2010/12/29

みなさん,さようなら




ツタヤが近くにあるので,映画でも見てみようかなと久しぶりに思って,DVDを借りに行った。
思ったよりも広くて,なかなか気になるのが見つからない。ふと目に止まるものを探すのは結構大変。

今回30分くらい悩んで漸く目に止まったのが「みなさん,さようなら」

「死ぬ意味が見つからない」,という言葉にぐっときた。

たしかに,死のうと思って死ぬわけでもなく,ただ死んでしまう。

「生まれたときのように無力だ」

これも。確かに生まれようと思って生まれるわけではないし。

同じようなことをなんども聞いたり読んだりしてきたはずなのに,その言語が指す意味というのを,いままでよりも深いところで感じられたような気がした。

ヘロイン中毒の女の人,マリージョゼ・クローズというのだろうか,とても美人で,出てきた瞬間一目惚れ。

2010/12/27

自転車

家から仕事場まで3キロ程度でちょうどいいので,自転車で行った。
帰り,コートを着ていなかったので,それで自転車は寒すぎると止められた。
行きもコート無しで大丈夫だったんだけど。
でも帰り道を見ていたら,真っ暗で,ちょっと危険だったかもと思った。

近々サイクリングロードに出て,また長距離走ってみようと思う。

それで僕は今日驚いたことがあった。
以前,60億総ハッピー計画を提唱したことがあった。
そして今日,身近に,みんな幸せ計画を言っている人がいた。

なんか嬉しかった。

2010/12/25

寒い寒い

鍋だ。今日は。

2010/12/24

メリークリスマス!

新しい世界を楽しもう。
今までの自分が通用しないかもしれない。
でも今までの自分がなくなるわけじゃない。
ちょっとの間お休みしてもらって,慣れてきたら,いつもの自分がさらにパワーアップして帰ってくる。

不安なときは,皆が不安。
でも,不安と同時にワクワク出来る人は,限られている。
ワクワク出来なくたって,ワクワクしてるふりできればそれで充分。
ワクワクの流れに乗れるはず。

サンタさんはどんなプレゼントくれるかわからない。
どんなプレゼントでも,それはきっと素敵なプレゼントなはず。

幸運の女神には前髪しかない。
サンタさんは白髭しかいない。

僕の大切な友人のみなさま。
最近連絡がとれないのは,スマートホンが使いこなせないから。
時間取れないのは,段取りができないから。
でも,そんなのいままでもそうだったでしょう?しょっちゅう会ってたから,その時々のノリで色々遊べたんだし。
だから,いつもどおり,ふらっと連絡したり,ふらっと会ったりして,ガハハみたいなのができるといいです。
何に誘われても対応できるよう,体鍛えておきます。言葉も頑張ります。段取り力もつけるのが目標。あと,料理!?

メリークリスマス!

2010/12/22

環境の変化

環境が変化しそうだ。
ブログはどうなることやら。
気持ちの整理にもなっているので,できれば続けたい。

2010/12/19

距離

距離が遠いとなかなかあえないなんて言い訳する。
そのくせして,近くにいるほうが,会えなかったりする。
会おうと思って会って,会っている時間を,会うことに使う分,たまにしか会えない人とのほうが密な関係になったりもする。会えない分,他の方法でいろいろ接点を持ったりして。

うまく伝えられないことや,上手く聞き出せないことがたくさんある。
何の苦労もなく伝わると,つい安心してしまうが,バーナード・ショウのいうように,それは思い込み。

久し振りに会って,前と違うような違和感。
それは相手と自分が成長した分。
何も変わっていないと思うのも不思議。
変わっていないのだったら気づかないはず。何かが変わっているからこそ,変わっていないと思うのだろう。

臆病になって言葉が少なくなったり,言い訳がましい修飾が増えたり,断言してごまかしたり。
でも丁寧に言葉を重ねるに勝る表現はない。

環境が変わるたびに,不安と期待。ちょっぴり諦め。
でも,気がつくと我が道爆走。

2010/12/15

考試

わかりやすくいうならば,卒業試験。
無事合格することが出来ました。
非常に辛い試験で,多方面から支えられてなんとか終えることが出来ました。
ほっとしました。
ちょっとした閲覧履歴や,メール,コメントや,挨拶,お誘い,励まし,そういったものが,とても嬉しかったです。
ありがとうございました。

ようやく仕事につくことができます。

これまでの感謝,これからの抱負,書きたいようで,何も書けません。

これからの自分と,これまでの自分,うまく融合したいと思います。

これからもよろしくお願いします。

2010/12/13

携帯変えた

ソフトバンクのアンドロイド携帯に変えました。

今まで使っていたノキアの携帯はかなり使いやすくて,かっこ良くて,大好きだったのだけれど,アドレス帳移行や新しいものに慣れる時間がとれるのは今しかないと思って,大きくOSが異なるアンドロイド携帯に買い替えました。

結果,使い方がいまいちわからず,あまり上手に使えていません。が,ちょっとずつ,ちょっとずつ,使えるようになっています。色々遊んでいるうちに,覚えそうだし。

パソコン的な使い方がある程度できるのは嬉しいと思います。そして画面が大きい。

日常生活ちょっとは変わるかな,というよりも,変えられるかな,と思っています。

2010/12/12

ウズベキスタンと韓国で考えたこと

なぜ旅に出たのか。
あるとき読んだ勇気付けられる言葉の中に「旅に出ろ」とあったから。後ろ向きになっていたときに読んで元気が出た,HOLSTEEのマニフェストに,書いてあった。その言葉に出会ってから,他のコラムなどを読んでいても,旅行で学ぶことがたくさんあるように思えていた。
一人旅はなかなか大変だけれど,大学時代の信頼できて楽しい友人達が一緒に行ってくれるみたいだったし,暫く長い休みなんて取れそうになさそうだから,いい思い出になるかもしれないと思って。

ウズベキスタンは,旧ソ連圏で,実を言うと,行くといったときには場所も知らなかった。危ないんじゃないのといわれて,ウズベキスタンでテロなんて聞いたことがないけどなあと思って,地図を見て初めて,あのアラル海のすぐそばだとわかったくらいだ。砂漠だ。きっと冬は寒いに違いない。そう思ってヒートテックで重装備。
ところが,行ってみると東京よりも暖かい。皆親切で,時間を守るし,ぼったくりもなかった。そして,柔軟。観光客にも普通に話しかけてきて,物を売るわけでもない。食べ物も,中華と欧州料理の中間くらいで食べやすい。脂っこいといわれていたけれど,僕はおいしくて何日続いても大丈夫そうだった。おなかも壊さなかったし。僕はといえば,ウズベキスタン仕様と思って,ひげを伸ばしたため,何人かわからなくなってしまったらしく,あちこちでいじられました。

遺跡がたくさんあって,青系のタイルが張り詰められていて,青い城が大きな空に浮き立っている。まるでラピュタのように。東京と違って空が広い。だから,天空の都市のよう。だけど,その一方で,半分砂に埋まっているようなところもあって,ローラン王国みたいな,幻の都市っぽさも漂っていたりして。朝夕はひんやり冷えるから,そのまま消えてしまいそうな感じがした。

一人の時間も結構あったから,のんびりいろいろ考えた。今までのたびの中で一番リラックスしたかもしれない。ひょっとしたらその分周りに気を遣わせてしまったかもしれないけれど,許してもらえるかな。

何を考えたか。
もう忘れた。そんなものか。
旅にいるときにしか感じられないたくさんのこと。それを全てメモしておけばよかったと思うけれど,言葉にすると失われてしまう。気持ちのいい空気を吸って,そして吐き出す。そんな感じに,流れ出ていってしまうものなのだろう。体にしみこませて,頭ではなくて体に覚えさせて,頭からは消えさせる。
旅から帰ってきてすぐ書けばもっと思い出せたかもしれない。ちょっと残念だけれど,あの時は,余韻に浸ってしまった。


韓国は寒かった。
日本とインフラが似ていて,海外旅行の気分があまりしなかった。もちろん,もっと大きな要因は友人のコーディネートが素晴らしかったからなのだけれど。
日本では,反韓的な報道をされることもあるから,僕はそんなことはありえないと思っていたけれど,それでもやはりバイアスがかかっていたらしい。韓国の人たちの自信や,ちょっとした優しさ,人とのつながりを大事にするのは少し前の日本のいいところがあるみたいな,ちょっとした年寄りの若者に対する嫉妬心のようなものを感じてしまった。


これから何が待っているかわからないけれど,よかったな。

駅伝

ひょんなことから駅伝を走ってきました。たった5キロですが,久しぶりに走ったので結構疲れました。たすきを繋ぐと思うと,ちょっと頑張らなければと思ってしまい,距離の短さもあって,ハイペースで走ったのがきつかった理由ですが,ちょっとくらい無理しないと面白くありません。

久しぶりに走るので,足つったらどうしようとか,遅れたらどうしようとか不安もありましたが,杞憂に終わりました。
軽いのりで新しいことに参加すると,どきどきするけど,発見もいろいろ。このワクワクを忘れちゃいけない。

2010/12/07

美しい国日本

試験が終わって発表まで,不安で仕方ないので旅行に行ってきました。大学時代の先輩,友達と。
途中,現地の人に,「日本は美しい国だと聞いている」と聞かれました(もちろんロシア語の出来る友人が通訳してくれたのです)が,どう考えても,僕には日本が美しい国には思えなかった。日本よりいい国はたくさんあるし,いい人もたくさんいる。
でも,一緒にいた日本人が一番ほっとできる。結局は友達なのだろう。久しぶりに気兼ねなく時間をすごせたのがうれしかった。
そして自分がまだまだなのもわかった。変に縮こまってないで頑張ろう。
今回は写真を結構撮った。ここにあるのはその一部。
猫は世界共通の可愛さ。
動物園も世界共通の面白さ。


2010/11/28

イルミネーション

ふとイルミネーションに気付いた。
前からあったのだろうけれど,いまさら気がついた。
ひとつ気付いたら,いくつも見つかった。
クリスマスが近いのだとようやく気付いた。
他人事のように。

準備が下手な太郎君は,1ヶ月も前じゃまだまだ気分が盛り上がらない。
だからなのだろう。
まだ街もわくわくしていない。

2010/11/27

おなかの日

大食らいの早稲田太郎君は,週1日くらいはおなかの日を作ります。
食事は朝パン少しと夕飯だけ。昼間は大量に水を飲む。

夕飯直前は体が軽くなって,翼が生えてきそうな気がする。

2010/11/23

チンパンジーと2歳児

チンパンジーと2歳児の行動実験をしている番組があった。

サングラスやら傘やら置きっぱなしにして自由に遊ばせるというもの。

奴ら,僕とまったく同じ行動をとっている。
おぬし,やるな。

2010/11/21

どらえもん

夢を見た。
久しぶりにドラえもんの映画を見たら,あまりの駄作ぶりに泣いてしまう夢。
原作者が死ぬとここまで駄目になるのかという悲しさに打ちひしがれた。

なんかわからんが,追い込まれるとドラえもんが出てくる。

のび太な気分なのだ。

2010/11/20

2010/11/16

裁判員裁判で初の死刑判決

被告人が被害者遺族の話を聞いて心が動いたのを見て裁判員は悩んだのだろう。
裁判員だからこそここまで真剣に悩んだのかも知れないと思うと,裁判員裁判には意味があるように思う。

2010/11/15

白鵬

負けるのか。

2010/11/14

コッコちゃん

なんと残念なことに,コッコちゃんまで引き取られてしまったそうだ。
よく考えてみれば,公園に鶏が放し飼いになっているのは少しおかしいような気もする。おかしいのかどうなのかよくわからないけれど。

どこかで読んだ気がする話。

野鶏は,人間に飼われれば水やえさがもらえて楽に暮らせるのに,逃げ回っている。
水やえさに替えられない自由を選ぶ。

漫画で中国の故事にあった気がするのだが,出典を思い出せない。

世の中の流れなのか,自分がいる場所がそうなってきているのか,いつの間にか,さまざまな自由が奪い取られていく。無数の手が自分を絡め取って地獄に引きづりこもうとしているかのようだ。


未だ野鶏たりえず。なんちゃって。

などといっているうちにやっと見つけた。鶏じゃなくて雉だ。そして老子じゃなくて荘子だ。

いいねこのズレ。
ほんの少しずらすと無重力の自由な世界へ。ドラえもんの反重力石みたいだ。


「沢の雉は十歩に一啄し、百歩に一飲するも、樊中に畜(やしな)はるを薪(もと)めず、神(こころ)は王(さかん)なりと雖も善(たの)しからざるなり。」

2010/11/13

子ネコさん

ある朝,敷地から猫の声がした。
声の主を探ると,可愛い白っぽい子猫。寒い朝に小さい声で鳴いている。特に逃げるわけでもなく,前足が寒いのか,地面に足をつけたり離したりしている。あんまりかわいいので無駄にニャーニャー言いながら猫のふりしたつもりになってしゃがみこんで一歩ずつ前進。
ようやく撫でられそうに思ったら後ろから声が。
「おーお前はどこの子じゃ。可愛い子じゃのう。」と,これまたどうも猫好きらしい警備員のおじさん。どうも敷地に3匹ほど他にも猫がいるらしいことを教えてもらい,人前で猫にじゃれるのは恥ずかしいので退散。
夕方帰り道にも発見。食べ物を持っておらず,翌日は絶対食べ物を持っていこうと決意。

あさ,ドーナツ抱えて行った。魚肉ソーセージとかにしようと思ったのだが,いなかったときに困ると思ってドーナツ買ったのだが,魚肉ソーセージにすればよかったかなとか,散々悩んでドーナツ。
しかしいない。帰り道もいない。

たった一日の甘酸っぱい恋。

1週間ほどして,鶏のコッコちゃんと戯れているところを警備員のおじさんに再び発見された。
そしておじさんが教えてくれた。「あの子猫は貰われていったよ。仙台に嫁入りしたよ。」

「えー!」と叫んでしまった。仙台まで会いにいけないよ。
本当なら,寒い中外で過ごすよりも誰かの家で暖かく過ごしたほうがいいに決まっている。

わかっているんだけど,もう一回会いたかったな。もうちょっと仲良くなりたかったな。
カバンに入れてつれて帰っちゃえばよかった。

なんていいながら,敷地に見つけたもう一匹の黒猫を走って追っかけまわしてる。奴は見た瞬間に逃げていく。

そんなこんなで猫に恋する5秒前。

2010/11/12

悩みながらも走れ

世の中というのは,誰も彼も悩みを抱えている。実は結構重いものを引きづりながら生きているのに,みんなどこから沸いてくるのかわからない優しさも持っていたりする。

なんてことのないやりとりの中に隠れた,さりげない優しさに元気を貰って,また一歩踏み出せる。

2010/11/07

理想

理想なんてタイトルを打ち込んだら,予測変換で出てきた。きっと以前にも同じタイトルで書いたのだろう。きっとまた同じようなことを書くのだろうと思う。

お金と男女の仲に盛り上がってばかりでつまらない世界だなあ。誰かこの閉塞感溢れる世界を変えてやるみたいな熱い話をしてくれないのかなと飲み会に行くたびに思う。それかアーティスティックな話とか。

なんて考えているうちに,理想ってなんだろうと思うようになった。
つい最近まで60億を幸せにするんだとひそかに思っていた(さすがに70億の全人類は無理だと思った)のだが,それは人間の本質を見誤った間違った理想であるということに気がついた。

それで最近の理想は,ごく一部の天才を見つけたら,普通になってしまわないように必死に守り,苦しんでいる人も頑張って助ける。普通の人からは恨まれないようにして,空気のような存在になる。できれば天才の中に,アーティスト(音楽に限らない。できれば絵とか写真とか)が何人かいてくれたら嬉しい。数の多少とか,規模の大小とかそういうのはあんまり関係ないんだなと,思うようになってきた。

なんて思いながら,これから先にもすっごい天才に出会えないかなとひそかに期待している。
いままでたくさんあってきているから。

2010/11/06

頭の中

いっぱい。

2010/11/03

秋がない

秋がないってみんなが騒いでいる。
ではどうやって秋を感じるのだろう。

虫はもう鳴いていた。
紅葉は徐々に始まった。
朝晩は涼しい。

食べ物かな。

きのこでも食べようか。

学校教育が創造性を殺す

あるところからこんなビデオを見つけました。

代わりに誰かが言ってくれるとすっきりする。
誰だか知らないけどこのおじさん。
そして一部分,そうだな,たった数フレーズしか聞いていないけど。

現代人の特徴だ。
たった数フレーズの言葉で全てを理解した気になる。
自分の言葉で表現しようとせず,誰かの言葉が自分の考えを全て代弁してくれた気になる。
そして,話している人が誰かなんて気にしない。

2010/10/31

動物

動物園が大好きです。
ゴリラのピーコがお気に入りです。
久しぶりに上野動物園に行ったら,ゴリラの赤ちゃんのコモモがいました。あまりに可愛くて人類みな兄弟だと思ってしまいました。人類ではなくて霊長類皆兄弟。
カバにも子どもが生まれていました。
可愛かった。哺乳類皆兄弟。
ハシビロコウが立っていました。あまりに面白くてじっと見ていました。動物皆兄弟。
みんなみんな,生きていいるんだ友達なんだ~。


和光市の樹林公園には,鶏のピーコちゃんがいます。
私が樹林公園を初めて通ったときは,チラシが木にくくりつけられていました。
内容は,鶏のピーコちゃんが,深夜何者かに襲われ,羽をむしられて手持ち花火で焼かれ,瀕死の状態で発見され現在治療中というものでした。一日も早い回復を願っていますという言葉で締めくくられていました。
2週間くらいすると,ピーコちゃんが元気に樹林公園を歩き回っていました。復活したんだなあと,ついつい嬉しくなってしまいました。ピーコちゃんの周りには,お年寄りが集まっていたので,彼らがきっと介抱していたのでしょう。

人間でもない鶏を本気で心配したり,治って喜んだり,人間って不思議だなあと思いました。
そして,同じ人間でも,鶏の羽をむしって火をつける人もいれば,その鶏を必死に介抱する人もいる。人間って不思議だなあと思いました。

2010/10/30

わこうし,ねこうし

どうでもいい読み間違いだが,和光市駅で「わこうし」と書いてあるのを「ねこうし」と読み間違えた。
即座に,「猫牛」と頭の中で変換して,丸い頭で三毛の牛がノシノシと歩いていった。

2010/10/24

さんぽ

目的もなく歩く。
色々なものが目に留まって,吸い寄せられるように坂を上る。
矢印があるとその道に進み,看板があればじっくり読む。
壁があれば登れるか指をかけてみる。
寺があれば入る。神社があればお参りする。
木があれば,何の木か確かめる。
花があれば匂いを嗅ぐ。
猫がいれば挨拶をして,犬がいればからかう。
鳩は追いかけて,カラスはじっと見つめる。
鳴き声から虫の居場所を必死に探す。
飛んでる虫は追いかける。
蜘蛛の巣を見つけたら,どこを始点に何枚幕を張っているか入念にチェックする。
家の隙間には何かがいないか必ず確認する。
空を眺めて,雲の形を見る。
雲が流れているのを見て,ビルが流れていくように見えるのを楽しむ。
面白い形のビルを見つける。ビルに入っている会社の名前をチェックする。
面白い店の看板を探す。
歩いている人を避ける。

信号で止まらないように,赤信号ではどちらかに曲がる。
どこまでもどこまでも歩いて。
線路にぶつかったら線路沿いに駅まで歩く。

そして帰る。

2010/10/23

なつめうなぎ

なつめうなぎなんていうやつは,実際にはいない。千円札を折りたたんでうなぎの形にしている写真がネットには転がっているけれど,それじゃない。

めくらやなぎといいたいのに,なつめうなぎといってしまう。

結局のところ,文章を読むとき,ゆらゆらした言葉の間の意味不明で不安定な行間から生まれる,生暖かい何かに感動するのだ。

2010/10/17

振り返る時間

人に会うと,たまにブログを読んでくれていることがある。
なんだかんだいって長いことブログを書いているわけで,昔から読んでくれている友人には,僕の書き振りの変化を指摘されることがあった。

確かに最近,自分で書いていても昔と違うような気がしていた。
環境の変化や,少しばかり経験も増えた。単純に年を食ったというのもあるのだろう。
思い当たることは多くあったし,もう昔の自分には戻ることが出来ないのだと,半分諦めていた。

ところが,今日たまたま時間があって,今までのブログを読み返してみると,たいしてかわっていないことに気がついた。

読んでいる人の感じ方は,変わったかもしれないけれど,僕自身が読む限りでは何も変わっていないということを確信した。

雲の切れ間を縫って僕は空を飛ぶのであります。

2010/10/16

携帯電話

新しいのを買おうと思った。
春,ソフトバンクから初めてアンドロイド携帯が出るというニュースを見て。
携帯のメールアドレスが使えるようになるまで少し時間がかかると聞いたので,待つことにした。
9月になった。
アンドロイドのバージョンアップもするということがわかったので,10月まで待つことにした。
10がつになったら,新機種が出ることがわかった。
そんなわけで,新機種が出るまで買えなくなってしまった。

