近わかったらしい。そこで,若者達がたむろする公園などでは若者除けとしてモスキート音を流しているところもあるのだそうだ。

僕はこの猫避けの耳障りな音が聞こえてくることがあって,聞こえてくるたびに嫌な気分になっていたのだが,どうやら,ネコさんたちに比べればまだましなようだ。残念ながら僕には全ての音が聞こえていない。一部分だけ聞こえているようなのだ。

聞こえるか聞こえないかと聞かれれば聞こえると答える。そこで問いをやめてしまったのが聞こえない音があるということに気づかなかった原因だ。ただでさえ,聞こえないものが存在するなんてわからない。

最初,人間には聞こえない音だと言い張った人たちは,きっと誰も聞こえなかったのだろう。その人たちにとって聞こえるということを伝えるのは難しかったろうと思う。

感じることが出来ないものの存在をどうやって知るというのだ。

たぶん,考えるしかないのだと思う。

コギトエルゴスム。

哲学者が芸術家を越えた瞬間。


芸術家は自分達の現実を表現したに過ぎない。
哲学者は非現実を考え出したのだ。

2009/08/30

デートにおいて、恋愛対象外だと感じる男性の行動7パターン

ついこのサイトが気になってみてしまった。

こういうのを気にしている時点で,今どういう状況下はご存知の通り。

ま,思い当たるものが多すぎてどうしようもないわけですが(1位には該当しないんじゃないかと思う。雑だけど乱暴じゃないもんね),一番気になったのは6位。

【6位】支払いの際、「割り勘でいい?」と言ってきた。

断ることなく割り勘にするのはいいのかな。。。よくないよねきっと。


実は,サイトが気になってみてしまったというよりも,このサイトが紹介されていたMSNニュースに載っていた写真が可愛い女の子だったから。

sigh...

2009/08/29

ハリール・ジブラーンの詩



きっかけはもう忘れてしまった。たぶん,神谷さんが訳しているというのに引っかかったのだと思う。やっぱりというべきか,こういった文庫は本屋には置いていないので注文した。お盆を挟んだので1週間近く待ってしまった。

いくつか,くいっと心を押す詩があった。

例えば「挫折」

挫折よ,わが挫折,孤独,孤高よ
あなたはあまたの勝利よりも大切なもの,
この世のあらゆる栄よりも心に甘いもの。

挫折よ,わが挫折,自覚,挑戦よ
あなたゆえに私はまだ若く足早なのに気づき,
名誉の桂冠に捉えられるべきでないのを知る。
・・・

また「子どもについて」

・・・
あなたがたは彼らのからだを宿すことは出来るが,
彼らの魂を宿すことは出来ない,
なぜなら彼らの魂は明日の家に住んでおり,
あなた方はその家を夢にさえ訪れられないから。
あなた方は彼らのようになろうと努めうるが,
彼を自分のようにならせようとしてはならない。
なぜなら生命はうしろへ退くことはなく
いつまでも昨日のところに
うろうろ ぐずぐず してはいないのだ。
・・・

薄っぺらい本ですが,見通しのいい景色が広がりました。あたりだったといえるでしょう。

2009/08/28

草木塔



山頭火という名前は全然知らなかったわけだが,というか,ずっとラーメン屋だと思っていた。いちおう,ラーメン屋もあるわけだが,たぶん元を辿ればこの詩人なのだと思う。種田山頭火。どうも有名な人のようで,その破天荒な人生と,これまた破天荒な作品群が一部の人たちの心を捉えて離さないのだと思う。

この人の草木塔は,実は,青空文庫に載っている作品を携帯に入れて読んだ。初めて携帯で本を一冊読んだわけだ。

読む前は,文庫本になれている自分にとっては非常に読みにく,最初の数日で飽きてしまうだろうと思っていた。しかし,すぐに取り出せる便利さと,意外と読みやすい携帯ソフトだったのもあってつるつると読み終えてしまった。携帯を横にして読むと,山頭火の詩がちょうど1行分になったも幸いしたのかもしれない。

この人の詩,とにかくすざまじいのである。たとえば

まつすぐな道でさみしい
すべつてころんで山がひつそり
よい湯からよい月へ出た
人を見送りひとりでかへるぬかるみ
ひつそり咲いて散ります


なんていう詩がずらっと並んでいるわけである。

たった一行で風が抜けてゆくような感じがする。

ここが青空文庫のリンク。

2009/08/27

新しい本の時代

近々出版業界が大きく変わるだろう。新しい本の時代が来る。いや,来なければならないのだと思う。電子データで本を読む時代だ。例えば,アメリカのKindleのような,iphoneや携帯でも読める本が主流になっていくだろう。こういった本はもうすでに増えてきているようだ。
国立国会図書館がデータを売るようにするそうだ。それが始まれば,ちょっと面白いことになりそうだ。