買おうと思うと新機種が出てなかなか買えない。

気長に待つさ。

2010/10/11

さくら

もうそろそろ桜の葉が落ちる。
そして来年の春になって,花が咲く。
花が散って,葉桜になって。
そして,なんの気なしに桜並木の下を通って,セミの抜け殻を探す。
毎年毎年。
いつもどおり葉桜になった桜の木の下で。

だけれども,葉の付き方はいつも違う。色も,何もかも。日によっても違う。
それなのに,いつもどおりだと思っている。
毎日通っている道だけれども,それはその日通った道ではなくて,ずっとずっと前に通った道だ。

いや,もっとひどい。
僕は今年,その桜並木を通っていない。
なんてことだ。

世界ってこういうことだったのか。

僕が今の現実を生きているなんて大間違いだ。
大部分が過去だ。
僕が未来だと思っているのは,過去に僕が思い描いた未来だ。

と,僕がずっと住んでいた部屋で,過去の僕が語りかけている。

2010/10/10

街の成長

僕が子供の頃は,中目黒なんて小汚い街だった。それが今じゃ高級住宅街らしいじゃないか。未だに街並みは汚いと思うけれど。
代官山だって,ついこの間まで,おしゃれな街なんて言われながら駅前の通り一本にババ臭いブティックしかなかったのに。

東京じゃないけれど,僕の住んでいた街も,子供の頃は田んぼばっかだった。今じゃ高級住宅街らしい。成金じみた一軒家が次々建って虫酸が走る。

僕は東京界隈に20年近く住んでいた。過去に見た街の姿が邪魔をして,今の街を正しく理解することができない。

どうしてだろう。過去の思い出が邪魔して,今を正しく見ることができない。

過去はもう,別の世界なんだと,最近気付き始めた。

だがその世界を一緒に過ごした人とは,今でも一緒にその世界に戻ることができる。
だから共に過ごす時間は大切だ。

僕が見た街が何時までも残っているわけではないし,別に僕のものでも何でもないのだ。あの時見えなかったことだって沢山ある。

毎日,まったく新しい世界に,僕は生まれているのだ。
ずっと居た街が新天地なんて素晴らしい。

2010/10/09

常識とは何か

常識とは,面白そうなとを危ないといい,不思議なことをわからないといって遠ざけ,難しいことをつまらないといい,やりたいことを無理だといい,人の噂をして,自分の周り数人が言うことを真実のように語り,お前には常識がないと言うことをいう。

くたばれ経験則。

こんなようなことが言えるようになったのも,常識的になった証拠だなあ。成長したぞ自分。

2010/10/03

モレスキン+スヌーピー



文房具好きです。
スヌーピーも好きです。
携帯のストラップはスヌーピーです。ペプシのおまけだけど。

モレスキンがスヌーピー生誕60周年を記念して,コラボノートを発売しました。
見た瞬間,買おうと決めました。

そんなもんです。

最初の1ページに,何を書こうか。

2010/10/02

素朴な疑問

なぜ靴の修理屋では合鍵を作っているのだろう。

2010/09/30

ペースダウン

来月より少しだけ,更新ペースを落とします。

2010/09/29

かっこいい

同僚と食事時に話をしていたところ,カッコいいと言われたいかカワイイと言われたいかというくだらない話題になった。
僕は,カッコいいと言われたら人生おしまいのような気がしてならない。
言われたことないけどさ。

2010/09/28

バカタレ

バカタレというのは,何が垂れているのか。

馬鹿が垂れているのか。そうすると,右の鼻から「ばー」,左の鼻から「かー」と,垂れてきているに違いない。

2010/09/27

罪と罰と時の流れ

法律的にどうとかいう問題ではなくて,自分の中で悪いことをしてしまったという罪の意識はどこまでもつきまとうのだろう。

ただ単に時の流れで生まれた変化であっても,まるでそれが過去の罪に対する罰であるかのように感じてしまうことはあるのではなかろうか。

2010/09/26

東京タワー



「めくらやなぎと眠る女」を買ったのは前橋に来る前だった。
結局読みきらずに,前橋を去ってしまった。
だけれども,これは短編小説だから,ほんの2,3,読んだ。しかも,数カ月おきに。

今日,ずいぶん久しぶりにまた1編読んだ。

どうにもこうにも何か物足りない時,真っ白い大きな紙に,どこまでも渦巻を書いてやろうかと思い立った。そしたら,ふと彼の本が頭に浮かんだ。それで,読んだ。

とてもいい文章だ。たったひとつだけ,引っかかる言葉があった。それが「東京タワー」。
彼の文章を読んでいると,なぜか頭に浮かぶのは海外のような場所。
どこかの絵で見たような,音が聞こえない世界での話のような気がする。
それも少し昔の。
それなのに,「東京タワー」という言葉が出てくると,何処か知った街にそんな場所があるような気がして。
そんなのも,薄ぼんやりと消えていってしまったけれど。

少し頭がすっきりした。
アートに飢えているのだろう。

2010/09/25

文章は短く

文章は短く,接続詞を多用し,そして主語を明らかにする。
これは,わかり易い文章の基本である。
だが,僕はあんまり好きではない。

2010/09/24

前橋でやり残したこと

トライアスロンの練習会に一度も行けなかったこと。
車もバイクも買わなかったこと。
車で回れる観光地に行けなかったこと。


冒険が足りなかったな。

一人で冒険する根性が必要だった。これはやっぱり自分の中にはあんまりなかったのだろう。
人のせいにせず,一人で冒険しにいこう。

できない理由を探すのではなく,やる方法を考えなくては。

2010/09/23

アドバイス

背中を押してくれるようなアドバイスというのは嬉しい。
思いとどまらせようとするアドバイスは不安を煽られる。
だが,どちらのアドバイスも,本当は必要だ。

あとは決心。

頑張れ自分。

2010/09/22

発見

ミョウガは凍ると紫になる。

2010/09/21

猫と鼻毛

結局,時間があればいつものようにくだらないアイデアがたくさん浮かぶのだ。一人で出歩くことはとても大切だ。

今日は猫。猫というのは,とても平等に人を扱う。
ファンキーなホームレスでも,ちょっと変なおばちゃんでも,鼻を垂らした子どもでも,誰であっても,優しい人には寄ってくる。見た目で判断しない。
なんてことを,餌を上げるホームレスらしきおじさんに擦り寄っていく猫を見て思ったのだ。

そして鼻毛。
わたくし,見た目がだらしなくて大変申し訳ないのですが,鼻毛がよく伸びるのであります。
で,自分の鼻毛が出ているかは,話している相手の顔を見ているとよくわかる。
僕の鼻毛が出ていると,彼らは自分の鼻元を押さえるのです。
とても不思議。鼻毛が出ているのは僕の鼻なのに,鼻毛が出ていないその人自身の鼻毛を押さえようとしている。
昔,なぞなぞで,汽車に乗って,向かい合った二人がトンネルを出ると,進行方向に背を向けていた人は顔は黒くならなかったが,進行方向に向かって座っていた人はがすすで黒くなった。しかし,なぜか顔が黒くなっていない人が顔を洗いに行った。それはなぜか,というのがあった。
答えは,顔の煤けていない人は,向かい側に座っている人の顔が煤けているのを見て,自分の顔も煤けていると思ったから。

どうでもいいのだが,鼻毛を切ろうと思った。

2010/09/20

Holsteeという会社のマニフェスト


Hostleeという会社のマニフェスト

人生って,こういうものだろう。
大好きなことにのめり込め。
おかしいと思ったら変えてしまえ。
仕事が嫌なら辞めてしまえ。
時間がないならテレビ消せ。
自分探しなんてやめてしまえ。
みんな君が大好きなことをやり始めるのを待っているんだ。
分析なんてやめてしまえ,人生なんて単純だ。
心が動くときこそ一番美しい瞬間だ。
ごはんを食べるときは,飲み込む瞬間まで味あわないと。
新しいことには両手を開いて,初めて出会う人達には心を開け。
我々は違うからこそ一緒にいられる。
隣の人に,あなたの情熱なんですか,って聞いてみなさい。
で,閃いたら,一緒に夢に向かって進めばいい。
旅にはできるだけ行きなさい。
迷ったときに本性が出るから。

たった一回しか来ないチャンスもある。絶対に逃すな!

人生は,出会った人たちと何かを成し遂げるってことだ。
さあ,閉じこもってないで,何かを創り上げよう!

人生は思ったより短い。
情熱を纏って,夢を追い続けよう。


こういうのが転がっているのがインターネットの素晴らしさ。
こういうのを見知らぬ誰かが紹介してくれるのがインターネットの素晴らしさ。

2010/09/19

ある日の夕飯


非常に,幸せであります。
これだけ食べられると,本当に幸せ。
左は怪しげな野菜スープ。
右は,小あじの南蛮漬け。小アジはぐちゃぐちゃになっちゃったけど。
上は,ズッキーニのバター炒めと牛肉の豆苗炒め。
ご飯の脇には,かぼちゃ。

食べ過ぎだとか,不健康だとか言われずにこれだけ食べられると幸せ。

時間さえあればなあ。

2010/09/18

ゾウムシと蛇

玄関の前に,ゾウムシがいた。
自転車を漕いでいたら,蛇がいた。

どちらも珍しい。

秋だな。

なんだか縁起がいい。

2010/09/17

暴走族

前橋駅南口には,夜になると警察が集会を開いている。
というのも,駅前に暴走族がたむろしているからだ。

暴走族といっても,中学生,高校生位の子たちだろう。

うるさいバイクを乗り回していて,夜は迷惑甚だしいのであるが,たまにたむろっているのをみると,かわいい子どもたちばかりで,しかもバイク3台くらいをみんなで順番に乗っているのを見ると,彼らにとっては遊園地のアトラクションみたいなものなのだろうと,全く怒る気がしなくなってしまう。

とはいえ,暴走族は,暴力団の始まりであって,彼らの非行を早く止めてあげることは,彼らの今後の人生を決定的に変えることになる。だから,警察の人たちは,あれだけたくさん集まって,長いこと説得しているのだろう。まだ変われる。

僕はというと,ぷらぷら歩いているときに暴走族が集まっていても,特に避けるわけでもなく,どちらかというと,すぐ傍を通る。道を譲る気はないし,ちょっと気になるからだ。

だいたい彼らは輪になって集まっていたも眼を付けることもなく道を譲ってくれる。そんな悪い奴らじゃないのだろう。背負うタイプの襷を掛けている奴を見ると,運動会を思い出してしまって,同じルーツを感じて,妙に親近感を感じてしまう。脛まであるブーツのつま先をテープで補強してたりすると,靴がすり切れるほどバイク乗って頑張っているんだなあと,変に感心してしまったりもする。

だが,たくし上げたズボンの裾から,脛に彫った刺青が見えたりすると,とても残念だ。
ちゃんと引退して,まともな道に戻ってこそ暴走族だろうに。
GTOの影響なのかな。

座り込んだ5人ほどの女の子が,警察に説得をされていた。
いつもどおり,すぐ傍を通り過ぎる。
すると,「おまわりさんみんなめがねだね,かわいいー」とか言っている。
つい見てしまったが,説得していた3人とも黒ぶちメガネ。彼女たち,妙な観察力だ。
そのうち,5人で歌を歌い始めたのだ。
声が揃っていてうまいし,かわいい。
つい,足を止めて聞いてしまった。

おまわりさん,ごめんなさい。いつもありがとうございます。

2010/09/16

咀嚼力

そういえば最近,柔らかいものばかり食べているのだということに気がついた。
顎の力が弱まっている。
これは困った。

2010/09/15

怪しげな野菜スープ

少し前に,友達から電話があった。
少し前といっても,数カ月前の話だ。

その友達とは,電話で話すのは初めてだったのかも知れないと思う。今気がついたけれど。そしてその後もかけていない。たった1回の電話だった。

どんな話をしたか,だいぶ忘れてしまった。
きっと,とりとめもない話をたくさんして,そして,僕はその友達が首を傾げるような話や,少し傷つくようなことも言ったのだろうと思う。正直な気持ちで話そうとすると,そうなってしまう。

そんなとりとめもない話の中で,僕の一人暮らしの話になった。
その友達は,初めて自炊をすると,怪しげな野菜スープを作るに違いない,と言った。
僕は確かに怪しげな野菜スープを作っていた。
うまく食材を買えず,腐りそうになって慌てていろいろな野菜をぶち込んで作った怪しげな野菜スープである。
友達は,誰もが通る道だよ,と言って笑っていた。

そして今,相変わらず怪しげな野菜スープを作っている自分がいる。
本当を言うと,久しぶりに作った怪しげな野菜スープだ。
買いすぎて腐りそうになっている食材があるのは相変わらず。
だけど,暑かったこともあってしばらく作っていなかった。
それで,この間久しぶりに作った。1ヶ月前のキャベツと玉ねぎが出てきたから。
だけど,食生活が乱れて,野菜を大量に食べたくなったとき,怪しげな野菜スープは重宝する。
そんなことに気がついて,今日も怪しげな野菜スープを作ってしまった。
今日は,キャベツと玉ねぎだけでなく,人参とセロリも入れてみた。
じゃがいもを入れようと思って買ってきたが,セロリを入れた時点で鍋から溢れて入らなかった。

怪しげな野菜スープデラックス。

2010/09/14

腹が減っているとき

まずメシを食う。
メシを食うと,メシを食う元気が出てくる。
そしてメシを食う。
メシを食うと,飯を作る元気が出てくる。
そして飯を作って飯を食う。
飯を食うと,他の飯が欲しくなる。
そして飯を食う。
そうすると,腹がいっぱいになって,果物が食いたくなる。
そして果物を食う。
果物を食うと喉が渇く。
そして,紅茶を飲む。
紅茶を飲むと,デザートが食いたくなる。
そしてデザートを食う。
腹がいっぱいになって動けなくなる。
動くために,飯を食う。
飯を食うと,動く元気が出てくる。
元気が出ると,飯が食いたくなる。
そして飯を食う。

2010/09/13

やればいいじゃん

やればいいじゃん,興味あるなら。
人の意見なんて右から左だ。

2010/09/12

ガンバ,ハイジ

実家に帰って久しぶりにテレビをつけたのだが,ドラマとか見ていられない。
つい見てしまうのが2チャンネルでやっている古いアニメ。
ガンバなんて,キャラクターしか知らなかった。

ハイジも,ほとんどストーリーを忘れていた。親に聞いて思い出す始末。
ちょうど見たところが,ハイジがドイツの町に来て,アルプスの山や谷を探し回るシーン。

うーん。
東京都会砂漠。

2010/09/11

儚い夢

実家に2ヶ月ほど戻ることになったので,前橋の荷物を受け入れるべく実家の掃除をしてみた。
およそ1年ほど前に置きっぱなしにした荷物で,もう使わなさそうなものを整理しようと思った。
とはいえ,ほとんどが本とファイル。

文庫本や新書などの趣味の本はいらないと思える本がほとんどない。

しかし,勉強の本は要らないものばかりだ。

大学1年のときに買った,法学入門,みたいな本。
たくさんある憲法の本。
大学3年から,ロースクールを通して買いためた,会社法関係の本。
国際交渉術,なんて本もある。

当時夢見ていた世界が,なんとなくわかるようだ。

しかし今は怖くて,本を開くことができない。
でも,捨てることも出来ない。
本棚の奥底に閉まってしまおうと思う。

諦めたわけじゃない。
ただ,たった1年前の自分が,まるで別人のように感じられる。

論文を書こうとかき集めたたくさんの資料。
本当ならいい思い出のはずなのに,もう何の価値もない。
ひょっとして書き直したりするかもしれないとも思ったけれど,もうそれはないだろう。

荷物を捨てるときの,なんとなくある寂しさ。

2010/09/10

中華!中華!中華!

なんとなく疲れがたまったような日が続いて,やる気が出なくて眠くて眠くてたくさん寝ているのに眠いまま。
ふと気が向いて,お昼に中華料理を食べようと外に出掛けた。
今までいったことがなかった前橋城という小汚い中華料理屋に行ってみようとしたのだが,外まで並んでいて断念。
どうしようか考えていて思い出したのが,以前いったことのある中華料理屋。礼儀正しい外国人がお店をやっていて,一度宴会に使わせてもらったお店。確かスーラータンメンがお勧めというようなことを言っていた気がした。以前お昼にいったときにはメニューになかったけど,お店の雰囲気もいいからその店に行こう。

お店に入ってBセットを頼んで,ふとメニューを裏返すと,スーラータンメンが載っている。以前はメニューを裏返すのを忘れていただけだったのか。

というわけであわてて,注文を変えた。

スーラータンメンが出てきたので食べると,酸っぱさといい,辛さといい,まさに好み。ちょっと熱くてやけどしたけど,冷めるまで待てなかったくらいおいしい。

食べ終わると汗が流れてきて,元気が出てきた。
それから数日,元気いっぱい。

中華って,すごい。
じゃなくて,中華料理屋ってすごい。

2010/09/09

挑戦か洗練か

新しいことに挑戦すべきか,それとも,今あるものをもっと磨くべきか。
今あるものはすでに自分の好みであることが分かっている。
新しいものは,好みのものになるかどうかもわからない。

買ってきたキノコを前に,いつもどおりバルサミコ酢で炒めるか,それともピクルスに挑戦するかで悩んでいる。

2010/09/08

トマトマト

トマト買った。いつも買ってるトマトマト。
トマトマトマトの中に,1個だけゴツゴツトマト。
ゴツゴツトマト食べたらダンゼントマト。
トマトの王様トマトマトオウ。
たった一個だけ,トマトとは思えない甘さのトマト。

トマトフルーツ。

2010/09/07

無邪気な好奇心

ここ数カ月である人から言われるようになったのは,「無邪気な好奇心」という言葉。確かに無邪気な好奇心で色々動いているのだろう。自分で無邪気というのは嫌な感じがするが。
ま,いいのかな。そんなくらいで。

2010/09/06

興味あること

日経新聞を読んでいたら「太郎くんは経済に興味があるの?」と聞かれた。
最初なぜそんなことを聞かれているのかわからずに,何も答えられなかった。

僕が興味あるのは,経済ではなくて,新しい試みです。
これから来ようとしている新しい流れがわかりそうな気がして。

2010/09/05

最初の一歩

何かやろうとするとき,最初の一歩が億劫だ。
ウジウジ考えているうちに時間がなくなって,またにしよう,なんて言っているうちに忘れてしまう。

最初の一歩が出れば,意外とスムーズに進むことも多い。

最初は少しだけ,がまんだ。

2010/09/04

回数券

前橋から東京に帰るとき,少しでも安くしようと思って,チケットショップで回数券を買っていた。
いつの間にか,チケットショップのお姉さんが僕の顔を覚えてくれた。
お店に行ったとき,今までよりも少しだけ嬉しそうな笑顔に見えて,帰り際に「いつもありがとうございます。」と声をかけてくれるだけなのに,それだけなのに嬉しかった。
本当は少しくらい世間話をしてみたかったのだけれど,結局何も話さないままだった。

前橋を去る日が少しずつ近づいて,色々逆算してみて,チケットを買うのも今日が最後かな,と思った。
最後くらい,世間話をしているか,せめて「いままでありがとう」くらい言おうと思って,お店に行った。

そんな時に限って,他の店員さんと仲良く喋ってる。

話の邪魔をしてしまったみたいで申し訳なくて,そそくさと「1枚下さい」といって,珍しく1枚だけ買った。
ひょっとしたら,1枚なんて珍しいですねとか言ってくれるかも知れないなんて期待しながら。

しかし,すぐ1700円ですと言われ,すぐチケットを渡してくれた。
いつもなら袋に入れますか,とか聞いてくれるのに,聞いてくれなかった。

あんまりスムーズだったものだから,何も言えずに,ありがとうと,笑顔で言って,帰ってきてしまった。

帰り道,なんとなくがっくりだった。

2010/09/03

胸のときめき

それは一瞬だが,心に刻み付ければ,一生だ。

2010/09/02

テレビ

いま,テレビを見ている人というのはどれくらいいるのだろうか。
不思議なことに一人暮らしを始めたらテレビを見なくなった。
いつの間にか,テレビをみる人なんてほとんどいないような気がしてきていた。

だけれども,「芸能人で言うと誰?」なんて質問が普通に出るのだから,みんなテレビを見ているのだろう。
背が高くて,黒髪で,ミステリアスな人,なんて説明を受けて,キング・コングを説明しているなんて誰も思わないだろうから,一見してわかる方がいいかもね。

2010/09/01

不安とか悲しさとか

ごくたまに,悲しそうな顔をしているねと言われるときがある。
そのようなことを言われるとき,僕自身,何を悲しんでいるのかわからない。
だけれども,そのような顔をしているのだから,何処かに悲しい気持ちがあるのだろう。

不安がないなんていったら嘘だ。
本当にそれでいいのと聞かれたら,答えに詰まってしまう。
だが,行った先に何があるか分かっているなら,そこには行かない。

まだ7月のカレンダー。1枚めくったら,ゴッホのひまわりだった。
もう9月だけれど,もうしばらく,カレンダーは8月にしておこう。

2010/08/31

月末

23日辺りになると,月の終わりも近いなあと,時の流れの速さに焦りを感じるが,31日になると,もう観念してしまう。

それどころか,来るべき次の月にほんの少し期待をしてしまったりして,お調子者なのであります。

2010/08/30

でぶ

太った。
野菜が食べたい。

2010/08/29

説明能力

最近,説明能力が大幅に低下しているのではないかと思う。
だがしかし,本当は,共通の土台がない人に説明をすることが増えただけなのだと思う。
これは,いいことだ。
共通の土台がない人とも,話ができるのだから。
そして,上手く行けば,そんな人とも,同じ世界を共有できるのだから。