ブログを本にしたブログ本が一時期流行した。今や一ジャンルを築いているのかもしれない。僕は読んだことがないのだが,結局のところ,今まで雑誌に連載したものを本にしていたのが,ブログに連載していたものを本にしているだけなので,大差ないのだと思う。

携帯用ブログから発展したものというのは,新しい表現方法かもしれない。しかし,たった17文字で世界を表そうとする俳句を知っている我々からすれば,携帯の画面に表示される文字数はもっと多い。

今まであったものを全て取り込める変化,そういったものが起こるのだったら,それは非常に魅力的に見える。まあ,ありえないのだろうけれど。CDが出来ても完全にはレコードに取って代われなかったように。

でも何冊でも好きな本を持ち歩けて,読めるというのならそれは素晴らしい話だと思う。早くそういう時代来ないかな。

2009/08/26

故障中・ジョンメイヤー

IN REPAIR

この部屋,やたらと影が長いなあ
朝までも長いんだよなあ
考えても突き当りばかり
元に戻すには手順が多すぎるよ
いや~こんなややこしいことになるなんてきっと正しい解き方じゃないんだよね,覚悟しときゃよかったなあ
でもこれだって思ったんだもん
これぐらい想定の範囲内だよ
故障中,修理中って貼紙でも貼って許してもらおう

Too many shadows in my room
Too many hours in this midnight
Too many corners in my mind
So much to do to set my heart right
Oh it's taking so long i could be wrong, i could be ready
Oh but if i take my heart's advice
I should assume it's still unsteady
I am in repair, i am in repair


行き止まりの塀の上にしばしたたずんで
いっそのこと風に吹かれて落ちて行きたいと思う
そしたら昔に戻れそうな気がするよ
おまけにもうちょっとツイてそうな気がする
変すぎる絶対どこかで間違えたんだ,あ~覚悟してたとはいえ
自分で選んだんだから
ちょっと面倒なくらい我慢しなきゃ
でも修理に暫く時間がかかりますよって言わなきゃ

Stood on the corner for a while
To wait for the wind to blow down on me
Hoping it takes with it my old ways
And brings some brand new luck upon me
Oh it's taking so long i could be wrong, i could be ready
Oh but if i take my heart's advice
I should assume it's still unsteady
I am in repair, i am in repair

結局のところ公園でブラブラしちゃうんだよねこういう時って
足元でちょんちょん跳ねてるスズメが
あの時まで連れて戻ってくれればいいのに
そしたら僕のことを友達だって胸張っていえるのにね

And now i'm walking in the park
All of the birds they dance below me
Maybe when things turn green again
It will be good to say you know me

Oh it's taking so long i could be wrong, i could be ready
Oh but if i take my heart's advice
I should assume it's still unsteady
Oh i'm never really ready, yeah, oh, i'm never really ready
I'm in repair, i'm not together but i'm getting there
I'm in repair, i'm not together but i'm getting there
I'm in repair, i'm not together but i'm getting there
I'm in repair, i'm not together but i'm getting there
I'm in repair, i'm not together but i'm getting there
I'm in repair, i'm not together but i'm getting there

2009/08/25

どちらかというと村上だろう

世界陸上をちょくちょく見てしまった。

きっかけは風呂上がりにテレビをつけた時にたまたまやっていた女子走り高跳びだ。

フリードリヒ対ブラシッチ。
ぬぼーっとしたブラシッチの顔と,煩そうな白金髪のフリードリヒ。この対照的な見た目だけでもかなり面白い。

女子棒高跳び決勝をやっているとき,ちょうどボルトが世界新を出して競技場は沸いていた。集中できなくなったフリードリヒが2度失敗。3回目を飛ぶ前に口に人差し指を立てた。その瞬間,一瞬で,スタジアムから音が消えた。ジャンプ,成功,歓喜の渦。

スポーツが与える感動というのはすごいものだと,というか,なんというか単純に鳥肌が立ってしまった。それまでの2回は全然だめだったのに3回目突如成功するのもそうだし,一瞬で何万の観衆を黙らせるのもそうだし,歓喜の渦に巻き込むのもそうだ。