伝えたいことが伝えられないときほど,チャンスがあるのだ。

2010/08/28

楽しさ

何を話しているときに楽しいと感じるだろう。
過去の話。今の話。将来の話。

人と話して楽しいのは,何かを共有できるとき。
過去を共有できる人,将来を共有できる人。

時という要素がない人もいる。そういう人とは,すべてを共有できる気がする。

2010/08/27

太陽プラム

太陽プラムの本質を見抜いたり。
あれは,でっかいアメリカンチェリーだ。
色といい,味といい,でっかいアメリカンチェリー以外の何物でもない。

違うのは,アメリカンチェリーよりうまいってことだ。

2010/08/26

パワータンクハイグレード

引き続き文房具。
パワータンクハイグレードモデル。
これも金属製の軸になっていてしっかりとした重み。しかも,横線が細かく入っているのですべらない。
インクはパワータンクらしく,加圧されていてかすれない。しかし,最近の,低粘性インクではないので,滑りや発色の点では劣る。

滑りと発色の点でいまいちだったので,いままで買わなかったのだが,今回安売りしていたので買ってみた。結構良かった。

2010/08/25

SHIFT

久しぶりに,文房具でモリモリ盛り上がりました。
三菱鉛筆のブランド「uni」から出ているシャーペン。SHIFT。
指のかかる部分が金属になっていて,手触りがいい。
手に汗をかくので,ゴムだと長く使っているうちにベタベタしてきてあまりよくない。だから金属製はいい。ひんやりするし。重心も低いし。

そして,シフトグリップという機能のおかげで,ノック部分を固定できるので,筆箱に入れて上下に揺れても,芯が出てこない。しかもその固定の仕方が,軸をスライドさせるというなかなかかっこいい方法。

けっこういい。


2010/08/24

猫とセミ

猫が死にかけたセミをつっついて遊んでいた。
通り過ぎたあと,セミの断末魔が背後から聞こえてきた。

2010/08/23

理想

理想が高くなったのだろうか。
それとも,今まで出来たことができなくなったのだろうか。

同じことをやろうとしても,理想とする完成度が異なれば,まったく別物のようだ。
自分の状態によっても,まるで別物だ。

2010/08/22

魚サン

最近はやりのサンダルはギョサン。
便所サンダルの,鼻緒が付いているバージョン。

2010/08/21

46キロ

ロードバイクで,利根川サイクリングロードを走って,前橋から坂東大橋まで片道約22キロ。途中迷って往復46キロ走ってきました。1時間50分くらい。ジョギングした時の約2倍の距離を走れます。
サイクリングロードには,信号がないので,どこまでも止まることなく走り続けられる。そしてほとんど人がいない。北海道を走った時を思い出しました。
わざわざ北海道までいかなくても,こんなところにあるなんて。

とりあえず,個別にやってバイク40キロ,ラン10キロはできたので,残りはスイム1.5キロでトライアスロンができる。なんちゃって。

2010/08/20

ロードバイク

新しい趣味が増えました。
ロードバイクです。
前橋はすぐ近くに利根川サイクリングロードがあって,どこまでもどこまでも走っていけます。
ロードバイクは乗り始めたばかりなので,まだ遠出はできていません。
しかし,ジョギングで1時間走ってもたどり着けなかった場所に,15分くらいで着いてしまうのが驚きです。しかもあまり疲れない。汗はポタポタ垂れ続けていましたが。帰ってきたら,心も体もすっきりです。
悩んだら運動しろと言っていた,アランの言葉を思い出しました。

2010/08/19

言い知れない不安

気がつくと,グーグルで調べ物。
つまらないことについて,調べている。
何処かで不安があるのだろう。

2010/08/18

夏バテか否か

自炊をしてはじめて食べきれそうになかった。
最後,渾身の三口(一口で食べることすら不可能だった)で,食べきった。

これは夏バテだろうか。恐ろしい。

今夜のメニュー。
鳥もも肉のソースステーキ(足一本)ともやし。
なめこおろし丼
大根サラダにゆで卵。

もも肉の脂にやられたのか。
それとも,なめこおろしの大根おろしを,大根のしっぽで作ったら,予想以上に辛くて舌がしびれて鳥肌がたったからか。
それとも,ゆで卵2個か。

それともただの食べ過ぎか。


空腹の時に買い物に行って,ついつい買いすぎた。
またバナナ二袋100円。よし,また冷凍バナナだ。

暑いのが原因かもしれない。それなら,冷凍バナナは最適だ。

2010/08/17

イトーヨーカドー

前橋駅前のイトーヨーカドーが昨日閉店した。
駐車場に入る車で渋滞ができていた。
品物を見ても,それほど欲しいと思うものはないし,値段も3割引程度でそこまで安くない。
そもそも,日用品はそれほど必要でない。

地下の食品売り場にいった。
バナナが1箱1980円でたたき売られていたが,さすがに一箱は買えない。おばちゃんが一生懸命声を上げて売っていたが,みんな,笑いながら通りすぎていった。

結局,いつも通りのものを買った。
牛乳,オレンジジュース,バナナ1袋,安売りしている肉。

レジでお金を払うと,見慣れたレジのおばちゃんが,長い間ありがとうございましたと頭を下げた。

イトーヨーカドーなんて,一昔前のスーパーのような気がしてちょっとひねくれていたのだが,おばちゃんが頭を下げているのを見ていると,思い出してしまった。

前橋に来てすぐ入ったのがイトーヨーカドー。他の店が全然わからず,とりあえず,ヨーカ堂の食材売り場で米と鍋の材料を買って,初めての自炊。それからほぼ半年くらい,自炊の材料を買っていたのである。ナナコポイントも貯まるに貯まった。

色々お世話になっていたじゃないの。

感謝が必要だ。
気づかぬうちに,古びたものや不完全なものへの感謝の心を忘れている。
完璧じゃないかも知れないが,どれだけ助けられているのか忘れている。

そんなことに気付かされると,思いが一段深く広くなる。
踊らされているのではないか。
人生楽しむのはどういうことか。
でっかい夢は絶対忘れませんが,そのための方法は今見えることが全てではない。
先は見えないもの。
過去の自分を育ててくれたものの上に今の自分がいるのだから,全てに感謝して,一歩ずつ進むしかない。
予定というのは狂うのが,普通なのだ。そして,狂うから楽しいのだ。

思いもよらぬ展開にわくわくするのが,楽しいんじゃないの。

2010/08/16

インセプション

久々に,感じる映画ではなくて考える映画だった。なかなかよかった。
ダークシティという映画をテレビで見た時の感動に近い。
同じ監督らしいから,そりゃそうだよということかも知れない。
いやそんなことない。同じ監督でも上手くいかないこともある。
芸術は一回限りだ。

夢か。
夢ってほんとうに面白い。

2010/08/15

終戦記念日

子供の頃の終戦記念日と,いまの終戦記念日とでは,やはりなにかが違うように思う。
爺ちゃんが戦争に行っていたなんて,今の子供には考えられないのだろう。

親の世代は,僕たちが子供のときには,親が戦争に行っていたなんて今の子供には考えられないのだろうと思っていたに違いない。

2010/08/14

彫刻の森

外にある作品は,中にあるのとは全く別物だ。
作品は,作品そのものではなくて,その作品が置かれた場所にも左右される。

今まで室内で見ることになれていたから気がつかなかった。
環境を変えるということは,新しい発見に役立つ。

2010/08/13

起きられない朝

あれ,ものすごい幸せ。

最近朝目が覚めることが多い。

だめだよ,何のようもない日に笑っていいともよりも早く目が覚めるなんて。

2010/08/12

バスケットシューズ

お盆休みがあったので,久しぶりに地元のバスケットをしに行きました。
走っていると,なにやら右足の足元がパタパタする。
ふと,靴を見ると,靴底がぼろぼろになってかかとから土踏まずまで剥がれている。
あわてて,ガムテープで貼っつけたが,走るとすぐ剥がれる。
結局,靴をガムテープでぐるぐる巻きにすることに。

しばらく経つと,左足も同じことに。

結局,両足とも,バスケットシューズをガムテープでぐるぐる巻きにして30分やりました。

体育館は,もろけた靴底で,白い粉だらけになっていました。

靴が壊れたんて,冗談みたい。
でも去年の9月ころから履いていなかったし,買ったのは,10年くらい前だったのだろうか。

それにしたってショックだ。

2010/08/11

百済ない古都の数々

どうでもいいのだが,あえて変換を変えさせてみた。
かつて紙の辞書をひく効用に,調べたい単語だけではなく,その前後の単語まで見てしまうことで,周辺部分まで知識が深まることにあると言われた。

とすれば,紙の辞書を使わなくなった我々は,そのかわりに誤変換を利用して同音異義語を知るという,新しい知識を偶然手に入れるチャンスを手に入れたのだ。

2010/08/10

ニトリ

あんまり暑いので,ニトリに行きました。
タオルケットを買ったので,もう暑くても大丈夫。

2010/08/09

雨の音

明け方,雨の音で目が覚めた。
いや,聞こえてくる音が,雨の音だとある瞬間に気がついて,それと同時に目が覚めた。

目がさめたのだが,窓の外を見ることなく,再び寝てしまった。

さわさわさわという雨の音だけ耳に残る。

次に起きたときには,雨は既に止んでいた。
外を見たけれど,雨の音ももうしないし,雨も見えない。地面も既に乾き始めていて,空に残った薄い雲としっとりとした空気だけが雨の余韻を残していた。

寝ぼけながら聞いた音だけ。雨。
でも,どこかの風景を見ていたような気がする。

2010/08/08

苦しみ

何を伝えたいのかよくわからないとき。
伝えたいことがあるのは分かっているのだけれど,適切な表現が浮かばないとき。
適切な表現どころか,言葉が浮かばないとき。
そうこうしているうちに,ぼんやりと浮かんだ素晴らしいことがみんなみんな消えていってしまったとき。

前の僕なら,深く深く落ちていくはずの感動が,喉元を過ぎたあたりでじわっと消えていってしまったとき。

言葉を尽くす前から,言葉を尽くしても伝わらないことがわかっているとき。

言葉は,伝えようと思って紡いで初めて力を持つのに,最初の一言で伝わらない。

なのに,どこか心の底で諦めがつかなくて,やってみてはできなくて,どんどん悪いものになっていって,それでもうやめたくなっているのに,やっぱりやめられなくて,本当に,たまに,めったに無いのに,うまくいくときがあって,その時の快感が忘れられなくて,そういうときは,誰かが何処かで,いいねっていってくれて,まさに有頂天な気持ちになって,そしてそのうちまた扉が閉じていく。

だれかが扉をこじ開けようとしてくれる瞬間があって,その瞬間に扉にしがみついて外の光を見る。そのきっかけを探して,電気を消してみたり。

言葉を探してみたり。

ペンに自由に線を描かせてみたり。

で,運命的な出会い。

こんなところに同志がいるなんて。

なんてことがあるから,苦しいけど,たまに意味不明なことを書くのでありまするのだということなのであるある。

2010/08/07

襲いかかってくる眠気

夜になると奴がやってくる。
どこからともなく。
気がつかないふりをしていても。
まぶたを上にそっと重しを置いていく。
知らないうちに,パソコンの画面に「ああああああああああああああああああああああああ」と入力していく。あるいは,嫌がらせのように改行を入れていく。

ああ,久しぶりに会えた。
僕の腕に,肩に,まぶたにのしかかって,僕の頭の中から理性やら集中力やら全てを奪いとって,重力や常識や不安やら何やら全てから解放してくれる,睡魔。こんにちは。

君に逢いたくて僕は努力をしていたわけではないんだ。だけれども,僕がやっていたことは全て君に逢うためにやっていたのかもしれない。それくらい,今となっては全てが君につながっているように思えてくるよ。

全てのことをそっちのけで,やりかけのことも,やらなければいけないことも全て放り出して。

俺は寝るぞ。

2010/08/06

気まぐれ

気まぐれなんだろうな,と思う。
もっとひどいのは,共通の土台なんてほとんどないのだ。

僕が知っていることをある人が知らないのは,出会う機会がなかったのか,面白さを伝えてもらえなかったのか,それとも,興味がなかったのか,どれかなのだろう。

他の人が知っていることを僕が知らないのは,出会う機会がなかったのか,面白さを伝えてもらえなかったのか,それとも,興味がなかったのか,どれかなのだろう。

わかってはいるのだが,テレビを見ないと,テレビの話にはついていけないし,テレビが垂れ流す様々な情報にもついていけないのである。

ここまで見なくなったのは,初めて。

怖いのは,いつの間にかついていけなくなっていることにすら,気がつかないのだ。

世の中というのは,なくても生きていけるもので満ち溢れているのだが,一旦離れると全くついていけなくなるもので満ち溢れているような気もする。

2010/08/05

頑張れ

新聞をとっているのはいいのだが,最近読む時間がなかなかない。読む時間はあるはずなのだが,どうも読みそびれてしまうのだ。

それで,最近は,週末など,時間があるときに,まとめて読むことが多いのである。

先月末まで,ノーベル賞をとったクラゲ博士,下村脩さんがコラムを書いていたのだが,そのなかで,心を打たれた。

研究で成果が出ず,行き詰ったらどうすればいいのか,という質問に対し,彼の答えは,「がんばれ,がんばれ」だったのだそうだ。

がんばれが一つではなくて,二つあるあたりが,神のなす技。

上手くいくかわからないようなものに一生懸命になるのが,人生でしょう。
その典型は恋愛じゃありませんか。誰にだって経験あるでしょう。

またこんなことも言っている。
「すぐにあきらめたり,他のことに移ってしまったりするのは,それはそのことが本当にやりたかったことにはならないのではなかろうか。」


なんて,触発されて色々考えて,汗水たらして暑いぞ前橋。

2010/08/04

ミスター飲んだくれ

だははははは。飲んでしまった。チッキンドランカーなり。
いやね,これは初めてですよ。
一人暮らしを初めて初めて初めて初めてですよ。
ひとりで飲むなんて。
ずっとやってないんですよ。正直に申し上げて。

なんでかしらんが,同仕様もなくワインが飲みたくなったわけです。こう暑いとね。
なんででしょう。普通暑いといったらビールでしょう?ビールじゃなくても炭酸でしょう?
だけれども,ビールでも炭酸でもなくて,しかも白ワインでもなく,赤ワインなのですよ。常温の生ぬるい赤ワイン。
これがどうしても飲みたくなってしまったのですよ。

ずっとがまんしてたんですよ。

栓抜きがないから飲めないって言い聞かせて。

でも,気づいたら,百円ショップで買ってたんですよ。ビニール袋の底に,入ってたんですよ。自分でも覚えがない。

で,それでもガマンしてガマンして,それはもう我慢して。
店に行くと,円高還元せーる!!!!なんて大騒ぎしてるから,ワインとか安いわけですよ。もう。
1000円しないで買えるんですよ。

だけれども,我慢してたんですよ。


が,ついに今日,しかも店が閉店する5分前に,自転車転がして,行ってしまった。
なぜそんなギリギリに駆け込むのか。
いつもなら,10分悩んで買わないで帰れるから。


だけれども,今日は。

即決。

安物ワイン購入。

夕飯食べたら,満足して,もういらないかと思ったのに,どうしても我慢できなくて,やっぱり。

栓抜きをコルクに刺して,ポン。

ポン。

ああ,この音が,たまらない。全ての理性が飛んでいく音だ。

意外とうまい。

だあ,こうなると,チーズが欲しくなる。パンが食べたくなる。

だが,チーズもパンもない!!!

あるのは,トーメイトウ。でもさっき食べたぞ,冷やしトマトサラダを食べたぞ。どうするどうするどうするニッポン。

高崎ハムをもう一枚食べてしまうか。

うまかった。さっき食べたぞ。夕飯で。どうして。
どうして夕飯を食べながら飲まなかったんだ。
なぜ食後に赤ワインなのだ。

そうだ。冷凍ハバナーナがあるじゃないの。最後の一本だけど。
いきますか。いっちゃいますか。
でもワインですよ。

おおおおおお。思い出した!!!!!
オリーブの実が,冷蔵庫の奥底に沈んでいる。半年前のだが,大丈夫だろう。いっちゃいますか。
これっきゃないですよ。

むふふ。

続きはまたあとで。


だあ。オリーブ食べ過ぎた。気持ち悪い。

バナナ食べよ。

2010/08/03

都会に半分

ニュースによると,三大都市圏に日本の人口の半分がいるのだそうだ。

恐ろしい。

群馬にいるうちに,人が多いのが怖く感じるようになってきてしまった。
群集の力というものを感じ取るようになったのではないかと思う。
このおそれというのはどこからやってくるのだろうか。
たぶん,一人ひとりが意思を持っているようには見えないのに,まとまって同じ行動を取っているように見えることにあるのだろう。まさに,群れ。


いつだったか,群集暴徒論だかなんだかを判決で述べた裁判官がいて,信じられないというコメントを多くの人達が残しているのだけれども,それはきっと,あまり人の多く無い地域に長いこと住んでいた裁判官に違いない。

それにしたって,日本を襲うのは簡単だ。東京と名古屋と大阪にミサイルを撃ちこめば,おわりだ。いや,東京だけで十分だ。

2010/08/02

検事さん

検察官になるのも面白そうだと,実は前々から思っていました。

だけれども,検察官にはなれないことがわかりました。

それでいいのだ。

僕は枠におさまらないのだ。

2010/08/01

靴にカビが生えました。
高校生の時から履いていたから,10年以上履いていたと思う。
かかと部分の皮はもう擦り切れていたし,糸もほつれていた。
靴底も,凹凸がなくなっていた。
修理を頼もうとしたら,靴底とかかと部分の革の張り直しで,買った時より高くなると言われていた。
それじゃあ本当に履けなくなるまで履いてやろうと履いていたのである。

先日,大雨の中で履いて,急いでいたためそのまま脱ぎ捨てて東京に戻って,そして前橋に戻ってきたら,カビが生えていた。

思ってもみないところで,力尽きてしまった。

結構カビが生えていたので,さすがにカビを綺麗に取る気にもなれず,あきらめてバイバイすることにした。

リーガルの靴って,10年以上もつのだからリーガルの靴を買いなおそう,そう思ったのだが,夏のバーゲン終盤で,セール品がほとんどなくなっていた。セール中にセール除外品を買うのはなんとなく気が引ける。

で,結局ABCマートにいってしまった。

ホーキンスとやらは,どれくらいもつのだろうか。
リーガルの靴は,1万5千円で10年持ったのだから,1万円のホーキンスの靴は,7年はもってくれないと元が取れない。

古い靴を履いて行って,靴屋で新しい靴に履き替えて,古い靴をそのまま置いて来た。

新しい靴が増えた。
それなのに,玄関にいくと,なんとなく寂しい。

2010/07/31

せっけん

体を洗う石鹸がなくなった。
暑いのでスースーする液体石鹸を買って使ってみたら,スースーしすぎて寒いのである。

2010/07/30

勘違い

家に帰ったら,電気が付いていた。
誰かが家にいるのかな,とちょっとわくわくしたのだが,ただ電気を消し忘れただけだった。

どうしてワクワクしたのだろう。

2010/07/29

にく

肉食べると元気が出る。
素晴らしい。

2010/07/28

愛するということーエーリッヒ・フロム



エーリッヒ・フロムといえば,自由からの逃走を書いたことで有名だ。買ったものの読んでないけれど。じつは古本で買ったら埃っぽくてページを開くたびにくしゃみが出るから読めなかったのだ。

という訳で,彼の著作を読むのはこれが初めて。
それにしたって,結構いいことが書いてあると思う。

愛するということは,行為であって,愛されるのと愛することを混同してはならないし,大切な一人を愛することは,その背後にいる「人一般」を愛するということなのだ,とか,性的欲求は合一性を求めるものだけれどもそれは愛と重なり合う部分があるけれど同一ではないだとか,自己愛を否定するのは人間愛を否定するのと同じだとか,ふむふむなるほど,と思ってしまうのである。

人を愛するのは難しいね。
自分を含めて,人間というのは,複雑すぎるからね。

2010/07/27

人間やめる気ですか

買い物の帰りに,ふと本屋に立ち寄った。
しばらく本を読んでいないことを思い出した。
面白そうな本をいくつかパラパラとめくったが,字を読んでも引き込まれなくなっていた。
本を閉じて,書棚を歩いていると,沢山の本がこちらを見ながらヒソヒソ話をしているようだった。
あの人,人間やめたらしいよ。もう本読めないんだって。

文章という,心に触れる芸術品を感じることができなくなったら,人間やめたも同じ。言葉があって初めて,言葉のない世界を自分なりに理解することができるし,感動することができる。

今使っている言葉は,言葉ではなくて記号であって,排出されることなくどこまでも心を蝕んでゆく鉛のような存在だ。

何とかしなければならない。

そう思って,書棚から漏れる陰口に対抗するかのように3冊の本を買った。

そのうちの一冊は,「愛するということ」エーリッヒ・フロム。

最初の20ページで,心を揺さぶられた。
僕は多くのことを忘れ始めている。
だがすべてを忘れてしまう前に,救いの手を差し伸べてくれる何かがある。

2010/07/26

わかってほしい

わかってほしいけど,わかってほしくない。

2010/07/25

盛りだくさんの一日

朝,ユニクロでシャツと帽子を買おうと家を出て,自転車で走っていって,道を間違えてバッティングセンターに着く。
あわてて道を引き返し,ユニクロに着くまで30分。炎天下。
ほしいものセールしていなかったし。帽子はないし。
落胆。

昼,気温35度を越える中,ソフトボール大会。
ソフトボール,野球は小学校の球技大会以来。
キャッチャー2試合連続。
ランニングホームラン。
帽子が買えなかったからタオルを巻いて出場。1人で土木作業員風。だけどそういうの好き。

夕方懇親会。懇親会終わって会場を出ると雷大雨。ずぶぬれ。自転車のチェーンが外れる。さらにずぶぬれ。
ダッシュで家に帰って着替えて,高崎線に乗り込む。前橋駅は,あちこち雨漏り。

熊谷の手前で,電車が止まる。踏切が雷で故障。2時間待ち。走ったと思うと,今度は線路に人が立ち入り。だけど,車両にトイレがあるし,混んでないから別に問題ない。

が,実家に帰れなくなりそうになる。
携帯で色々調べるが,どうも駄目そうだ。

ままよ。

が,高崎線頑張る。なんとか帰れそう。
しかし今度は,携帯の電池切れ。

運を天に任せる。

ゴール。

実家に帰ってテレビをつけたら大相撲。
白鵬新記録。

やっぱり面白いじゃんね。

2010/07/24

君が嫌いなわけではないんだ

君が嫌いなわけではないんだ。だけれども,君を生かしておくわけにはいかないんだ。

暑い暑い毎日,夜窓を開けても,なかなか外の涼しい空気が入ってこない。網戸まで開けると心なしか涼しい風が入ってくる。そんなわけで網戸を開けた瞬間,君は入ってきたね。

君に悪意がないことは分かっているし,好き好んでこっちに来たわけでないのも知っている。
だけれども,君が部屋に入ってくることは,許されないんだ。

どうにかして君を捕まえて殺してしまわなければ,私の生活は,大変なことになってしまう。

だから,必死になって,君をたたき潰したのです。

地球上の生物の先輩として,君を尊敬しなければいけないのは分かっている。
だけれども,人と虫は,一緒に生きていくのがとても難しい関係なんだ。

ごめんなさい。

ごきちゃん。

2010/07/23

冷凍バナナ

スイートスポットとかいうのだろうか,バナナに黒い斑点がたくさん出た状態で,2袋100円で売っていた。思わず買ってしまったが,腐る前に美味しく食べられるのは,せいぜい2本だろう。

朝バナナとか,昼飯バナナ,とかすれば,結構減るだろうが,たらふく食べるとなると最後の方は結構飽きてくる。どうしたものだか,買ってからしばし考えていた。

そういえば何処かで誰かが冷凍バナナにすればいいと言っていたような気がしてきた。

そこで房ごと冷凍庫に突っ込んで,しばらくたってからふとネットを調べると,皮を剥いて冷凍するらしいとわかった。輪切りにしておくと,もっとデザートっぽく食べやすくなるらしい。

そこで,冷たくなったバナナを慌てて冷凍庫から引っ張り出し,半分は,皮を向いた状態で,残る半分は輪切りにして冷凍することにした。

今日,あまりの暑さにもう食欲も何もなくなって,とりあえず,バナナ。

ひんやりしていてなんか元気になった。

冷凍バナナ万歳。

2010/07/22

村上春樹の講演について

たまたま,村上春樹のエルサレムでの講演をネットで見つけた。
日本語訳も拝借した。
http://www.47news.jp/47topics/e/93925.php?page=all


“Jerusalem Prize” Remarks
Good evening. I have come to Jerusalem today as a novelist, which is to say as a professional spinner of lies.
Of course, novelists are not the only ones who tell lies. Politicians do it, too, as we all know. Diplomats and generals tell their own kinds of lies on occasion, as do used car salesmen, butchers and builders. The lies of novelists differ from others, however, in that no one criticizes the novelist as immoral for telling lies. Indeed, the bigger and better his lies and the more ingeniously he creates them, the more he is likely to be praised by the public and the critics. Why should that be?
My answer would be this: namely, that by telling skilful lies--which is to say, by making up fictions that appear to be true--the novelist can bring a truth out to a new place and shine a new light on it. In most cases, it is virtually impossible to grasp a truth in its original form and depict it accurately. This is why we try to grab its tail by luring the truth from its hiding place, transferring it to a fictional location, and replacing it with a fictional form. In order to accomplish this, however, we first have to clarify where the truth-lies within us, within ourselves. This is an important qualification for making up good lies.
Today, however, I have no intention of lying. I will try to be as honest as I can. There are only a few days in the year when I do not engage in telling lies, and today happens to be one of them.
So let me tell you the truth. In Japan a fair number of people advised me not to come here to accept the Jerusalem Prize. Some even warned me they would instigate a boycott of my books if I came. The reason for this, of course, was the fierce fighting that was raging in Gaza. The U.N. reported that more than a thousand people had lost their lives in the blockaded city of Gaza, many of them unarmed citizens--children and old people.
Any number of times after receiving notice of the award, I asked myself whether traveling to Israel at a time like this and accepting a literary prize was the proper thing to do, whether this would create the impression that I supported one side in the conflict, that I endorsed the policies of a nation that chose to unleash its overwhelming military power. Neither, of course, do I wish to see my books subjected to a boycott.
Finally, however, after careful consideration, I made up my mind to come here. One reason for my decision was that all too many people advised me not to do it. Perhaps, like many other novelists, I tend to do the exact opposite of what I am told. If people are telling me-- and especially if they are warning me-- “Don’t go there,” “Don’t do that,” I tend to want to “go there” and “do that”. It’s in my nature, you might say, as a novelist. Novelists are a special breed. They cannot genuinely trust anything they have not seen with their own eyes or touched with their own hands.
And that is why I am here. I chose to come here rather than stay away. I chose to see for myself rather than not to see. I chose to speak to you rather than to say nothing.
Please do allow me to deliver a message, one very personal message. It is something that I always keep in mind while I am writing fiction. I have never gone so far as to write it on a piece of paper and paste it to the wall: rather, it is carved into the wall of my mind, and it goes something like this:
“Between a high, solid wall and an egg that breaks against it, I will always stand on the side of the egg.”
Yes, no matter how right the wall may be and how wrong the egg, I will stand with the egg. Someone else will have to decide what is right and what is wrong; perhaps time or history will do it. But if there were a novelist who, for whatever reason, wrote works standing with the wall, of what value would such works be?
What is the meaning of this metaphor? In some cases, it is all too simple and clear. Bombers and tanks and rockets and white phosphorus shells are that high wall. The eggs are the unarmed civilians who are crushed and burned and shot by them. This is one meaning of the metaphor.
But this is not all. It carries a deeper meaning. Think of it this way. Each of us is, more or less, an egg. Each of us is a unique, irreplaceable soul enclosed in a fragile shell. This is true of me, and it is true of each of you. And each of us, to a greater or lesser degree, is confronting a high, solid wall. The wall has a name: it is “The System.” The System is supposed to protect us, but sometimes it takes on a life of its own, and then it begins to kill us and cause us to kill others--coldly, efficiently, systematically.
I have only one reason to write novels, and that is to bring the dignity of the individual soul to the surface and shine a light upon it. The purpose of a story is to sound an alarm, to keep a light trained on the System in order to prevent it from tangling our souls in its web and demeaning them. I truly believe it is the novelist’s job to keep trying to clarify the uniqueness of each individual soul by writing stories--stories of life and death, stories of love, stories that make people cry and quake with fear and shake with laughter. This is why we go on, day after day, concocting fictions with utter seriousness.
My father passed away last year at the age of ninety. He was a retired teacher and a part-time Buddhist priest. When he was in graduate school in Kyoto, he was drafted into the army and sent to fight in China. As a child born after the war, I used to see him every morning before breakfast offering up long, deeply-felt prayers at the small Buddhist altar in our house. One time I asked him why he did this, and he told me he was praying for the people who had died in the battlefield. He was praying for all the people who died, he said, both ally and enemy alike. Staring at his back as he knelt at the altar, I seemed to feel the shadow of death hovering around him.
My father died, and with him he took his memories, memories that I can never know. But the presence of death that lurked about him remains in my own memory. It is one of the few things I carry on from him, and one of the most important.
I have only one thing I hope to convey to you today. We are all human beings, individuals transcending nationality and race and religion, and we are all fragile eggs faced with a solid wall called The System. To all appearances, we have no hope of winning. The wall is too high, too strong--and too cold. If we have any hope of victory at all, it will have to come from our believing in the utter uniqueness and irreplaceability of our own and others’ souls and from our believing in the warmth we gain by joining souls together.
Take a moment to think about this. Each of us possesses a tangible, living soul. The System has no such thing. We must not allow the System to exploit us. We must not allow the System to take on a life of its own. The System did not make us: we made the System.
That is all I have to say to you.
I am grateful to have been awarded the Jerusalem Prize. I am grateful that my books are being read by people in many parts of the world. And I would like to express my gratitude to the readers in Israel. You are the biggest reason why I am here. And I hope we are sharing something, something very meaningful. And I am glad to have had the opportunity to speak to you here today. Thank you very much.

 こんばんは。わたしは今日、小説家として、つまり嘘を紡ぐプロという立場でエルサレムに来ました。
 
 もちろん、小説家だけが嘘をつくわけではありません。よく知られているように政治家も嘘をつきます。車のセールスマン、肉屋、大工のように、外交官や軍幹部らもそれぞれがそれぞれの嘘をつきます。しかし、小説家の嘘は他の人たちの嘘とは違います。小説家が嘘を言っても非道徳的と批判されることはありません。それどころか、その嘘が大きければ大きいほど、うまい嘘であればいっそう、一般市民や批評家からの称賛が大きくなります。なぜ、そうなのでしょうか?

 それに対する私の答えはこうです。すなわち、上手な嘘をつく、いってみれば、作り話を現実にすることによって、小説家は真実を暴き、新たな光でそれを照らすことができるのです。多くの場合、真実の本来の姿を把握し、正確に表現することは事実上不可能です。だからこそ、私たちは真実を隠れた場所からおびき出し、架空の場所へと運び、小説の形に置き換えるのです。しかしながら、これを成功させるには、私たちの中のどこに真実が存在するのかを明確にしなければなりません。このことは、よい嘘をでっち上げるのに必要な資質なのです。

 そうは言いながらも、今日は嘘をつくつもりはありません。できる限り正直になります。嘘をつかない日は年にほんのわずかしかないのですが、今日がちょうどその日に当たったようです。

 真実をお話しします。日本で、かなりの数の人たちから、エルサレム賞授賞式に出席しないように、と言われました。出席すれば、私の本の不買運動(ボイコット)を起こすと警告する人さえいました。これはもちろん、ガザ地区での激しい戦闘のためでした。国連の報告では、封鎖されたガザ市で1000人以上が命を落とし、彼らの大部分は非武装の市民、つまり子どもやお年寄りであったとのことです。

 受賞の知らせを受けた後、私は何度も自問自答しました。このような時期にイスラエルへ来て、文学賞を受けることが果たして正しい行為なのか、授賞式に出席することが戦闘している一方だけを支持しているという印象を与えないか、圧倒的な軍事力の行使を行った国家の政策を是認することにならないか、と。もちろん、私の本がボイコットされるのは見たくはありません。

 しかしながら、慎重に考慮した結果、最終的に出席の判断をしました。この判断の理由の一つは、実に多くの人が行かないようにと私にアドバイスをしたことです。おそらく、他の多くの小説家と同じように、私は人に言われたことと正反対のことをする傾向があるのです。「行ってはいけない」「そんなことはやめなさい」と言われると、特に「警告」を受けると、そこに行きたくなるし、やってみたくなるのです。これは小説家としての私の「気質」かもしれません。小説家は特別な集団なのです。私たちは自分自身の目で見たことや、自分の手で触れたことしかすんなりとは信じないのです。

 というわけで、私はここにやって参りました。遠く離れているより、ここに来ることを選びました。自分自身を見つめないことより、見つめることを選びました。皆さんに何も話さないより、話すことを選んだのです。
 ここで、非常に個人的なメッセージをお話しすることをお許しください。それは小説を書いているときにいつも心に留めていることなのです。紙に書いて壁に貼ろうとまで思ったことはないのですが、私の心の壁に刻まれているものなのです。それはこういうことです。

 「高くて、固い壁があり、それにぶつかって壊れる卵があるとしたら、私は常に卵側に立つ」ということです。

 そうなんです。その壁がいくら正しく、卵が正しくないとしても、私は卵サイドに立ちます。他の誰かが、何が正しく、正しくないかを決めることになるでしょう。おそらく時や歴史というものが。しかし、もしどのような理由であれ、壁側に立って作品を書く小説家がいたら、その作品にいかなる価値を見い出せるのでしょうか?

 この暗喩が何を意味するのでしょうか?いくつかの場合、それはあまりに単純で明白です。爆弾、戦車、ロケット弾、白リン弾は高い壁です。これらによって押しつぶされ、焼かれ、銃撃を受ける非武装の市民たちが卵です。これがこの暗喩の一つの解釈です。
 
 しかし、それだけではありません。もっと深い意味があります。こう考えてください。私たちは皆、多かれ少なかれ、卵なのです。私たちはそれぞれ、壊れやすい殻の中に入った個性的でかけがえのない心を持っているのです。わたしもそうですし、皆さんもそうなのです。そして、私たちは皆、程度の差こそあれ、高く、堅固な壁に直面しています。その壁の名前は「システム」です。「システム」は私たちを守る存在と思われていますが、時に自己増殖し、私たちを殺し、さらに私たちに他者を冷酷かつ効果的、組織的に殺させ始めるのです。

 私が小説を書く目的はただ一つです。個々の精神が持つ威厳さを表出し、それに光を当てることです。小説を書く目的は、「システム」の網の目に私たちの魂がからめ捕られ、傷つけられることを防ぐために、「システム」に対する警戒警報を鳴らし、注意を向けさせることです。私は、生死を扱った物語、愛の物語、人を泣かせ、怖がらせ、笑わせる物語などの小説を書くことで、個々の精神の個性を明確にすることが小説家の仕事であると心から信じています。というわけで、私たちは日々、本当に真剣に作り話を紡ぎ上げていくのです。

 私の父は昨年、90歳で亡くなりました。父は元教師で、時折、僧侶をしていました。京都の大学院生だったとき、徴兵され、中国の戦場に送られました。戦後に生まれた私は、父が朝食前に毎日、長く深いお経を上げているのを見るのが日常でした。ある時、私は父になぜそういったことをするのかを尋ねました。父の答えは、戦場に散った人たちのために祈っているとのことでした。父は、敵であろうが味方であろうが区別なく、「すべて」の戦死者のために祈っているとのことでした。父が仏壇の前で正座している後ろ姿を見たとき、父の周りに死の影を感じたような気がしました。
 
 父は亡くなりました。父は私が決して知り得ない記憶も一緒に持っていってしまいました。しかし、父の周辺に潜んでいた死という存在が記憶に残っています。以上のことは父のことでわずかにお話しできることですが、最も重要なことの一つです。

 今日、皆さんにお話ししたいことは一つだけです。私たちは、国籍、人種を超越した人間であり、個々の存在なのです。「システム」と言われる堅固な壁に直面している壊れやすい卵なのです。どこからみても、勝ち目はみえてきません。壁はあまりに高く、強固で、冷たい存在です。もし、私たちに勝利への希望がみえることがあるとしたら、私たち自身や他者の独自性やかけがえのなさを、さらに魂を互いに交わらせることで得ることのできる温かみを強く信じることから生じるものでなければならないでしょう。
 
 このことを考えてみてください。私たちは皆、実際の、生きた精神を持っているのです。「システム」はそういったものではありません。「システム」がわれわれを食い物にすることを許してはいけません。「システム」に自己増殖を許してはなりません。「システム」が私たちをつくったのではなく、私たちが「システム」をつくったのです。
 これが、私がお話ししたいすべてです。
 
 「エルサレム賞」、本当にありがとうございました。私の本が世界の多くの国々で読まれていることはとてもうれしいことです。イスラエルの読者の方々にお礼申し上げます。私がここに来たもっとも大きな理由は皆さんの存在です。私たちが何か意義のあることを共有できたらと願っています。今日、ここでお話しする機会を与えてくださったことに感謝します。ありがとうございました。(仮訳=47NEWS編集部)

2010/07/21

目が覚める瞬間

夢の世界が180度回転して,地平線の下から現実の世界が浮き上がってくる。

2010/07/20

桜が泣く頃

桜が泣く頃,目が覚める。

2010/07/19

涙腺

妙に涙もろい時がある。
こんな泣き虫だったかなあと思う。
変なところで変なことに感動してしまったり,感極まってしまったり。

自分ができないのはよくわかっているので,周りからひどい評価を受けているのは仕方ないと思っている。
だけど,何処かで誰かの役に立ちたいなんて,ちょっぴり野望をいだいていたりして。

でも本当は,人から感謝されることがないくらい自然に人を助けたいなんて思ったりしていて,自分がやりたいことってなんなのだろうなんて,真剣に考えてしまったりする。

涙が出る時ってどういう時なのだろうと,考え出すと,結構難しい。

きっと僕はもう変われないのだろう。変わろうともしないのだろう。
ずいぶん昔に僕自身が決めた僕の姿に,どこまでも縛られて,それでいいのだと,誰かに言ってもらいたくて,僕自身がそんな自分を認めた瞬間になんとなく涙が出てくるのかなあと思う。

人間は考える葦であるなんてパスカルが言っていたけれど,本当に,風が吹けば折れてしまい,日照りにあえば干からびてしまい,外の環境に振り回されているようで,根っこが沼の底にひっついていてそこから動こうとはしない。それでじっと考えているんだろう。どれだけの洪水が来ようと,流されないのが,人間なのかも知れない。

2010/07/18

幸福を感じる瞬間

夕飯を食べているとき。
しかも,自分で好きなものを作ってそれが上手くいったとき。
食べたいものがなければ作ればいいじゃん。材料はどこにでもある。

最近,ユーロ安のためか,ワインがやたら安く売っている。
一人で酒を飲もうなんて,露程も思わなかったのであるが,最近,1000円を切るワインを見ると,どうも飲みたくなってしまうのである。毎回,30分くらい格闘して,買わずに店をでる。ガッツポーズをしながら。今日も誘惑に勝てた,などと言いながら。

今日は,ワインの誘惑に何とか勝って,隣にあったグリーンカレーの素を200円で買ったのである。

2010/07/17

連休

どこに行くかが問題なんじゃない。ハートの問題だ。

2010/07/16

のんびりと物事を考える時間

よくわからないが,多少疲れが溜まっていて,他にやることがあるけれどやる気が起きなくて,だけれでも,すぐ寝てしまうわけではなくて,ただただ時間だけが過ぎていくようなときに,流れていく景色を見ながら,ぼうっとしていると,色々なことが頭をめぐって,どこまでも打ち沈んでいくかと思うと,ふわっと急に浮かび上がってどこまでもどこまでも高く登り,空の色を真ん中からオレンジ色に染め上げたかと思えば,地平線の際はもう真っ暗闇の一歩手前で紫色のカーテンがかかっている,もうそれは自分の上だけが火に照らされているかのような気分になり,光あれなんて叫んでみても,しばらくたつと灼熱地獄で闇の中に逃げ込みたくなる,そんな事ばかり考えているうちに,地平線の際にあったはずの闇のカーテンがものすごい勢いで取り囲んできて,逃げ道がなくなって僕はそれに逃げようと,一生懸命ジャンプしてジャンプして助走をつけてジャンプして,汗だくになってジャンプした瞬間に闇に包まれ,闇のなかで光を発する自分を見つけてほっとするのだけれど,自分の光では一歩先しか見えないことにむしろ闇と一体化するよりも恐ろしい恐怖を覚えて,だから他に輝く光を求めて闇の中をさまよい続けるのだけれど,それは本当は違うのであって,ただ部屋に閉じ込められただけなのだから,出口の扉を開けさえすれば,また光の世界に戻れるのだ。