これ以来少しニュースを見るようになったところ,結構面白いのである。

人類の限界へ挑むボルト。その昔,世界の科学者が集まって,人類の出せる100メートル走の限界を話し合った。9秒6が限界だという結論が出た。しかし,ボルトは簡単に抜き去った。なんていう,いかにも「科学者」っていったい何なのだと思わせるような笑える話題もあった。

日本人選手も頑張っているようだった。

僕のヒットは村上のやり投げ銅メダルだろう。日本人初というのがやっぱりすごい。村上というと,なんとなく森三中の村上が頭に浮かんでしまって,そのあと村上選手をみると,なんとなく女に見えてきてしまうのだが実は男なのである。

それはともかく,僕はその競技中のコメンテーターの言葉とその後の村上の投擲に感動してしまった。コメンテーターは村上が投擲をする前,「村上選手はまだまだ実力が足りないのでメダルは取れないでしょう。だから,変に力んだりしないで,自分の力を最大限に発揮することに専念してもらいたいですね。」と言った。確かにそれまでの成績を見る限り,そのコメントは正しいように見えた。

ところが,直後の投擲で,突如スパーンっとメダル圏の距離をたたき出してしまったのである。コメンテータ,「おーーーーし,いったーーー。」

まさに「ぬお,いった」という感じなのである。「ありえねー」という感じというか,「へ?」という感じというか,予想外なのだ。

そのコメンテーター,投擲直後は入賞間違えなしと感動していたのが,メダル確定で感極まっていた。それはそうだよね。世代を超えて世界に挑戦してきたメダルが,目の前で決まったんだから。


いい意味で期待を裏切るというのが,スポーツのいいところなのだろう。エンディングは自分が決めるわけではない。

そんな風に思いました。


見逃しても,今はサイトで見返せる。やっぱり世の中便利になっている。
http://www.tbs.co.jp/seriku/

2009/08/24

ある帰り道での出来事

蛙が跳ねて蝉が落ちて裸の男が駅にいて,電車の中でコオロギ彷徨。

2009/08/23

蝉バリア

そろそろ残暑も終わりが近づき,蝉の声も元気がなくなりつつありますが,蝉が大合唱している場所があります。

その真中に立つと,自分のまわりだけ,蝉が鳴かなくなり,まるで丸いバリアの中にいるような気分になるわけです。

蝉バリア。

以上。

2009/08/22

あったらいいながある

ミニストップ!

いいキャッチフレーズだ。と,ふと思い出した。

2009/08/21

書き間違え

苦手と書こうと思って,若手になった。

2009/08/20

twitter

ツイッターというのが流行しているらしいというのを耳にして,少しだけやってみた。もうほとんど使わなくなってしまったが。何が面白いのかよくわからないのだ。

一回だけ面白いと思ったのは,地震があったとき。みんないっせいに「自身だー」「ゆレター」「びっくりしたー」と呟き始めたのだ。まるで,小鳥のさえずりのように。ツイッターという名前の由来がよくわかり,そして,飽きた。


それでも時折呟いてみる。誰も聞いていないと思いながら。

2009/08/19

となりのクレーマー



文章はへたくそ,そして事例もいまいち,はっきりしないことが多い。
学んだことといえば,言葉に気をつける,短期解決を目指すと足元を見られるので気をつける,一度楽に済ませようとすると次々と狙われる,かな。

1冊50円で売っている理由がわかった気がする。

2009/08/18

金大中が死んだ

金大中が死んだ。

「きむでじゅん」と入力しても正しく変換されてさらに少しだけ驚いた。


日韓友好,南北朝鮮の友好にも貢献した。政治家が世の中をいい方向に持っていける,そんな夢を与えてくれる政治家だったんじゃないかと思う。

彼のことを詳しく知っているわけではないんだけれど。

彼の葬儀に北朝鮮の使節が来るかもしれないらしい。ひょっとしたら南北交渉再開のきっかけになるかもしれないという予想があったそうだ。死してなお,世の中を動かす。

2009/08/17

メーヤウ

早稲田にあった,衝撃的辛さで有名なカレー屋。

今日,ちょっとした用で早稲田に行くことがあったので4時頃,客の誰も居ないメーヤウに行った。

チキンな僕は,一番辛いチキンを避けて,二番目に辛いポークにしたのだが,普通の辛さだった。伊達に長生きしたわけじゃないぜ。ポークぐらいの辛さ(つらさ)なら,耐えられる。