などというような意味不明なことをのんびり考える時間が必要だ。

2010/07/15

7割諦め・3割期待

3割打者であっても,7割は憂鬱だなんて誰かが言っていたっけ。

僕のやることの7割は無駄だ。でも,3割がミラクルだ。

それぐらいの気持ちでいよう。

2010/07/14

ないよ

今日は,7月14日。ないよ。

さて寝るか。

2010/07/13

買い物

人と話をしていてふと気づいたのだが,最近の一番の買い物は,年末に買った電子ピアノ2万3千円なのである。

それなのに,お金がたまらないのは,無駄遣いしているからなのである。

何に使っているのだろうか。

もうわたくし,群馬に染まってきているのであります。車が欲しい。車がないと生きていけないのではないかという気がしてきたのであります。

しかし,高すぎる。なんでこんな高いものを,群馬の人たちはみんな乗り回しているのだろうか。

2010/07/12

ちばけいこ

なんと,千葉景子が落選したなんて驚きだ。

夫婦別姓やら,いろいろ革新的なことをやろうとしていたから期待していたのに。

世の中ってよくわからない。

2010/07/11

どこまでもどこまでも繰り返す

形式的なミスが多いと指摘されてばかりだ。
残念ながら,同じことを繰り返すようになんて僕の頭はできていないのだ。

同じことは二度とくりかえさない。同じことは二度と繰り返せない。

成功であっても失敗であっても。

2010/07/10

閉じてゆく扉

不思議なことに,扉がとじてゆくときというのは,最後の閉じる瞬間,一筋の光が見えるところばかりがスローモーションで流れていくような気がする。

科学的に検証すれば,指を挟まないように扉が閉じる瞬間だけゆっくりになるように作られているのだと言われてしまうのかも知れないが,そうでなくても,私たちの感覚として,最後の一筋の光だけが矢鱈と印象に残るのではないかと思う。

年齢や時の流れとは関係なく,環境というものによって,かつては溢れ出てくる泉のようにどこからともなく湧いて溜り,辺り一帯を潤していたはずなのに,泉がだいぶ小さくなって漸く,ずいぶん前から湧き出るものがなくなっていたことに気づいたりするのだ。

泉が乾ききる瞬間,扉が閉じる瞬間のように,一筋の光が見える。

いつかまた何処かで誰かに触れられた瞬間に,何事もなかったかのように,全てが流れだすのを,信じている。

2010/07/09

ドーナツ

最近,たまにドーナツを買う。
1個だけ買うのが恥ずかしくて,つい2個買ってしまう。
お腹が減った帰り道にドーナツを買うのだけれど,夕飯を食べ終わるとお腹がいっぱいになって,ドーナツなんていらない気がしてくる。
1個だけだったら,次の日に残しておいてもいいのだけれど,2個買ってしまったので,ちょっと無理して1個食べる。

甘い物は別腹。
スルッとお腹に収まって,言いようもない満足感。

ドーナツを食べて世界平和。

2010/07/08

上野行きの最終電車

飲み会の帰り,家のドアを開けようとしたら,ちょうど上野行きの最終電車が前橋駅を出て行った。
前橋の暗い夜に,上野という電車の表示が明るく浮かび上がって,けれども車内には人が殆ど見えない。
乗って帰りたいなという思いがふと浮かんだが,いつの間にか最終電車はなくなっていた。

飲んだ帰り道は,いつもほんの少し寂しい。

2010/07/07

七夕

七夕祭りが全国で行われている。
短冊に願い事。

今年の願い事は何にしようか。

2010/07/06

明日はなんの日

たなばたさま。
東京にいる時よりは,星空が近いような気がする。

そうなのだけれど,東京にいる時よりも,夜は家にいることが多い。

都会の夜は,明るすぎて,星空が見えない。
田舎の夜は,暗すぎて,外に出る気がしない。
丁度いいのは群馬県。

少し見えを張ってみた。

2010/07/05

忘れているならそれはニセモノだ

覚えているならそれは本物だ。
忘れているならそれはニセモノだ。

2010/07/04

携帯

落としたら,電池カバーの爪が折れてしまった。テープで止めて使い続けることにしよう。
よくみるとこの携帯もずいぶん傷が付いている。
だけど,動くし,不便していない。

でも,そろそろ買い替えかな。

2010/07/03

男だったことを思い出す瞬間

胸の谷間に目がいく時。

2010/07/02

暑い

あついあついあついあついあついあついあついあついあついあついあついあいついあういたういついあういついあういあついあいうちうあいついあういつあいうちあういあうちあたつあいうちあうたいうたいうたいうたいつあい。

2010/07/01

夏の訪れ

7月になると夏がきたような気がしてくる。これは不思議なことだ。

夏になって起こる変化は,朝ごはんだ。
温かい御飯が暑苦しく感じるようになる。
コーンフレークを食べるようになるのだ。

しかし,今年はどうか分からない。
自分の財布と相談だ。

2010/06/30

6月終わり

今日で6月も終わり。1年も半分終わり。早いものだ。
この半年で僕はどれだけ変化しただろうか。

2010/06/29

いか

着実に料理のネタを増やしている早稲田太郎です。

イカに挑戦しました。

イカの捌き方からわからず,スポッと抜くところは簡単にできたし,いかトンビも簡単に取り出せたのですが,目玉をほじくるのはどうやってもできませんでした。

煮ているうちに,イカの匂いに惚れてしまいました。

食べたくなるものは体が欲しているもの,と思い込んでいますが,食べたくなるものがどんどん広がっていくというのは,我々の胃袋は,好奇心の塊なのだと思うわけです。

2010/06/28

都市部への人口集中

都市部への人口集中はいつまでも続くのだろうか。
そうすると,地方はどうなるのだろうか。

どこにいてもそれなりに楽しんでしまうこの性格,いいのか悪いのかわからなくなってくる。

2010/06/27

勉強

最近していない。
いわゆる学術的な勉強をしていない。

人生勉強はたくさんしている。

物事というのは真剣に考えるほどよくない方向にいくような気がしてきた。

2010/06/26

やっとわかった

何をしたいかやっとわかりました。

ちょっと変わったことがしたいんです。

以上。

ではなくて,そうすると,僕は何をしたらいいのでしょうね。

2010/06/25

男ならはっきりせい

すんません,ぐずぐずしてて。

最近自分がよくわからんとです。

2010/06/24

小さく傷つくこと

空いている電車に乗っていて,僕の隣と向かい側の席が空いているとき,歩いてきた女性が,僕のほうをちらりと見て,僕の隣ではない席に座ったとき,小さく傷つく。

今度は笑顔で挨拶しよう。

2010/06/23

腐りかけがうまい

味噌汁を腐らせた話は以前しましたが,最近思うのは,腐りかけがうまいということです。
特に果物は,半分腐ってお酒の味がするようになったぐらいが一番美味しいです。
ただ,食べた後,お腹を壊さずに済むか,お腹をこわすかは,賭けの要素が大きくなります。

聞くところによると,肉もそうだとか。

なんでもかんでも,腐りかけが美味しい。

人間も,腐りかけが美味しい。

2010/06/22

ずばり~でしょう

丸尾くんのように,「ずばり~でしょう」ということができたら,カッコいいだろうなあと思う。
花輪くんのように,あれ,花輪くんってなんて言ってたっけ?
野口さんのように,クックックと笑ったらカッコいいだろうなあと思う。
玉ねぎ頭みたいに,ぶーと言ってたら,カッコワルイと思う。

なんでもいいのだが,口癖というのは,気づくと面白い。

2010/06/21

アンケートに出ていた夢

若者へのアンケートで,夢を聞いたところ,安定した生活,幸せな家庭,そして社会貢献という上位3位が出た。

夢って言うことは,現実にはそうでないということなのだろう。

不安定な生活,不幸せな家庭,そして,社会貢献できず。

若者っていうのは,なかなか悲観的だ。

2010/06/20

慣れというもの

久しぶりに借り物のパソコンを使うと,ずいぶん不便に感じる。自分のパソコンに慣れてしまったのだろう。
自分のパソコンといっても,よく使うパソコンというのは数台あるわけで,使用頻度も含めて色々使っているから大丈夫だと思っていた。ところが使えない。

色々やっているつもりでも,実はかつてやったことのあるものをもう一度やっているだけ。真の意味で新しい挑戦をしていることはあまりないのだ。

六法も,ひとつのものに慣れてしまうのが嫌で,一時期は1年ごとに出版社を変えるようにしていた。しかし,2年同じ出版社のを使ってしまったら,もう他のが使えなくなってしまった。

柔軟さというのも,どんどん錆付いてしまうのである。

久しぶりに何かに出会ったとき,以前よりも成長していたいものだ。
初めて出会ったとき,楽しくいたいものだ。

2010/06/19

流される

流されやすい性格というわけではないとまでは言い切れないのだと思います。
誰だってそうだと思います。
流されるポイント,流されないポイントが人それぞれで違うだけなのではないかと思います。

2010/06/18

性格

性格というのは,おかれて環境によって全然違った表れ方をするのだと思います。
組織の中で自分のおかれる立場によっても違うだろうし,ある環境の中では,それまでたいして目立たなかった性格が際立つこともあるのだということです。

自分を生かせる場というのは,こういった自分の性格がどのように現れるかで決まってくるのではないかと思います。

僕が最近感じるのは,時間が守れないということ,スケジュール管理が苦手だということ,すぐ最初からやり直そうとすること,目的を忘れて,目の前のことにのめりこんでしまうこと。

私は,B型です。

2010/06/17

血液検査

献血はサービスで,簡単な血液検査をしてくれる。その結果が送られてきた。
半年前と比べると,ほとんどすべての数値が下がっている。説明を見てもなんの数値かよくわからないのだが,とりあえず健康なようだ。だが,こんな風な健康って,なんとなくタフさが足りない気がするのである。

なんとなく,ひん曲がってるのに,力強い山の中の木のほうが,優等生じみた真っ直ぐで綺麗な木より強そう。

だから,ちょっとばかし不健康になりそうなくらいが丁度いいと思う。

2010/06/16

干しタラ

面白そうだから買ってみたんだが,使い道が分からない・・・
ひょっとしてこいつも,ふえるワカメみたいに,水に戻すと巨大化するのだろうか。

どうしよう。水につけて寝て,朝起きて台所いったら,新巻鮭みたいになってたら。

2010/06/15

苔むす

苔むすムスムス蒸し暑い梅雨時の始まりでございます。
これはもう危険な香りが漂いまくっていて,もうなんというか,蒸し暑くて寝られない。窓開けて寝ると夜中に襲われる危険がある。特にわたくし,寝姿がセクシーなものですから,本当に襲われるかも知れません。
汗だく汁だくで寝るしかないかも知れません。

エアコンなんていうものがありますが,そんなものきっとカビキラーどころかカビ撒きラーになっていること間違いないので,怖くてつけられない。

人の体毛が薄くなったのは,放熱機能を高めることと,熱帯雨林の湿度で皮膚病にならないためなんだとか。

毛深い男には厳しい季節の到来です。

2010/06/13

パーマネント野ばら

いや~よかった。
菅野美穂が好きになった。
小川栄子も好きになった。
池脇千鶴も好きになった。

よく考えると御馬鹿なほどに完全に騙されてしまった。だけれども,だまされたからこそ楽しめたのだと思う。

恋愛映画なんて全然観なかったのだけれど,ちょっと認識を改めました。

最近のわたくしたちは,心がすこしばかり固くなっていて,能動的に感情が動くということが少ない気がする。映画などを通して,過去の記憶を追体験しつつ,共感して,そしてもう一歩振れ幅を大きくする。そんなものでしょうか。

恋愛というのは老若男女問わず,そして地域を問わず共通する話題。不思議なものだと思います。

寝ようと思って,電気を消して,音も光もなくなったら,急に映画を思い出して,もうひとつヒントがわかった。急に胸が苦しくなった。

2010/06/12

迎合するな

迎合するな,何事にも。
マスコミにも,周囲の人間にも。

ただ情報はそういったところから入ってくる。評価も入り混じって。
自分が直接手に入れた情報なんて殆どない。誰もが他人から見聞きした情報を伝えている。しかもそれに気づいていない。自分を含めて。
だが,情報を提供してくれたことに感謝しながら,自分なりの評価をしなければ。

そして,考えを変える事にこだわってはならない。だが,不合理な変遷は慎むべし。

なんちゃって。

2010/06/11

絆創膏

指を切りました。
ぺティナイフが折れたため,新しく三徳包丁を買ったところ,急に大きくなって扱いきれませんでした。といっても,キウイを手に乗せて切ろうとしたら勢いあまって指まで切ってしまったというなんとも情けない話です。

痛かった。

その包丁は切れないということです。買ったばかりでこの切れ味。最悪でございます。という訳で砥石を買いました。

ちょうど左手の薬指の第2関節のところに切傷ができてしまいました。普段は傷はそのままにしているのですが,切り傷でしかも手の内側,よく使うところなので,事あるごとに痛みます。痛むというのは傷が開いているということなので,ばい菌が入る可能性があるということ。そこで,絆創膏をしました。

絆創膏の使い道がよくわかったのでした。こういうときに使うものなのね。

ところで絆創膏のことを,絆創膏というのか,カットバンというのか,バンドエイドというのか,他にもいくつか言い方があったように思います。

かつてはこの呼び方の違いに,なんらかの地域的特徴があるのではないかと,興味津々だったのですが,最近は,どの呼び方にも共通する「バン」というのが何なのかが気になってきたところです。


「バン」ってなんだろう。

2010/06/10

地球の将来と日本の将来と僕の将来

全部ひっくるめて考える必要がある。かつて,ブッシュが大統領になったときに4年以内の戦争を予言した身としては,この世の未来を予言することが出来ないとは言い切れないかもしれなくもないだろうか。

地球の将来はどうなるだろう。
10年後,環境問題はさらに深刻化。特に種の多様性は失われるだろう。太陽の活動が弱まり,温暖化どころか寒冷化が始まる。中国で高齢化が始まる。アジアの新興国の一部は徐々に安定成長に入り,政治の腐敗が顕在化する。アフリカ,西アジアが新興国と呼ばれる時代がようやくくる。
20年後,全体的に安定成長期。先進国の力がどんどん弱まる。グローバル社会が,先進国が新興国に進出するというスタイルは少数派になる。

日本の将来はどうなるだろう。
10年後,人口減・高齢化社会がさらに進む。人は,都市部に集中する。東京は日本一の高齢化社会になる。そして,一部のグローバルな人々と,大多数のローカルな人々に別れてゆく。

僕の将来はどうなるだろう。


ああ,もっとまじめに考えよう。日本の将来と自分の将来。

2010/06/09

履歴書

志望動機
正直いうと特にありません。ないというよりもわすれてしまったのかも知れません。強いて言えば,会ってみたい,話を聞いてみたいと思ったくらいです。感銘を受けられるような人に出会えればいいなと思いました。

やりたい事
世界の平和に貢献する仕事がしたい。必要とされるところに身を置きたい。

自己PR
とりあえず元気です。色々手を出してみますが,極めるほどになることはあまりありません。かといって,飽きるわけでもなく,細く長く続けるものが多いような気がします。諦めが早いようで,あきらめが悪いような気もします。失敗するとすぐに元気がなくなってやる気が無くなることは多いのですが,それでもしつこくうじうじこだわったりすることが多いです。

2010/06/08

鼻風邪

鼻風邪ひきました。
女の人の鼻声はちょっぴり魅力的だかれど,アタクシの鼻声は全然魅力的ではございません。。

2010/06/07

判断要素

ものごとを上手く整理して判断するというのは難しい。
例えばある支えにしていたものが急にぶれ出すと,一気に判断が揺らぐことがある。重視しなくて良いものを重視するようになっていた事に気づいたりするのである。
いや,難しい。

日常的なことに限ってそうなのだから。

2010/06/06

掃除

部屋を掃除した。案外汚れていた。普通に使っているだけでこれだけ汚れるのだ。
ふと自分の体も生まれてから20数年,普通に使っているのだから結構汚れているのではないかと思った。建物で考えたらだいたい築30年,結構古いな。


自分の体も,掃除しつつ大事に使わなければなあと,急に思ったのだった。

2010/06/05

ホームレス

ホームレスがいるのは都会のしるし。

前橋にはひとりホームレスがいる。

しかし,なんだかずいぶん元気に自転車を乗り回している。
ホームレスじゃないんじゃないか。

それとも,明るいオタク,みたいな感じに前向きなホームレスなのかもしれない。

前橋はぎりぎり都会。

2010/06/04

生きててよかった

そんな瞬間。どこかにある。
どんな選択をしようとも,どんな結果になろうとも。
あるはずだ。

リスクをとらないリスク,というのが人生にはあるらしい。
何をリスクと考えるか人それぞれ違うだろうけれど,とりあえず頑張る。というのがいいところだろうか。

2010/06/03

友達とは

損得なしに付き合える人。それが友達。

突然それがしっくりきたのである。

不安にならない相手。

これもふと思いついたのである。

2010/06/02

三人虎を成す

中国の故事。ふと思い出すのだから面白い。
どこかの国の頭の良い人が,出かけるときに,皇帝にこういったんだっけ。
市場に虎がいると誰かがいったら信じますか?
皇帝は信じないと言った。
二人がいったら?
半信半疑。
三人がいったら?
信じる。

市場に虎がいるなんて,ありえないでしょう。そんな軽々しく信じてはいけません。私が出かけたら私の悪口をいう人が3人どころか沢山出てくると思います。でも,信じてはいけませんよ。

そう言ったのに,その人が帰ってきたら,門の中に入れてもらえなかった。

逆を言えば,その人の傍に,本当に信頼できる人が3人いてくれれば,なんとかなる。

2010/06/01

姫路獨協

法科大学院で初めての募集停止とのニュース。

多くの人は興味を持たない。
ごく一部の人は大騒ぎ。

世の中なんて常にそんなものだ。

2010/05/31

鼻血ブー

どうでもいいんですが,鼻血ブーってもう言わないですよね。
だけれども,急に口をついて出てしまうわけです。

そんなものです。


いや別に鼻血ブーなことがあったわけではありませんので。

2010/05/30

20歳の時に知っておきたかったこと



ブログをふらふら見ていたらふと目に留まって,アマゾンで買ってみた。
読んでいて勇気づけられることが多かった。
面白かったから一気に読めたのだけれど,もったいなくて,何回かに分けて,ちびちび読んでしまった。

失敗を恐れずがんばれってことだ。



本屋に寄ったら,平積みになっていた。

家庭科

一人暮らしに悦楽を覚え始めております。

あまりに日常的で,詰まらないようなひとつひとつのことができることがわかってなんとなく嬉しいわけです。

今日はボタン付けました。小学校の家庭科以来の裁縫で,玉止め,玉結びの作り方から忘れていたわけですが,ネットで調べ調べやりました。玉結びは結局良くわからなかったので,気合で瘤を作りました。やればできるじゃん,というのが正直な感想。

そしてカビ取り。なんだか台所付近がかび臭いなあと思っていたものの,どこにカビが生えているのかよくわからなかったのだが,今日犯人探しをしてやろうと思ったら,流しの下の戸棚,シートのしたにカビがわんさか生えていました。小宇宙さながらでした。宇宙から見たら我々もカビみたいなものなのだろう。地球なんていったら星の中でも随一のカビだらけ星なんだろうなあとカビだらけの戸棚を見ながら悠久たる宇宙に思いを寄せたのでした。

かつてカビが生えて真っ白になった篭手に手を突っ込んで剣道をして「手が雑巾臭くなった~」なんてハシャいでいた事を思い出しました。

どうでもいいのですが,かつてどうでもいいとか,なんの役に立つのだろうとか,余計なことに思われた色々なことが,最近になって急に役に立ったりすることがあって,不思議な感じがします。


そんなこんなで色々考えているうちに,夢を追うということと,チャンスをいかすということ,この二つの絶妙なバランスが生きていく上で大事なのだろうとふと思ったのでした。

その後なぜか,急に白カビチーズが食べたくなって,3ヶ月冷蔵庫で発酵させた(賞味期限は切れていない)カマンベールチーズを美味しく頂きました。

ばんざい。

2010/05/29

献血

久しぶりに400ミリリットル提供してまいりました。前回は10月。前橋での献血は初めてでございました。お菓子が少なくジュースも種類が少ない。おまけもティッシュ箱と若干物足りない感じはしましたが,ところがところが,マンガコーナーに大量の漫画がありました。今度はじっくり読んでやろう。

いつも通り,一瞬で血が出ていきました。余っていたのでしょう。半ば健康診断じみているわけですが,血液検査の結果は後から届くのでまだまだ分からない。
だが,血圧を測ったら,125の66で,至って健康。心拍数が55。今までより低め。健康児になってきたのだろうか。

2010/05/28

ご褒美

自分へのご褒美というわけで,クライミングジムにいった。
ひとりでいったのはひょっとしたら初めてだった気がする。
自分でもわかる,明らかに間違った登り方。
登りきった時の達成感。

一人でも案外楽しい。

ゲームの趣旨からは明らかに外れるけど,簡単にできることを難しくやるっていうのはかなり楽しい。

まあ,僕の場合には,普通の人に簡単にできることができないという問題があるのだが。

2010/05/27

凍み豆腐,高野豆腐

あのスポンジみたいになった豆腐のことなんていいますか。
僕は凍み豆腐だと思っていたのですが,高野豆腐というのが一般的なようだ。ようだ,といっても,この間話した人間の間で僕だけが凍み豆腐と言っていただけなのだが。

Wikipediaによれば,凍り豆腐というのがJAS規格らしい。

いずれにせよ,本当に細かな表現の中に,自分のルーツを見つけたりするのである。ルーツと言っても血縁ではなくて,使う言葉のルーツ。そしてそれは,思考につながって,僕自身につながっている。

だからこそ,わくわくする言葉を使い続けなければ。

2010/05/26

考えよーオシム



サッカーはあまり興味なかったのだが,ワールドカップもあるし,最近フットサルをやる機会ができたので,ちょっと気持ちをわかるためにいいかと思って買ってみた。

サッカーというよりも,もっと広いことを語っていた。

勉強になりました。

責任は押し付けないようにします。

2010/05/25

キスしてSixpence None The Richer

キスしてほしい。ライ麦畑で。
月明かりがわかるくらいの青い青い野原で。
両手を広げて飛行機みたいに走りまわって
ほらあの僕がお気に入りの靴はいて,僕は君のお気に入りのシャツを着るから

Kiss me out of the bearded barley
Nightly, beside the green, green grass
Swing, swing, swing the spinning step
You wear those shoes and I will wear that dress.

ああキスして欲しい,人目を気にしなくていいところで
できたら星がきれいで月に照らされてた方がいいな
うーんと伸びをして
夏虫のBGMに蛍のイルミネーションもあって
大きな月が空にあって
それでキス

Oh, kiss me beneath the milky twilight
Lead me out on the moonlit floor
Lift your open hand
Strike up the band and make the fireflies dance
Silver moon's sparkling
So kiss me.

ちっちゃい小屋の影でキスして
それでタイヤのブランコで遊んで
ねえねえねえそのお花の冠ちょっと貸して
君のお父さんの地図借りて遠出してみようよ

Kiss me down by the broken tree house
Swing me upon it's hanging tire
Bring, bring, bring your flowered hat
We'll take the trail marked on your father's map

ああ想像するに北海道か沖縄だよ
ああいうところでキスしたい
わあっと手を広げて倒れて
よく知らない虫の鳴き声が聞こえて蛍が飛んでて
きれいな月が見えて
そんなところでキスしてみたい

Oh, kiss me beneath the milky twilight
Lead me out on the moonlit floor
Lift your open hand
Strike up the band and make the fireflies dance
Silver moon's sparkling
So kiss me

Kiss me beneath the milky twilight
Lead me out on the moonlit floor
Lift your open hand
Strike up the band and make the fireflies dance
Silver moon's sparkling
So kiss me

So kiss me...(2x more)


ああ,こういうのが偶然というのだろう。いま訳し終わって全部全部全部一気につながった。ずっとずっと前の記憶がすべて今つながって思い出されて,さっきやった僕の馬鹿な行動を説明できてしまう。

昨日の夜,この曲を聞いたのが原因だったんだ。

この曲を聞いて,この曲を紹介してもらった時のことを朧気に思い出して,そう,今ならはっきり思い出せる。酔っ払ってこの曲を聞いたんだった。酔っ払って帰ってきたら,ある友人がメールでこの曲を教えてくれて,無性にキスしたくなって,でも遠距離で上手くいかなくなってた。この曲を聞いたらキスしたくなりました,というどうしようもない御礼のメールを送って寝たことを。




2010/05/24

自由と危険

人は自由を得る代わりに危険に晒される。

抽象的にはこれは正しいと思う。

だが,自由を得るために負う危険を減らす方法は幾つかあるはずだ。
手段を変えるとか,保険を掛けるとか。

群馬に来て,空が綺麗で山が綺麗で,川が綺麗で。車道はちょっと排ガスにまみれているけど,東京ほど淀んだ空気ではない。

でも,電車もバスも少ない。
風が強い。

この風が強いというのが大きな逆風。
チャリンコには辛いのである。漕いでも進まない。

さて。

2010/05/23

くさっていやがる

どこかのアニメで似たようなフレーズを聞いた覚えがある。


味噌汁を飲もうと思ったら,腐っていやがった。
本当に不思議だ。太古から脈々と受け継ぐ経験というのが我々の記憶にはあるのだろうか。一発でわかったのである。匂いで,見た目で,味で。

蓋をとった瞬間に,腐ってると思った。腐った匂いなんて,ほとんど記憶にないのに。
そして鍋の中を見た瞬間,腐ってると思った。色が変。どう見ても変。
だが,まさかまさか,世界に誇る日本の伝統料理味噌スープが腐るなんてありえない,と思い,勇気を振り絞って,一口。

腐っていやがる。

残念ながら捨てることにした。流しに流したら,糸をひいていた。
腐ってるというのはこういう事なのか。

味噌汁を腐らせてしまったのは残念なことだが,腐っているかは体が知っていることがわかった。

Don't think!Feeeeeeeel!!

2010/05/22

十分強いよーシェリル

Strong Enough lyrics

神様,落ち込んでどうしようも無いです
悔し涙は出るんですが,ファイトがわかないです
わかってくれないでしょうね
こんなあたしを支えてくれるんですか?


God, I feel like hell tonight
Tears of rage I cannot fight
I'd be the last to help you understand
Are you strong enough to be my man?

嘘ばっかり,なすりつけてばっかりで
だからもう一人にしてよ
どうせあたしを変えることなんてできないんだから
こんなこといってるのに一緒にいてくれるわけ?


Nothing's true and nothing's right
So let me be alone tonight
Cause you can't change the way I am
Are you strong enough to be my man?

嘘いってよ
信じるって約束するから
嘘でいいからいってよ
でも行かないで


Lie to me
I promise I'll believe
Lie to me
But please don't leave


見せられないほどグジョグジョなんだけど
行くしかないって決めてるんだ
ダメでもやってみようって思っててね,だからそんなあたしを好きでいてくれたら
だめかな


I have a face I cannot show
I make the rules up as I go
It's try and love me if you can
Are you strong enough to be my man?

カッコつけられないあたし
財布の中も空っぽ
挙句の果てにいつまでも立ち直れないでメソメソウジウジ言ってる
はあこんなあたしを支えてなんて言えないよ



When I've shown you that I just don't care
When I'm throwing punches in the air
When I'm broken down and I can't stand
Will you be man enough to be my man?

嘘でいいからいって
嘘つきなんて言わないから
嘘でいいから
でも行っちゃうのはなしにして

Lie to me
I promise I'll believe
Lie to me
But please don't leave

引き続き,カバーしてるの探してしまった。エコーかかってなかったらなあ。曲が変わっただけで,心を打たなかったりする。同じ人の声なのに不思議。

すうっと撃ち抜かれる声は沢山ある声の中でもほんの一瞬なのだろう。撃ち抜かれるべきところで,撃ち抜かれると,全部持っていかれてしまうんだろう。そして全部と言っても,その曲全部で終わってしまったり,他の曲まで波及してしまったり,色いろあるのだろうな。





2010/05/21

黒鳥:ビートルズ

くすんだ鳥が静まり返った夜に泣きながら
禿げ上がった羽で飛ぶ練習をしてた
ずっとずっと
飛び立つ瞬間を待ち続けていたんだから

Blackbird singing in the dead of night
Take these broken wings and learn to fly
All your life
You were only waiting for this moment to arise

くすんだ鳥が寝静まった夜に
盲た目で世の中を見ようとしてた
ずっとずっと
自由になれるこの瞬間だけを待ち続けてたんだろうに

Black bird singing in the dead of night
Take these sunken eyes and learn to see
all your life
you were only waiting for this moment to be free

その鳥が飛んだ,その鳥が飛んだ
真っ暗な暗闇に光を見つけて

Blackbird fly, Blackbird fly
Into the light of the dark black night.

その鳥が飛んだ,その鳥が飛んだ
真っ暗な闇夜に温かい光が見えたから

Blackbird fly, Blackbird fly
Into the light of the dark black night.

闇夜に泣いてる黒い鳥
使い物にならないけど翼があるから飛ぼうと思って
いつまでもいつまでも
いつか飛べるんじゃないかってその瞬間を待っている
時がくれば飛べるんだと信じて待っている
飛べるって信じてるからずっと待てるんだ



Blackbird singing in the dead of night
Take these broken wings and learn to fly
All your life
You were only waiting for this moment to arise,
You were only waiting for this moment to arise,
You were only waiting for this moment to arise

YouTubeで曲を探していたら,カバーしてる曲を見つけた。いつもなら見向きもしないんだけれども,ちょっと綺麗な女性が写っていたものだから流してみたら,案外いい。
スタート押した直後,ギターに全然魅力感じなくて,すぐ他のサイト見ながら流すだけになっていたのに,声を聞いた瞬間,撃ち抜かれた。


そんなんで他にも良い歌声があるんじゃないかと思って,幾つか聞いてみた。いくつもいくつも出てきた。たった一つの曲をこんなにいろんな人が歌って弾いて,人によってぜんぜん違う。
音楽ってすごい。
こんなふうに,ちょっとしたことから,発見があるんだ。





2010/05/20

アキレスと亀

有名な話だ。
アキレスが亀を追いかけている。
亀がいたA地点にアキレスが着いたとき,亀は少し進んだB地点にいる。
アキレスがB地点についたとき,亀は少し進んだC地点にいる。
何時までもアキレスは亀に追いつけない。


ふと,亀は我々の限界をあてはめるとしっくりくるのではないかと思った。

いつまでも我々は限界を超えられない。
それは,限界がすこしずつ前進しているから。

2010/05/19

髪型について

久しぶりに髪の毛を伸ばしたところ,自転車に乗って降りると,髪の毛がすべて逆立っているのだが,これはどうしたらいいのだろうか。あたしはママチャリで超サイヤ人になれるのだろうか。やっぱりすっぱり刈り込んでクリリンになった方がいいのだろうか。はたまた,ピッコロか,フリーザになった方がいいか。

イライラして坊主になりました。

髪を伸ばすなんていう誰もがやってることが僕にはできない。

2010/05/18

市場価値

自分の市場価値というのは知っておくべきかも知れない。
だが,市場が機能する場所にいることなんてめったに無いことも知っておかなければならない。

良くも悪くも。

ともかく,ほとんど初対面の人達の集まりでは,自分は全くゼロから評価されるということに気づかなければならないのだった。それはどんな出会いの場であっても。遊びでも,遊びでなくても。なんだか不思議だ。

東洋経済に,弁護士特集があったわけで,今後の業界が気になる身としてはいい情報が載っているかも知れないと,買ってしまったわけである。

そこにはかねてから言われ続けている,経済活動を活発化させるような,グローバルなビジネスローヤーが未だ足りないという指摘があった。

もとはそんなのを目指していたわけなのだが。

なんかちょっと違った。

ついでにいうと,今までの弁護士像というのも,ちょっと違った。

ふと考え直すチャンスを貰えただけで,群馬に来てよかったと思う。

いままで焦点をあわせてきたものが,ぽっとなくなると,急に世界が広くなって,そして混沌としてくる。

どこかに答えがあるに違いない。

2010/05/17

postcards

絵葉書が好きです。

メールより,手紙より,絵葉書が好きです。

絵葉書のどちらを表というのか知らない。
まずそこから好きです。

絵が描いてある方が表なんじゃないかという気がする。メッセージは反対側に書くから。でも宛名はメッセージの隣。宛名は表のような気もする。年賀状は宛名が表。そうすると,絵が描いてある方は裏。
考えるとどんどんわからなくなる。表って何を言うのだ。

兎も角,どんな絵を選ぶか,まずそこが面白い。普通のアートと違う気がする。小さな紙切れに描くのだから,有名な芸術家の作品を縮小コピーしたものが際立つとも限らない。言葉を乗せたほうがいい時もあるけれど,下手にやると陳腐化する。写真でもいいわけだし。そして,あの狭い空間にどれだけ空白を作るのかという勇気も。色も。

そして,はがきは全てが丸見え。誰に見られても困らないような文章を書かなければけないような気がしてくる。だけれども,ゆっくり読んだ人には別の意味が伝わるようにも文章を考えたくなってくる。きっと誰が読んでもバレバレなのだろうけれど,そこはただの楽しみ方。何気ない事を書いていながら,なにか感じて欲しい。思ったとおりにいかなくても。

文字数も限られている。まるでツイッター。
しかも,線が引いてないから自由。字の大きさ,行間,すべて自由。

極めつけは宛名。
メッセージのとなり。ココがポイントで,恐ろしい存在感を示す。手紙ではただの包み紙なのに,一気に主役級に躍り出る。

送ることを前提に語ってきたのだが,実は送るのでなくても好きなのです。
安いし,小さいし,幅広いジャンルを楽しめるから。

先日,文房具屋で絵葉書を真剣に探していたら,テオフィル・アレクサンドル・スタンラン(Théophile Steinlen)というのを初めて見つけた。
作風はロートレックに似ていたので,勘違い。だがよく見るとぜんぜん違う。
有名な黒猫(le chat noir)の絵葉書。
これは誰にも送らずにとっておこう。


かつては絵葉書を3枚。一番いいのを好きな人に,2番目にいいのを大切な友人に,3番目を自分に。2番目と3番目は逆かもしれない。

将来の夢,絵葉書屋。壁一面に好きな絵葉書を貼り付ける。売れたらそこにまた新しい一枚。端っこに,送られた絵葉書を飾る。なんてどうだろう。

絵葉書は店で買わないと駄目だ。
でもそのうちネットに慣れるかも知れない。
絵葉書なんて古典的なものも,いずれなくなるかも知れない。
似た何かがきっとどこかに生まれている。

2010/05/16

バサラバサラ

のっほっほ。
新しい日本語を知ると気分がどんどん盛り上がるどんどんどんどん盛り上がる。MORIMORIモリもり盛り上がる。

バサラという言葉が突如再発見されたらしい。再発見というのはまるでアンコールワットのようだ。

で,その意味は,普通をやめて,目立つこと。

バサラバサラ。

2010/05/15

アイデア

アイデアはある日突然枯渇する。
枯渇のきっかけは簡単。
疑問を持つ事,そして否定することにある。

と,僕は思う。

2010/05/14

同じところ,違うところ

同じところを探す楽しみがある。
違うところを探す楽しみもある。

2010/05/13

指の痕

朝起きたら右の腕に4本の指の痕がくっきり。

誰かに腕を強く掴まれたのか,それとも,黄泉の世界に引きずり込まれそうになったのか。それとも,あれか,これか。

思い当たることがなく,うんうん腕を組んで悩んでいたら,指の痕の上にぴったり自分の4本の指。

恐ろしい。人間は腕を組むとき,1ミリたりともずらさずに手を置いている。

そして,どうも必死に考え事をしながら寝ていたらしい。

2010/05/12

飲み残しのワイン

テーブルに置かれた赤ワインのうっすら残ったプラスチックのコップ。
クラブハウスの青い光の筋で浮かび上がっている。
大音量の音楽と叫び声で,何から何まで揺れているのに,
あんなに軽いプラコップは微動だにしない。

まるで音楽が聞こえないかのよう。

2010/05/11

一本の横線

白い紙に一本の横線。

地平線。

2010/05/10

月と街灯

江戸の町では月が明るすぎるということで,街灯をつけることにしたそうだ。
街灯をつけたら,街灯がまぶしくて月がよく見えなくなって,お役人さんたちは喜んだそうだ。
月に大きな顔があったことに気付くものは,ほとんどいなかった。

街灯に照らされて,光の筋が星空に広がる。昼間は青空の邪魔しかしない電線が,夜になると夜空と同化する。だけれども,街灯はそれを許さない。糸電話みたいに人と人をつなぐ線を,これ見よがしに見せびらかす。

覚めた目で,星が瞬いている。

2010/05/09

毛の生えてないところ

ハーフマラソンでずいぶん焼けてしまい,久しぶりに皮がむけました。今は落ち着いて,色がしっかり染み込みました。

こんなに日に焼けるなんてすっかり忘れていた。

とはいえ,日差しの下で2時間ほど走ることを想定して,ある程度防衛をしようと思って,髪を伸ばしていた。毛を生やせば直射日光は浴びまい。僕はひげが濃いから,普段剃っているヒゲと髪の毛を伸ばせば,完全防備だ。

ところが,よく考えると,おでこと鼻は毛が生えていないのである。もともと。

剃ってるところばかりが毛が生えていないところではない。

じっと手を見る。

2010/05/08

20秒で用意しな

ラピュタでパズーがどーらに言われる一言。
「~秒で用意しな」

なぜだか私の記憶の中では20秒なのである。

ところが,あるときネットで書いている記事を見たら40秒と書いてある。

40秒なんて,長すぎる。

そう思ってしまう,これが時代の流れだ。

2010/05/07

ボールペン

文房具好きです。
最近ずいぶん熱が冷めてきましたが,それでもまだ文房具ニュースを見るとついついじっくり読んでしまいます。

最近気になっているのは,ぺんてるのビクーニャ。
油性ボールペンながらなめらかな書き味。
たしか150円くらい。

ゼブラのスラリ。
これも油性ボールペンながらなめらかな書き味。
水性と油性を混ぜたインクらしく,不思議。
確か100円くらい。

気になって仕方がない。

ので買ってきた。

いずれも書き味はなかなか。

ただ,ジェットストリームから,滑らかな油性インクが流行っているわけだが,ここまで品数が増えてくるとあまり差別化が出来ていない気がする。

2010/05/06

ティム・バートン

テレビ見てたらティム・バートンが出ていた。
猿の惑星を作り直したとき,remakeではなくてrecreateなんだと言い切ったのに,公開されたら前の猿の惑星の良さがなくなったと酷評されていた時のことを思い出す。
だから,recreateだと彼は言っていたのに。とはいえ,前作に彼の良さが潰されてしまったのは間違いなかっただろう。

何となく彼の作品は,万人受けしそうにない雰囲気を持っている。

だが不思議なことに,町田康とか,村上春樹だとか,万人受けしそうにない作品ほどヒット作になったり万人受けしたりする。町田康が万人受けしてるわけではないといわれたら,まあそうでしょうとしかいいようがないのだけれど。

ティム・バートンは,迷ってはダメだと言っていた。僕はラッキーなだけだった。だけれども,アドバイスできるとすれば,あまり周りの意見を気にして迷ってしまっては駄目だ。


でもきっと彼だって迷ったはずだ。
迷って迷ってずっと夢だと思って進んできた道を諦めて,そして新しい道を見つけたに違いない。

彼の作品は,殆ど観ていないのだけれど,予告編だけでもその変化が見て取れる。
ただ,変化はあるのに,彼らしさは失われていない。

らしさを失うことなく,変化を続ける。
難しいね。

2010/05/05

耳に関する一考察

どうでもいいのだが,先日書いた耳について,深く考えた。

つまり,パンの耳と人の耳はいかなる点において共通項しているかだ。

パンの耳は,ヘリにある。
人の耳もヘリにある。
そしてどっちもちょっと固い。

したがって,ヘリにあるちょっと固いものは耳という。

ホタテの縁側も,耳というべきだ。

2010/05/04

リアル,アンリアル

人なんだよ。
リアルなんだよ。
アンリアルな世界を再定義しないと。群馬に来て思った。
ネットは,世界を小さくする。なんていうけれど,それはじつは,都市部の集中を助長するという意味だったんだ。そんなきがするのである。

ネットは,地方にいても,出会いのきっかけを作ってくれる。だけど,それは地方と地方の出会いではなくて,地方と東京の出会い。そして,実際に出会うには出ていかなければならない。

嘘かな。

まだまだ使いこなせない世界なのだ。

2010/05/03

かき菜

食べ物というのは地域によって若干違いがあるのだろう。
群馬に来て初めて目にしたものに,「かき菜」がある。

なんだか,黄色い花が咲いているので菜の花の親戚なのだろう。

見たことのない食材を料理しようと思うのは,やはり勇気がいる。
日本人ならとりあえず,MISOスープ!!