なんて思って元気になって,1冊50円の古本をどっさり買って,くしゃみしながら電車に乗って,あまりの重さにへたり込んだ。

2009/08/16

文化

私達が「文化」という言葉を使うのは,合理的な説明が出来ないときである。

その典型は「不倫は文化だ」という,かの芸能人の発言であろう。今では彼はずいぶん年の差のある人と付き合っているようだが,年の差なんて気にしないのも光源氏の時代から続く「文化」だ。仮にうまくいかなかった場合きっとジェネレーションギャップ,すなわち世代間の文化の違いを理由にすることになるであろう。

とりあえず「文化」といっておけば,あとはどうとでも説明がつくのである。

人から批判されたら,「これは文化だ」といおう。これは某芸能人他多数によって作り出された「文化」だ。

2009/08/14

つくつくぼうし

つくつくぼうしの鳴き声を聞いていると,ラピュタのゴリアテという飛行船が出てくるシーンを思い出してしまう。「つくつくぼーし」の「ぼーし」の部分が,飛行船の「チューンチューン」という音に似ているからだと思う。

だから,つくつくぼうしが鳴いているとなんとなく近未来的だ。

2009/08/13

犯人探し

何か問題が生じたとき,我々は対処法を探るためと称して,原因を探す。

多くの場合は,複数の要因が重なり合っている。

しかし,我々はそんな複雑な話に付き合っている余裕はない。

犯人を一人決め,それを排除することによって心の安静を得る。

それでもうまくいくのは,どこかで誰かがなんとか調整しているからだろう。しかし,そういった複雑な話はなかなか耳に入ってこない。

自分ひとりに起きたことであっても似たようなものだ。何かを切り捨て,そして色々と調整して,最後に「気合だ!」と叫んで済ませる。記憶には「気合だ!」という言葉しか残らない。

2009/08/12

アシモフの雑学コレクション



コロンブスはイタリア人。スペイン語読みではコロンブスだが,イタリア語読みだとコロンボ。

なんていうようなくだらないけれど,ちょっぴり子供の頃親しんだ懐かしい有名人達のエピソードなどがちりばめられている。一つ一つのエピソードが数行になっているのもよい。

2009/08/11

年代当てクイズ

パスモの残額が2000円前後になると急にわくわくしてくる。1901だったら日露戦争,1991だったらソ連崩壊,とか,その残額の年に起きた事件を何か思い出せるかどうか,思い出しゲーム。

消しゴム10円

近くのOfficeDepoが閉店するということで,閉店セールをやっている。7月末あたりからセールを始めており,最初1割引だったのが閉店が近づくにつれ割引率がアップ,しかし品数も減る,という,どきどきわくわくの毎日。どこで買うかが難しい。


今日いったら,消しゴムが10円で売っていた。ドイツの消しゴム。つい買ってしまったのだが,よくよく考えると特に必要なものでもない。

ま,いっか。10円だし。

と,思わせるあたりがうまいなあ,と思う。

新しいサイトということで,また広告をちょっと載せてみます。あんまり見に来る人いないから意味ないだろうけど。ちょっとずつ改良中。拍手機能も追加。写真も一番下に移動。

2009/08/09

多数決

みんなが正しいというようになったら,それはもうおわりのはじまりだ。だが,おわりのはじまりからおわりのおわりまでは結構時間がかかる。巨艦が沈むのに時間がかかるように。

気付いたときにはもう遅い。それが多くの場合だ。
逃げ出すのが早すぎる。これが,残りのほとんど。

いずれにしろ,助かるには長く泳がなければならない。

ふむ,先に泳いだほうが楽しそうだな。

2009/08/08

フリガナ

先日からNokiaをなんとか攻略しようと挑戦しては敗退すること数知れず,電話とメールが出来ればいいという携帯の基本を見失いつつある今日この頃でございます。

しかし今日,まあ,携帯の使い方とは無関係のところで意外な発見がありました。英語版のソフトでアドレス帳を管理しようとしたところ,フリガナを入力する欄がない。そう,アルファベットを使う人たちにはフリガナというものがないようなのです。

そういえば発音記号はあるけれど,フリガナとは違うよなあ。

2009/08/07

これがニガウリ


07/08/2009
Originally uploaded by taro.waseda

熟れたニガウリはこんな感じです。

2009/08/06

レジュメ

大学に入りたての頃,「レジュメ」という言葉に違和感を覚えた。

第一,響きが気持ち悪い。なんか「いじめ」っぽいし,「グジェエ」みたいな音。調べてみるとドイツ語の響きらしい。日本語,英語の響きしか聞いたことがなかったのだから当然といえば当然だろう。