ただの葉っぱですらこれなのだから,初めてなめこを食した奴とか,納豆を食った奴を尊敬する。

2010/05/02

ピカソの助言

あるサイトで日本語で紹介されていたのだけれど,せっかくだから英語のものをみてみた。
http://www.positivityblog.com/index.php/2008/04/04/picassos-top-7-tips-for-creating-an-exciting-life/

だいたい本当にピカソが言ったのか不明だと思うが,我々にとって重要なのは本当にその人が言ったかどうかではなくて,その人がいいそうなことで,しかもなるほどと思えることを言っているかなのだ。

だから,板垣死すとも自由は死せずなんていうのが,ただ新聞の見出しだったとしても,別に構わない。

1. You have to believe to be able to do.
必ずできるって信じなきゃいけない。


2. Push your limits.
限界をもうちょっと向こう側に押しやれ。


3. Don’t wait for inspiration or the right moment.
ヒラメキだとか時が来る時までだとかそんなの待つな

4. Act.
まずやれ

5. Ask the right questions.
良い質問をしなさい

6. See the hidden beauty by not judging.
あるがままを感じなさい

7. It’s not too late.
遅すぎることなんて何もない

なんだか,いつか書いたようなフレーズも幾つかある。

2010/05/01

るるる,るるるる

たろくんたろくん,君はいつからそんなになってしまっ短大。
別に短大なんてどうでもいいん大学。


どうでもよいことで盛り上がってしまう性分です。

4月が終わる終わる終わるるる。
5月が始まる始まる始まるるるる。

音をとろうとすると,るるるの数が変わるるる。
どうして始まるのときはるるるるるなのだろうか。
終わるの時も変わるの時もるるるなのに。

るるる。
るるるる。

2010/04/30

だから君が変えるんだろう

ふっと,思い出した。ずっとずっといろんな話が頭の中を流れていって,ふと,ある人の言ったことを思い出した。

だから君が変えるんだろうに,なんて言われたことを。

学生の頃ある先生と,食事をしながら話をしていた。なんとなく思ったのと違った世界が広がっていて,ほんの少し失望したところがあったのだと思う。僕は色々なことを夢見ながらここに来たわけですが,実際に来てみると思ったよりも古臭くて,これからこんな時代がやってくるだなんていってたのはもっともっと先のような気がしてきましたよ,そんなようなことを言ったような気がする。

即座に言われたのが,「だから君が変えるんだろう」。一瞬の間もなく返されたのが驚きだった。だが妙に納得した。これからこんな時代がくるだとか,未来の話だとか,色々されているけれど,誰かが一歩ずつ進めているからそんな未来が現実にやってくるわけで,今を見て,悲観的な将来を慮って愚図愚図言っているのではなくて,変えるべき努力するのだったかなあと思った。

きっと僕はあんまり普通じゃないのだと思う。それでかもしれないけれど,変わった友達も多いのではないかと思う。こんなこというと,友達に怒られてしまうかも知れないが。

変わった人たちと一緒にいると,刺激をたくさん受けて,面白いし,相手を尊重しながら自分を主張できるような気がして,自分が成長しているのではないかと感じることが多い。だから,最近はやりのダイバーシティなんて言葉を使って,いろいろな人とやっていくのが大きな成長を生むのではないかと考えていた。

だが,僕にとってのダイバーシティは,変わった人たちと付き合うことではなくて,普通の人と付き合うことなのだということにふと気がついた。つまらないとかよく分からないとか,そいうことをいって心を閉ざすのではなくて,そういう人達とこそうまくやっていくのが,僕にとっていろいろな人と付き合うことになるのだ。

自分にとって都合よく解釈してばかりいてはダメなのだ。

外を見ようとばかりしていると,中を見ることが出来ていないし,上を見てばかりいても,下を見ることができない。実は結構難しい。

だが,心響く瞬間というのは,やっぱり,自分が興味をみている空にあることが多い気がする。それを好きだというのだろうから,当たり前かもしれない。

ふと,あるネットの番組を見ていたら,「人はだれだって素晴らしい人になろうとしているでしょう,出来る限り,なかなか難しいけど」と普通のおばさんが言っていて,妙に感動した。そして,そこからズルズルと僕の心の中でいろんなものが出てきて,さっきの話をふと思い出したのだ。

2010/04/29

ブルーセーター



まだ読みきっていないけれど,なにか感じ取った瞬間に書くのが一番だ。

「多くを与えられているということは多くを期待されている」だとか,「35歳で老けこむのはゴメンだ」とか,「キャリアを危うくすること,肩書きを手放すことへの恐れはあったが,世界をもっとよくしたいという願いは,それまでずっと私を駆り立ててきた原動力だった」とか,「弟と私は,世界を本当にかえるにはどうするのが一番いいか,よく話していた。まずお金を沢山稼いで,権力と影響力のある地位から動かせばいいというのが弟の考えだった。私はっもっと早くはじめなくちゃと言った。変化がどうやって起こるのかを早く理解し,時間をかけて関係と信頼を築くのだ」

とかなんとか。新しい一歩にはやはり不安はつきまとうわけで,そして先に何が待っているかなんて分からない事の方が多い。入念な準備が必要なのは確かだろうが,勢いみたいなものもおおいにあるのだろう。

あとは,なんとかなるさ,みたいな楽観的な気持ちと,何とかするしかないのだという焦りと,ビッグマウス。ばかみたいな大口を叩いても応援してくれる何人かの信頼できる人までバカにされないように,頑張ってたりするんだろう。


今までであってきた尊敬すべき人たちは,想像できないくらいの苦労をしてきたし,今でもしているだろうに,そんなことを感じさせないくらい朗らかで,笑顔が素敵で,「あれも楽しいよーこれも楽しいよー,あんたなーにしみったれた顔しているのよ,つべこべ言わずにやっちゃいな,あんたならどこでもやっていけるんだから」みたいな一声をかけてくれて,でもよく聞いていると,笑顔で「こっちも大変だけどね,はっはー」と笑い飛ばしているような,そんな人達だったことをふと思い出した。

あなたのことですよ,お客さん。

そんなわけでゴールデンウィーク。みなさん楽しんで。

2010/04/28

アザブジュバン

ボンジュール,アザブジュバーン。
アニョハセヨ,コノハサミヨクチョンギレルハサミダ。
ハロー,ホッタイモイジルナ。
セボーン,シャボーン,ドボーン。
ボナセーラ。ウンカッフェペルパボーレ。ラリルレッロ。
ニーハオ,メーコワシ。

世界中を飛び回っている人がいるっていうのに,僕は海が怖いから内陸に逃げてきてしまった。嘘。
空をとぶ助走をつけるために,ちょっぴり山奥まできてしまった。

海のあなたに幸い住むと人の言う。
我人とめゆきて,涙さしぐみ山のぼる。

ちょっと前に,自分の声を聞いた。
ちょっとくぐもった声で,なんと低かったのだ。
自分の声は甲高いと思い込んでいたので,ちょっと驚いた。
楽しい時には甲高い声でキャーキャー騒いでいるのだと思っていたが,あの高さできゃーきゃー騒ぐのはちょいとよろしくない。だから,今度からもっともっと高い声で騒ぐことにする。


カタカナを読んでいると不思議と甲高い声が聞こえてくる。
アハハ。あはは。
ほら,カタカナの方が声が高い。

こういうのは,自分だけの感覚かな。

2010/04/27

たまには法律についての関心事

今日はずいぶん驚くべきニュースがあったと思う。

このように書くと,僕が今何に関心があるのかがわかってしまい,そしてそれが世間の関心とずれていることを明らかにしてしまうかも知れないが,それはそれで仕方がない。

ひとつは,最高裁の死刑判決破棄差戻判決。
藤田裁判官が退官したので,堀籠判事が代読したらしい。
これはきっと,藤田裁判官の土産だろうと考えてしまう。
刑事裁判に裁判員裁判が導入されたことが,死刑制度にどのような影響を与えるかはまだまだ分からないが,今回の判決は死刑という刑事裁判における大きな論点に影響を与えるのだろうか。

もうひとつは,時効廃止法。
本当にできてしまうのか,というのが正直な感想だ。
欧米では時効がないなんていうことを理由にするなら,死刑制度だって廃止している国が殆どで,死刑制度があったらEUなんて加盟できない。だから,こんなことは理由ではないだろう。
あとから真犯人が出てきてものうのうと生きて行けるのが許せないという気持ちはわかる。
だが僕は,昔にテレビで見たニュースが頭に引っかかってしまう。
決定的証拠がないからと言って,ずっとずっと死ぬまで警察官に追い掛け回される被疑者。
死ぬまでというのは言い過ぎだろうが,幼稚園児か何かが亡くなった事件で,なんども逮捕されては証拠不十分だかなんだかで釈放されて,と,今考えるとどうもおかしい気がするのだが,参考人聴取だって似たようなものだ。ともかく,その時の報道では,警察の捜査がやりすぎと感じた。
もしいつまでも疑われ続けたら,虚偽の自白して刑期を終えた方が楽になるかも知れない。
判決は出ないけど真犯人だ,というどこか謎めいた自信が世の中のどこかから湧いてくるのが少し不安だ。

刑事法というのは何なのだろうと,考えてしまう。
そして,たぶん,主流派の考え方とは僕は違うのだろうと思う。
僕には説明をする術を持たないし,誤解を招くことへの不安が大いにある。

責任のある発言かあ。
いと難し。

2010/04/26

トモダチ

この間あった友達が言っていた言葉が妙に心に響いた。
しかもそれは,少し前に自分が言ったことの裏返しのような言葉だった。

久しぶりに会ったのに,全然久しぶりに会った気がしないような友達もいれば,久しぶりに会ったら全然変わってしまったと感じる友達もいる。不思議だと。

少し前に書いた事も含めて考えると,「変わった」と捉えるか,「意外な側面を発見した」と捉えられるかの違いなのではないかという気がする。

たとえば,マクドナルドに行った時,かつての早稲田太郎なら,安いからといって,ハンバーガー2個と水,と頼んでいたとしよう。
それが,久しぶりに友人と会ったとき,早稲田太郎はなんと照り焼きバーガーとコーラと,アップルパイを頼んだではないか。

ここで友人中央次郎は思った。
「早稲田太郎よ,昔はあんなにけちだったのに,いまじゃカロリーナンバーワンのオンパレードで,しかも値段も高いじゃないか。変わってしまったなあ。」

ここで,中央三郎は思った。
「早稲田太郎って甘いの好きだったんだ。意外な発見。」

変化を受け入れるか,拒絶するか,そこに境目があるのではなかろうか。
そしてその境目が,判断する側自身のひとつの仕切りで,きっと,壁だ。

もちろん,変わってしまったと残念に思うことを否定するわけではない。自身にとって大事な事がそこに隠れているだけなのだろうから。

僕の壁はどこにあるかな。

2010/04/25

ハーフの結果


1時間50分で完走しました。
この間練習で走ったときは,15キロくらいで両足つったので,それに比べれば,足もつらずに走れて満足満足。
順位はだいたい2000人中900番くらいだったみたいです。

最初は歩かず完走すればいいと思っていたのですが,途中欲が出て90分くらいで走ったらフルマラソンだと3時間切って猫ひろしだなあとか思ってしまった。

最後の3キロはみんなに次々と抜かれて悔しかった。若干屈辱です。

でも天気良くて楽しかった。

ゴールしたところを激写されてました。着ている青Tシャツは,参加賞です。

2010/04/24

ハーフ


あしたはハーフマラソン。

2010/04/23

ストレス

ストレスを感じる場面というのは人によって異なるのだろう。
ストレスを感じているということに気付けるかどうかもひとつのポイントだ。
ストレス発散法もまた人それぞれ。

八つ当たりだけはしないようにと心がけているのだが,やっぱりしているのだろうな。

中学生の時に,国語の先生が言っていたことを思い出す。アンネの日記に書いてあったのだったという話だったと思うのだが,紙ほど強いものはない。それは破いてしまえばそれまでだけれども,そういうことではなくて,何を書いても静かに受け止めてくれる。

ブログのように公開するものは,誰かがどこかで読んでいるからそこまで強くないだろう。そうやって人の目を気にするのだから,赤裸々な気持ちを書いているのかといったらそれは嘘だ。

だが,人目を気にするからこそ,ちょっとはいいことを書こうかなとも思ったりする。そんなサービス精神に自分自身が救われたり,思わぬ発見をしたりする。

井上ひさしの言うとおりで,楽しいことは何かとふれあった瞬間に生まれる。
犬も歩けば棒に当たるといったものだ。

早稲田太郎は歩くと,壁に当たる。
壁を伝って歩いてく。
そうすると,そこに友人が待っていたりするのだ。

2010/04/22

人は泣きながら生まれてくる

少し前,井上ひさしの評伝を読んだ。
なぜ喜劇を書くのかと聞かれて彼はこう答えた。
人は泣きながら生まれてくる。生きる苦しみは人に内在している。
だが,笑いは人と触れ合って初めて生まれる。笑いは特別な存在だ。だから僕は悲劇ではなく喜劇を書く。

たしかに一人で笑っていることはあまりない。心から笑うことというのがずいぶん減ったような気がする。

ところで,西郷さんの名言を目にした。
「命も要らず名も要らず、官位も金も要らぬ人は始末に困るものなり」

かつては何も思わなかったこの言葉が,今は妙に心にひっかかる。

詰まらぬ人間に落ちたものよ。

2010/04/21

就活って何だ



まあ,書評にあったから買ってみた。
書いてあるのは,入念に調査せよ。マニュアルに頼るな。10年先の自分を語れるようにしろ。みたいなものだ。
だが,インタビューを受ける人事部長たちはほとんどが,いい加減なきっかけで入社している。
今はそんな時代じゃないのだ,と言うことなのだろう。

就活ねえ。

最近,熱く語れるものがない。
冗談みたいな本気の話をさせてくれない。実現可能性を問われてしまう。それに,次は常識の壁だ。

どこかがおかしいのだ。
欲しいものが手に入らない。だが何が欲しいのか分からない。

2010/04/20

自分探し

なんだろう。やっぱり自分探しをしているのだろう。
自分探しをしているということは,自分を見失っているのだろう。
自分を見失っているということは,自分らしくないことをしているのか,しようとしているのではないかという不安があるのだろう。
ずっと夢に描いていたことはなんだったのだろう。
自分はどこらへんにいるのだろう。
その夢はどのくらい現実的で,しかもやるべき事だったのだろうか。

今の自分は何か違う。

もっとどこかに僕自身を最大限に広げられる場所が,相手が,いるのではないかという幻想が頭をもたげてくる。

どうせおまえなんかにはわかんねえよ,なんてかっこつけた青臭い不良みたいなことを言いたがっているのではないか。そんなこと思いながら自分の思っていることを全部流して,あまりに支離滅裂で整理されていなくてしかもネガティブで,それがなんとも自分らしくなくて笑えてくる。

だから自分探し。
今の自分のよくないところを全部挙げて,それでも僕を受け入れてくれる皆さん,なぜなのですか,と渋谷のスクランブル交差点のど真ん中で叫びたい。だって,前橋の駅前で叫んでも,なんと誰の耳にも届かないで終わってしまうからだ。

つまりやっぱり大声で叫ぶのは,周りの人にも聞いてほしという気持ちがちょっぴりあるのだ。
ただし,海は除く。
海岸で海に向かってバカヤロウと叫ぶのは,誰も聞いていないと思うからなのだ。
王様の耳はロバの耳。王様の耳はロバの耳。

では,ロバじゃなかったらなんの耳。
ウサギの耳ではバニージジイ。
象の耳だと薄すぎる。
カバの耳では可愛すぎる。
カピバラの耳だと,ん,耳あったっけ。
いいよ,パンの耳で。

ただでくれるパン屋さん,まだこっちでは見つけていない。
あれがあれば,相当助かるのに。

そんなわけで,自分探し。
僕の耳はパンの耳。群馬には海がないから利根川上流の橋の真ん中で,叫ぼうと思ったが,上流で川幅が狭くてやめた。カエルに,耳つけたら,どうなるのだろう。

そんなことが気になってしまったので。


自分探しをやめた。

2010/04/19

答えはNOだ

君は答えを見つけたか?
答えはNOだ。

この問答,仮に答えがYESであれば,では答えは何か?という問いが必ず続く。だが,NOだとここで終わり。だから「答えはNOだ」の意味が「そう。答えはNOだ」というのか,「いや,まだみつかっていない」なのかわからない。

だからどうした。

だから,答えはNOなのだ。

まさにそんな気分になるのだ。

10年先を考えるには,自分が小さすぎてどこかにいってしまう。
50年先を考えるには,自分は年を取りすぎている。
自分自身を見つめようにも鏡が見当たらない。

まず既に起きた未来を見つけよう。

とまあここで気づいたのが,10年先というのは,10年先の世の中を見るのではなくて,10年先の自分を見ようということだった。

なんと,世の中の行く末以上に推測不可能だ。

2010/04/18

ジョグ

まあ,ハーフマラソン近いからちょっと走ってみようと思って利根川沿いを走ってみた。

きつかった。
人の少ないルートを往復するので,途中で力尽きると大変だと思って歩幅を小さく,ちまちま走った。
だが,あと2キロで言えというところで右足ふくらはぎがつり,伸ばそうと思ってアキレス腱のばす体操みたいな感じに足を広げたら左足もつった。はう,という情けない声が出た。仕方なしにそこからはぷらぷらあるいて帰った。

かえったら,顔に塩吹いていた。
その後,膝が痛くて階段が登れないお年寄りの気持ちがよくわかった。

だが,なんだかすっきりしたのである。

2010/04/17

不思議

どこからアクセスしているのか都道府県別にわかるアプリケーションがブログに載っている。
ミクシーとかフェイスブックとかグリーとかああ行ったものを経由して見に来る人がどこにカウントされるのかよく分からないの。
それもそうなのだが,群馬が1位になっているのが分からない。いや,分からないと言い張りたい。
群馬から見ているのはたぶん僕だけだ。
そして,アクセス数なんて数が知れているので,比率を見るとだいたい何回くらいカウントされているのかがわかってしまう。群馬で一日一回ではないようなのだ。
たしかダブルカウントしないようになっていたと思うので,ネット環境の設定上ダブルカウントが可能になってしまっているのか,それとも,群馬に影の読者がいるのか。

日本地図全部に色がついたら面白いのに。

なんて,カウンターを出した途端に欲が出てしまうのだから,人間って単純。

2010/04/16

天職の見つけ方

Gigazineが紹介していた。
http://www.dumblittleman.com/2010/04/how-to-find-your-soul-job.html


Find a career/job that you would enjoy, even in the most challenging times.

これを訳すのに,「どんなに苦しい時にでも楽しいと思えることを選ぶ」となっていた。
だが,僕が訳すならこんな感じかな。
「全くうまくいきそうになくてもなんだか楽しくなってきてしまうこと」

チャレンジがつらいだなんて,ちょっともったいない。

でも,このフレーズ,少し心が洗われた。

他には
Explore the unexpected. Think outside the career box.
Conduct research
Look for alternative opportunities within your current employer.

予想外のこと,やりたいなんて思ってもみなかったこと。
道筋を立てること。
その場にある第三の道を探すこと。

2010/04/15

ミクシーってるね

かなり無理がある。mixiってるねで,つながってるね,だなんて。
でもでも,その広告に写っている女の子が可愛くてついクリックしてしまった。

ああ。男ってものは。

見ていて思った。
「東京いくんだ。」

ああ。東京は行くところじゃなくて帰るところなんだ。僕にとっては。
東京にいる殆どの人にとって,東京は行くところなのだろう。
そしてそのまま故郷にするのだろうか。


見たのは卒業編。

2010/04/14

べからず

ばからず。
びからず。
ぶからず。
べからず。
ぼからず。

ばびぶべぼ,とくると,どうしてビビデバビデブーが思い浮かんでしまうんだろう。


ほっとする誰かの一言で,萎縮していた僕の心が解放されたりする。
この人は僕を品定めしているんじゃないかと思うとずいぶん萎縮してしまう。

夢ってなんだったのだろう。

何が楽しかったのだろう。

どんどん心が固くなってきて,自由の羽がしぼんでくる。

真冬の池で,寝ている間に池が凍ったのか鳥が死んでいる。
暖かくなって氷が溶けてから飛べばよかったのに。


いままでたくさんのものを見てきたようで,きっと地図に書いてみたら,ほんの少しの場所しか僕は知らない。過去の僕がおいでおいでをしている。帰っておいで,過去の君の方が素晴らしい。
今の君は,すぐ楽な道に逃げようとする。
恵まれた環境を生かしきれていない。

2010/04/13

まだ本気だしてないだけだ

そうやって望みを残して,ふらふら生きているわけです。
俺が振ったんだといって強がりたいから,振られる前にふったりするのです。

最後の一箱を開けるのは,誰もが躊躇する。もうおしまいだから。
勇気を持って開けたら,パンドラの箱だったりするんだから。
でも入っていたならまだいい。空っぽなのが一番残念だ。

2010/04/12

雨だね

雨だ。春になって,昨日一昨日と暖かかったのに,雨が振った途端に冷え込む。
春という奴は,長閑な休日を見せてくれたかと思うと,手のひらを返したように急に冷たくなる。
漸く咲いた桜の花の,風に舞い散る一番の幸せを奪い取る。

だが散った花びらが,小さな水たまりに流れていく。日が沈むにつれ,そこはまるで夜空に輝く星空のように見えてくる。空に天の川がある。だが天の川は本当は星は流れていない。星はただ同じ場所から身動きが取れない。

だが雨雲に隠れて空の天の川が見えない日は,普段は映すことのない誇りにまみれたアスファルトが,見えるはずのない星の流れる天の川を映している。車のライトはまるで月明かりのようにアスファルトの空を映し出す。

春の雨は,夜になると天地を逆転させる。

我々は天井を歩き始めているのに,誰も気づかない。空が地面にあるなんて信じられないから。足が地面から離れているなんて考えられないから。だが,信じているに過ぎない。その証拠に,我々はいちいち地面に足がついているなんか確かめていないじゃないか。


ずっと前,雨がひらひら落ちるなんて書いて,あれはたしかに傑作だった。もう二度と書けやしない。いつの間にかなくなってしまう道路の花びらのように,人に踏まれて茶色くなり,地面にへばりついてそのまま消えていってしまう。言葉なんてそんなものだ。埃のように部屋の隅でダンスをしている時もあるけれど。

トタン板に雨が当たる音が懐かしい。トタン板なんて見なくなってしまった。

外に出ると雨が僕を包み込んでしまう。僕は部屋の中にまでその雨を持ち込んで,陽の光が差し込むまで部屋のなかは土砂降りだ。僕は部屋の中で傘をさして,息の出来る空間をかろうじて確保している。そしていつの間にか足が地面を離れ,足元に星空が広がる。だがその前に電気を消さなければならない。そうでなければぼんやりとした青白い光によってすべての境界が曖昧になり,僕は宙に浮く前に霧のように蒸発してしまう。


なんとなく寂しい気持ちになる。
ひらひら降るなんていって,雨が降ると何となく嬉しい気持ちになったのは,あの時だけだった。あの瞬間そう思うと,まるでずっとそう思っていたかのように勘違いをしてしまう。だがあれは,昔からずっとではなかった。いくつかの条件が重なって,あの瞬間,過去のすべてを背負って,雨がひらひら降ってきた。

だが今は,あの瞬間,そしてあれからの時の流れをすべて背負って,雨が試着室のカーテンのように包み込む。

だがきっと,悪いのは雨ではなくて風なのだ。
せっかく浮かんだ僕を,地面に叩きつけてびしょ濡れにしてしまう。僕は花びらだらけになって,震えながら排水口に吸い込まそうになる。

だから,暖かい風呂に入って,しっかり体を乾かして,それから,ザアザアぶりの部屋の中に電気を消して入る準備をしなければならない。

怖がって電気を付けていたら,何も見えない。

雨の日に頭に浮かんだ数々の水滴。今日はしっかり書き留めた。支離滅裂だけど。整理するのは書き留めた後の仕事だ。

2010/04/11

井上ひさし

一昨日あたり,舞台が延期という小さな記事が目に留まって,肺がんだったんだ,と知った。
今日,死んだというニュースがあった。
ポーランド大統領の飛行機事故,タイでの日本人記者死亡のニュースに混じって,また小さな記事なのだろう。
ひょっこりひょうたん島。万歳。

小さな記事なのだけれど,目に留まる。どうしてなのだろう。


はまるほど読んだわけではないのだけれど,それでも読んだことのある作家がいなくなるのは残念だ。

だけれども,作品は残り続けるのが不思議だ。
生きるというのは何かを残すことなのだろう。
誰のために,何のために,何かを残すのだろう。

金儲けの副産物が人の心を動かすだなんていったら,幻滅する。むしろ,感動したからこそ対価が支払われるというべきだろう。だが,多くの商品は先払いだ。

2010/04/10

お花見


お花見。
東京では,いや東京でなくても,どこでも,ばかみたいに桜の花を観に人が集まる。大混雑の中,ぎゅうぎゅう詰めで。

なんだか僕は今年は,いや,いつもそうかもしれない,人がいないところで立ち止まることなく花見をしているような気がする。ふらふらと桜の下を歩いている。たいがいは,立ち止まるのも嫌なくらい寒い日に。でもそういうのがちょっと好きで。

桜が綺麗だ。疑いもしなかった。

だけれど,今年はなんか違った。

それは誰かの一言からだ。花見花見と言ってもどこへ行ってもソメイヨシノ。ソメイヨシノなんてクローン。どこで見ても同じだよ。

そう言われてみると,枝ぶりは違うけれど,なんだかに多様な花の房がボンボンみたいについているだけで,たいしたことないように見えてきた。

ソメイヨシノに隠れて,ほんのすこし違う色だったり,違う咲き方をしている桜があると,なんだかそいつらの方が全然いいように見えてくる。

ポツンといるんだけれど。

並木もいい。だけど,一本,華々しく咲き誇っているのもいい。

どこだったろう,写真で見たような気がする。広い丘のてっぺんで,年老いた枝垂れ桜が一本,よっこらせと言わんばかりに花を咲かせている。そんなのが見たいんだよなと,急に思うようになった。

それをみるためだけに,人の少ない田舎道をずっと登って,桜の木の下でひと休みして帰るみたいな。そんな贅沢がしてみたい。

もちろん,晴れている日に。

2010/04/09

星の数を数えるのと同じくらい

君は自分の人生について,又は夢についてどれくらい真剣に考えたことがあるんだい,と誰かに聞かれているような気がする。

僕は,そうですね,空にある星の数を数えるのと同じくらいでしょうか,と答えようとする。

目が良くても悪くても,空が綺麗でも汚くても,たぶん,数えきる前に飽きてしまうほどの星の数があるし,どこから数え始めていいのかも分からない。なんとなく明るい星を幾つか見つけて,そして,オリオン座みたいな知っている星座の形を再確認して,おしまいだ。いつもは。

それなのに,なぜだろう。急に空をみあげてしまったりすると,いつまでも何時までも空を見つめて,同じ星を何度数えているのかわからない位混乱しているのに,必死に星を探してしまったりする。

小学生の時には,星の色なんて習ったけれど,もうみんな白くしか見えない。なぜだろう。そんなことが頭をよぎった途端,星に色が生まれる。

黒い布に穴が開いているだけなのではなくて,闇の中で小さな星の一つ一つが自分の色に輝いている。そういえば,小学校で習ったのだった。空は写真のような一枚の板ではなくて,どこまでも永遠に続く空間。そんな当たり前のことが,とてつもなく恐ろしい発想に思えてくる。だって,今見上げたその空の先には,宇宙の果てまで遮るものが何もない。宇宙の中の太陽系の中の地球の中の日本の中のどこか小さな土地の上で空をみあげている優曇華の花みたいなちっぽけな僕が宇宙の果てを見つめているなんて,とんでもなくとんでもない。

2010/04/08

stomachache

何で最近タイトルが英語かって聞かれても,私は知らない。

たぶん,最初直接入力になっているからなんとなくタイトルくらいは英語にしてみようかと思ったのか,いや,始まりはクラスター。クラスターの記事を書こうと思ったときに,以前書いたことを思い出して検索してみた。そしたら英語で書いてあった。だから,英語と日本語と両方書いてあったほうが検索しやすいだろうと急に思ったのだろう,とかっこつけていってみるわけだが,結局のところ,だんごどっこいしょの落語みたいに,最初やると何とはなしにそのまま続けてしまうということはよくあるわけだ。

だんごどっこいしょっていってみたけれど,本当は何なのだろう。
だんごだんごといいながら,家を出たのに,水たまりを飛び越えるときに,どっこいしょといって,それからどっこいしょどっこいしょと唱えて,というふうにいろいろ言うことが変わるが,最後に,団子頂戴といって終わる話なのだが。

さて,本題。

腹が痛い。

ただそれだけのことだ。

だが,数日にわたっておなかを壊すというのは,思い出す限り小学校以来であって,一大事なのである。どうしていいのかわからない。原因には,思い当たることが多すぎて困ってしまう。

安くなっていたバナナか。おいしかったのだが。

食べたものが全て出ているのではないかと思うのだが,全然腹が減らないというのはどういうことなのだ。それに,1,2キロしか体重が減らない。人間てすごい。太っててよかったとも思ったのだが。やはり普段から多少の余裕は必要だ。

だがなんだか,これだけでたのだからたくさん食べても大丈夫だろうと思ってしまうのだ。それに,なんだかおなか壊しそうなものばかりおいしそうに見えてくる。ヨーグルト,牛乳,オレンジジュース,納豆,蜂蜜,アイス,刺身,肉,レーズン,アイスコーヒー。

大丈夫,おなか痛くなるだけだから。

飽きたらおかゆ食べればいいんだよ。

2010/04/07

Stockholm syndrome

ストックホルムシンドロームというのは,かつてストックホルムの銀行立てこもり事件で,人質が犯人に親近感を抱いてしまって事件解決が難航してしまったということから,緊張した状態にいると変な相手にも依存してしまうことを言うのだろう。

このような言葉を出すまでもなく,自分自身は現状を肯定したがる。いま,自分がいる場所から見ると,その周辺はよく見えるし,そこに人がいる以上,ひとつの社会が出来ている。自分が普通に生活を出来ている以上それもまたひとつの人生にも見えてくる。

だがいったん外に出てみると,客観視することが出来て,ずいぶん見えていなかったのだなあと思う。

僕はずっと東京付近で生活してきて,外から見たことがなかった。たった数ヶ月,東京を離れただけで,しかも週末はしょっちゅう帰ってきているというのに,冷めた目で東京を見てしまう。やたら人が多いとか,その割につながっている人はそれほど多くないとか,やはり都会というのは幾重にも重なってやたらおおきくみえるのだけど,実際にはその重なった層同士はくっついておらず,はらはらとはがれてしまうような関係に見える。

都心にしかないものは,最先端のもの。だが,その最先端に触れられるかは,都心にいるかだけでは決まらない。後は面白い人との出会いか。だが,それもまた,都心にいるかだけでは決まらない。

人の生活というのはどこにいようと基本的には変わらない。それはひとつの真理だ。

明日の自分のために今日の自分を自己否定するというのはなかなか難しい。
東京を客観視できたといいながら,結局群馬を客観しできなければ東京を客観視できたとはいえないのだと思う。どこかに立たなければ物は見えないけれど,立っているその場所を客観視できないのだ。

2010/04/06

affordance

アフォーダンスという言葉が新聞に紹介されていた。見ただけでつい行動を引き起こしてしまうような物の形のことをいうようだった。

この話を聞いて思い出すのは星新一のショートショート。たしか,鎮魂歌というタイトルだったか。有名な科学者が税金を大量につぎ込んで作った機械。そこにはボタンと手がついている。そのボタンを見るとつい押してしまう。押しこまれると,手が元に戻す。ただそれを繰り返すだけの機械。批判の嵐にさらされたが,その機会はオブジェとしておかれ続け,通る人は吸い寄せられるようにボタンを押す。そして手が元に戻す。何百年か経って,人類がいなくなった。木の枝が風に吹かれてボタンを押し,手が元に戻す。そしてさらに数百年。その機械は,ボタンを押されてもいないのに動き出し鎮魂歌を流し,そして永遠に動かなくなった。といったような話だ。

この話に出てくるボタンは,アフォーダンスの塊なのだろう。

ボタン。しかしこれはどうしようもなく誘惑の塊だ。ボタンを見ると,押したら何が起こるのかドキドキしてくる。押さないでくださいと書いてあるとなおさらだし,書いてなくても,ボタンから伸びているコードが壁に埋まって消えて行くところなどを見ると,ひょっとしたらどこかでロケットでも発射するんじゃないかとわくわくしてくるのであるが,大人は素知らぬ顔で通り過ぎなければならないのだ。

まったくひどい話だ。

ボタンに限らず,誘惑に耐えなければならない形は他にもいろいろある。人によっても違うだろう。
人が触ったところだけ色が変わっているアート作品などを見ると,笑ってしまうときがある。

2010/04/05

sweater v.s. fleece

この冬,ユニクロのセーターとフリースを買った。
より着たのはセーターだった。

結論。セーターの方が暖かい。

2010/04/04

cluster

ひゅっと,宇宙から星が降ってきて,それがずっと星の周りを回っている。
月はどうして地球の周りを回るようになったかなんて天文学的な疑問に答えるのは,ロマンチストに任せることにするけれど,何かを考えるときの道具というのはそういう感じがする。

僕の頭の中には,うどんほどの太さ,長さのたくさんのフレーズでいっぱい。それがみんな頭の中をうようよと泳いでいる。深く深く潜っていけばリュウグウノツカイに出会える。僕の頭の中は,母なる海ではないから,魚が泳いでいるとなるとどこかからやってきたとしか考えられない。雨の強い日に何処からか流れてきたのか,それとも釣ってきたのか,どこからともなく集まってきたフレーズたちが泳いでいる。弱肉強食,フレーズたちも食べたり食べられたり,浮世に嫌気がさして深く深く潜り込んだフレーズもあれば,鯨のように大きくなって腹の中でゼペット爺さんを生かしてしまうような奴までいる。

ふと頭の中に光が差し込んだとき,そういったたくさんのフレーズのいくつかがきらりと光る。

それを道具に,ものごとを考え始める。

外からやってきたものが,自分の周りをぐるぐる回っている月のように,はたまた生簀の中で育ってゆく魚のように,暗い道を照らしたり,勝手に肥えていったり,するような感じに,自身の考えを導いている気がしてきた。そして,短いフレーズのようなものが,結局考えの中心で,長い長い文章や,単語だけでは,考えることができない。

「世界は予めクラスター化されている。」
今日僕の頭の中で光ったのはこんなフレーズだった。
やはり今まで僕がいたのは,ひとつのクラスターだった。居心地が良くて,尊敬出来る人が沢山いて,そして刺激をもらって,どんどん自分らしくなるような房にいた。
いま,他のクラスターにお邪魔しそうになっているのではないかというところに,妙な不安を感じているのかも知れない。

うまく伝えたいこのイメージ。だが,まだできそうにない。うどんから穴子くらいにはなったか。

2010/04/03

ハゲ

韓国の駅に,ハゲと言うのがある。

それはさておき。

電車に乗っていたら,結婚式帰りと思われる着飾った女性たちが話していた。
「こないださ~,合コンしたら,〇〇会社創始者のご子息がいてね,すっごい金持ちだったんだけど,ハゲでちょっと年がいってて無理だったわ~」などと話していたのである。

髪の毛の有る無しってそんなに大事なことだったのか。

ここ数年,坊主だった身としては,そこまで毛が生えてるかどうかが大事だなんて思ってもみなかった。むしろ,髪の毛というのは女性の性的シンボルであって,いつまでも毛が生えているのは乳臭い男の印みたいのものなのだと思い込んでいたのである。

とまあ,ここまでいうとやはり大袈裟なわけであって,ハゲかどうかは化粧をしているかどうかの違いみたいなもので,大した問題ではない,と思っていたのだ。

が,化粧をしているかどうかというのも,大した問題の人がいるわけで,もう,結局のところ,何から何まで世の常識に反した私の感性,なんとかしてください。



はげあがって困るのは,額が広がる分,顔が長く見える,という程度の問題か,と思っていた。


そして,少しはげた細マッチョオヤジが一番もてると思ってた。のではないかということに気付かされた。

こんな考えてしまったのはきっと,その結婚式帰りと思われる着飾った女性たちの中に美人がいたからなのだろう。男って単純。

2010/04/02

good-better-best

なんでgoodの比較級がbetterで最上級がbestなんだろう。

きっと,goodとbetter-bestは,離れすぎているんだ。

良い,と,より良い,一番いい,というのは似ているようで全然違う。きっとそうに違いない。

2010/04/01

4月バカの日

さて,どんな嘘をつこうかしら。

2010/03/31

体重管理に関する思い込み

こんな自分ルールがあった。
ルール1:カロリーより量が問題。
ルール2:肉より野菜が太らない。
ルール3:炭水化物は太らない。
ルール4:食べたいものを食べたいだけ食べていれば太らない。

完全にルール1を忘れて過ごしていた。
だが,ルール2に今まで以上に従い肉を食べる量は格段に減った。そして,ルール4により,食べるものは格段にヘルシーになった。野菜と果物,乳製品が中心となった。

だが,ルール1を忘れた結果,太った。
更に,闘争本能が減った。

結果,草食系男子になった。

飢えた狼になりたい。

2010/03/30

かりんとう饅頭

かりんとう饅頭というのを食べたのである。
これは美味しい。
ぜひお試しあれ。

かりんとう味というよりは,かりん糖の食感なのだ。
問答無用,食えばわかる。

2010/03/29

ブカレン

先日のサボテンの続きでございます。
名前のプレートにブカレンと書いてあったと申しましたがひっくり返したら,なんと白雲閣と書いてあったのです。

非常に謎です。

だが,調べてみたところ,白雲閣ではありえない。形が全く違う。
だからやっぱりブカレンだ。

2010/03/28

3月最後の週末

非常に不安定な一ヶ月だった。
いろいろな人に相談した。
聞く人聞く人いいアドバイスをくれた。
聞く人聞く人に違うアドバイスを求めた。

人にアドバイスを求めるときは,本当に答えがわからない時と,答えがあって最後の一押しをして欲しい時がある。今回はどっちだったのだろう。

煮え切らない態度ばかり取っている中で,決めた,と言いながら,やっぱり,と思ったりしてぐずぐずして。まあ,こんなことは今までもなんどもあった。本当は。

なぜって,それは,やろうと思ったことの,三歩手前くらいが丁度いいことが多いからだ。何時まで経ってもぴったりの落とし所が見つけられない。

そうはいいながら,結局は勢いでなんとかなることも多い。

なるようにしかならない。
あとは意志の問題なのだろう。

今日は幼稚園の集まり,明日は大学の集まり。先週は高校の友人にあったし,その前は大学の友人と,大学院の友人にあった。今月は,いろいろな人に会えた。自分が選んだ道もあったし,他に道がなかったこともあった。でも,どの道に行っても,確かにいい刺激は貰えたのだと思う。たくさんの出会いがあったから,嫌なことなんて忘れてしまっているだけなのだろう。過去の方がよく見えるものだから。でも不思議とそのよく見える過去からまた現在に戻ってくると,現在も良く見えてしまう。過去と現在を行ったり来たりすることは,きっと未来へジャンプするための助走なのだ。

ああ。会い損ねている人がいる。

よかった。

まだ会いたい人がいる。
また会いたい人がいる。

2010/03/27

飲みすぎて気絶するように寝てしまったらなんだかおもしろ夢ばかりを見た。
アメリゴ・ベスプッチに尻を叩かれたり,トロッコに乗せられて長い長い山道を通って収容所に行ったり,収容所から脱出しようと頑張ってみたり,人体実験されたり,港で泳いだり,水泳のリレーに出ようと思ったら仲間が体調を崩して断念したり,でも断念しようと思ったらレンガ敷の床に青い石があってそれが光って,人体実験の時に聞いたお告げを思い出して,やっぱりリレーに出ることにしたりして,長い長い旅をして漸く現実の世界に戻ってきました。

2010/03/26

冷蔵庫,冷凍庫

冷蔵庫をあけようと思って,間違えて冷凍庫を勢い良く開けてしまった。

そこで何が起こったか。

正解。

冷凍庫の扉が勢い良く,顔面に激突した。

冷凍庫の奥に,雪見だいふくが隠してあるのを思い出した。

2010/03/25

疲れるまで

疲れるまで走ってみよう。
思いついたように走り始めた。
きっとフォレスト・ガンプが脳裏をよぎったに違いない。だが,そんなことはずっと後になってから自分で付け足しただけのような,そんな気がする。ただ,体を動かしてすっきりしたいと思っただけだ。

暖かくなったからだろう。走っても走っても走っても走っても疲れない。右に曲がり,左に曲がり,右に曲がり,左に曲がり,右に曲がって,橋をわたって,右に曲がって,真っすぐ走って,信号が赤だから,右に曲がって,その先はずっと信号が赤にならなかったからどこまでもどこまでも走って,なかなか疲れない。

少し前に走ったときには,20分でいきが上がってしまったのに。
ようやく膝が痛くなって,疲れたことにしてやめた。

ずいぶん走れるようになったなあ。

そう思って帰ってきて,キョリ測でチェックしたら,いつもとおんなじ距離だった。

いやあ,世の中はうまくできている。

いつもと同じ距離を,いつもよりゆっくり走っていただけだった。

2010/03/24

ああ,春だなあ,と思う瞬間がある。
どんな時かと聞かれてもなかなか答えられないのだが,たとえば,ドアを開けた瞬間感じる。

今日は春の日。今日は冬の日。

ドアを開けたときに感じる,そんな感覚が,ほんの少し楽しみである。

2010/03/23

いい答え

いい答えを引き出すには,いい質問をしなければならない。
いい答えに気づくには,先に答えを用意してはならない。
いい答えを生かすには,勇気がなければならない。
いい答えにするには,柔軟性がなければならない。

たくさんのいい答えを,無駄にしてはならない。

2010/03/22

仁義

上手に生きたいと思うのだが,そう簡単にはいかない。
何が正しいかなんて簡単には決められない。
何がいいかなんていうのも分からない。
なにか一つの決断をするとき,全員が賛同してくることなんてなかなかない。
なにか一つを選んだ時,一時的にせよ,何かを選ばないという選択をしていることになる。
自分でも,らしくない選択をしているとわかっている時もある。

全てを惑わすたった一つの原因は,不安だ。

不安の原因はどこにあるのだろうか。
予測可能性だろうか。
いや,単なる自信のなさだろうか。


不安は間違った方向への暴走に駆り立てる。
ひとつの藁にすがろうとして,大波を立てて自分で作った波に飲まれて溺れてしまう。

どうとでもなれと思う一方で,もう二度と戻れない一歩を踏み出しているのかも知れないという不安もある。
自分で決めるしかないと思いながらも,誰かが答えを教えてくれるのではないかと心待ちにしている。
後から取り戻せない選択をすることがかならずどこかにある。

狭き門より入れ。
だが,どれが狭き門か,誰も教えてくれない。
自分が入れれば,それは十分な広さを持っている。
入れなければ,それは閉じた門だ。
狭き門なんて存在しない。

カッコよく生きたい。
だが,それもひとつの誘惑。

2010/03/21

発射の日

3,2,1,発射!

3がつ21にちということです・・・

2010/03/20

アイデア

ある瞬間,止めどなく流れ続けていくのに,書き留めておかないと,みんな流れ出てどこかにいってしまう。
書き留めておいても,再現不能なことが多い。たくさんのことが欠け落ちてしまっている。

労を惜しまず,全てを語り尽くさなければならない。たった一人で。
何があろうともそれを最優先して。たとえ大事ではないアイデアであったとしても。二度と,自分には現れないのだから。

大事なことってなんだろう。

一人で語り尽くす?そう。アイデアは絵であったり音であったり言葉であったりするのだけれど,少なくとも書き言葉であることは殆どない。書き言葉に直すと死んでしまうことが多い。

我々が表現しようとするものの先には何があるんだ。
共有できるものなのだろうか。
たった一人で,その先に何かをみているのだろうか。再び登り始めるための目印なのだろうか。

月夜の晩に,空を見上げると,小さな出口がたった一つあるように見える。
だが,太陽が昇った昼間に空を見上げても,太陽が出口には見えない。

なぜだ。

きっと明るい世界には入口も出口もないのだ。