ドイツ語とわかってからも「レジュメ」と聞くたびに嫌悪感。明治時代にまねをしたドイツにいつまでこだわっているのだ日本の大学は。いまはアメリカの時代,アメリカに倣って「ペーパー」とか「レポート」といえばいいのに。なんて思っていた。

今だったらどうだろう。多極化の時代,他にも色々な言い方があるのだから,なんだっていいじゃん,て思うはずだ。こうやってこだわりを捨て,信念を失ってゆくのだ。自由を得る代わりに,決して怒らず,でくの坊といわれ,ただニコニコ笑っている。そういう人間に,私はなりたくない。

雨にも負けて,風にも負けて,雪にも夏の暑さにも勝てぬ,ひ弱な体を持ち,
欲深く,怒ってばかりで,そのくせゲラゲラ笑っている,
一日五食にステーキとワイン,
あらゆることを損得勘定して,深く考えず,そして忘れる,
ビバリーヒルズのど真ん中の大豪邸に住んで,
東に病気の子供あれば,写真にとってピュリツアー賞,
西に疲れた母あれば,有料老人ホーム,
南に死にそうな人あれば,臓器移植の説得をして,
北に喧嘩や訴訟があれば,これで食い繋げるとほっとしながらさらに煽り
日照りのときは水を売り,
寒さの夏は小麦を買占め,
みんなに革命児といわれ,
ほめられ,そして憎まれる,
そういうものに,
私は,,,,

タヌキとカエル


2009/08/06
Originally uploaded by taro.waseda

こういうのが楽しいよね~。

2009/08/05

言語

僕はNokiaの携帯を使っている。Nokiaが撤退する前に買ったものだ。
いくつかのサービスを利用しようとすると,まともな日本語版はもはやほとんどない。諦めるか,英語版を使うかの選択に迫られるのである。
言葉の壁は存在している。

が,英語版を使おうとすると,とたんに面白そうなサービスがたくさん見つかるのである。

言葉の壁さえ越えれば,世界はもっと楽しいはずだ。

たくさんのおまけ

大事なことはひとつ,それを渡すためにたくさんのおまけをつける。時々そんな気がする。

たとえば,好きだっていうことを伝えるために,プレゼントをしてみたり,言葉を重ねてみたり。
受け取る側にとってはおまけのほうが大事だったりする。びっくりマンチョコのおまけシールみたいに。

それでも,なんとなくうまくいってしまうことが多い。お互い満足しているから。

こういうのをwin-winの関係というのだろう。漢字を使えば「互恵」かな。

ふと,日本と中国と台湾がもし本当に同じ漢字を使うようになったら,世の中大きく変わるかもしれないなあと思う。

2009/08/04

チャンス

チャンスというものは,「何かをする」機会をいう。我々がチャンスについて考えるとき,そこには二つの自由が与えられる。「何が起きたとき」,それが「何をする」機会と考えるかは,という点にある。

2009/08/02

多産少死

今の世の中というのは,多産少死なのであろう。
新しいものは次々と生み出されてゆく一方で,古いものはいつまでもなくならない。新しいものは,古いものを否定しようとして生まれるのに,新しいものも古いものも存在し続けている。
そんな世の中は矛盾に満ちているようにも見えるし,少しばかり面倒にも見える。

でも,よく考えてみれば,たくさん生まれて,なくなるものがほとんどないなんていうことは,実は喜ばしいことなのだ。


本当に少死?
新しいものと古いものが戦っている間に,まったく関係のないものがどんどん失われてしまっているなんてこともあるのかもしれない。

絶滅するのはいつだって,ついこの間までどこにでも居たものなのだ。我々が注意すべきは,注意を払う必要もないほどに普通のことなのかもしれない。

2009/08/01

長生き

長生きしたいものだね。

なんていうのは,太古の昔からの人々の夢のようだ。

じゃあ例えば,1日12時間寝る人が100歳まで生きるのと,1日3時間しか寝ない人が60歳まで生きるのと,どちらが長生きなのだろうか。単純に起きている時間が12時間×100年と21時間×60年とで比較したら,どっこいどっこいなはず。起きている時間だけ考えれば。ま,起きてたって,なにしてるわけでもないんだろうけれど。



ブログ再開したものの,機能の把握がまだ出来ていないので,暫く不便が続くかもしれません。


なんで,少し我慢すればすむことを避けようとして,あっちこっちいろんなことに手をつけて余計大変になるのだろう。でもこうやって進歩してきたんだから仕方ないじゃない。我々は人間なんだから。