2010/04/30

だから君が変えるんだろう

ふっと,思い出した。ずっとずっといろんな話が頭の中を流れていって,ふと,ある人の言ったことを思い出した。

だから君が変えるんだろうに,なんて言われたことを。

学生の頃ある先生と,食事をしながら話をしていた。なんとなく思ったのと違った世界が広がっていて,ほんの少し失望したところがあったのだと思う。僕は色々なことを夢見ながらここに来たわけですが,実際に来てみると思ったよりも古臭くて,これからこんな時代がやってくるだなんていってたのはもっともっと先のような気がしてきましたよ,そんなようなことを言ったような気がする。

即座に言われたのが,「だから君が変えるんだろう」。一瞬の間もなく返されたのが驚きだった。だが妙に納得した。これからこんな時代がくるだとか,未来の話だとか,色々されているけれど,誰かが一歩ずつ進めているからそんな未来が現実にやってくるわけで,今を見て,悲観的な将来を慮って愚図愚図言っているのではなくて,変えるべき努力するのだったかなあと思った。

きっと僕はあんまり普通じゃないのだと思う。それでかもしれないけれど,変わった友達も多いのではないかと思う。こんなこというと,友達に怒られてしまうかも知れないが。

変わった人たちと一緒にいると,刺激をたくさん受けて,面白いし,相手を尊重しながら自分を主張できるような気がして,自分が成長しているのではないかと感じることが多い。だから,最近はやりのダイバーシティなんて言葉を使って,いろいろな人とやっていくのが大きな成長を生むのではないかと考えていた。

だが,僕にとってのダイバーシティは,変わった人たちと付き合うことではなくて,普通の人と付き合うことなのだということにふと気がついた。つまらないとかよく分からないとか,そいうことをいって心を閉ざすのではなくて,そういう人達とこそうまくやっていくのが,僕にとっていろいろな人と付き合うことになるのだ。

自分にとって都合よく解釈してばかりいてはダメなのだ。

外を見ようとばかりしていると,中を見ることが出来ていないし,上を見てばかりいても,下を見ることができない。実は結構難しい。

だが,心響く瞬間というのは,やっぱり,自分が興味をみている空にあることが多い気がする。それを好きだというのだろうから,当たり前かもしれない。

ふと,あるネットの番組を見ていたら,「人はだれだって素晴らしい人になろうとしているでしょう,出来る限り,なかなか難しいけど」と普通のおばさんが言っていて,妙に感動した。そして,そこからズルズルと僕の心の中でいろんなものが出てきて,さっきの話をふと思い出したのだ。

2010/04/29

ブルーセーター



まだ読みきっていないけれど,なにか感じ取った瞬間に書くのが一番だ。

「多くを与えられているということは多くを期待されている」だとか,「35歳で老けこむのはゴメンだ」とか,「キャリアを危うくすること,肩書きを手放すことへの恐れはあったが,世界をもっとよくしたいという願いは,それまでずっと私を駆り立ててきた原動力だった」とか,「弟と私は,世界を本当にかえるにはどうするのが一番いいか,よく話していた。まずお金を沢山稼いで,権力と影響力のある地位から動かせばいいというのが弟の考えだった。私はっもっと早くはじめなくちゃと言った。変化がどうやって起こるのかを早く理解し,時間をかけて関係と信頼を築くのだ」

とかなんとか。新しい一歩にはやはり不安はつきまとうわけで,そして先に何が待っているかなんて分からない事の方が多い。入念な準備が必要なのは確かだろうが,勢いみたいなものもおおいにあるのだろう。

あとは,なんとかなるさ,みたいな楽観的な気持ちと,何とかするしかないのだという焦りと,ビッグマウス。ばかみたいな大口を叩いても応援してくれる何人かの信頼できる人までバカにされないように,頑張ってたりするんだろう。


今までであってきた尊敬すべき人たちは,想像できないくらいの苦労をしてきたし,今でもしているだろうに,そんなことを感じさせないくらい朗らかで,笑顔が素敵で,「あれも楽しいよーこれも楽しいよー,あんたなーにしみったれた顔しているのよ,つべこべ言わずにやっちゃいな,あんたならどこでもやっていけるんだから」みたいな一声をかけてくれて,でもよく聞いていると,笑顔で「こっちも大変だけどね,はっはー」と笑い飛ばしているような,そんな人達だったことをふと思い出した。

あなたのことですよ,お客さん。

そんなわけでゴールデンウィーク。みなさん楽しんで。

2010/04/28

アザブジュバン

ボンジュール,アザブジュバーン。
アニョハセヨ,コノハサミヨクチョンギレルハサミダ。
ハロー,ホッタイモイジルナ。
セボーン,シャボーン,ドボーン。
ボナセーラ。ウンカッフェペルパボーレ。ラリルレッロ。
ニーハオ,メーコワシ。

世界中を飛び回っている人がいるっていうのに,僕は海が怖いから内陸に逃げてきてしまった。嘘。
空をとぶ助走をつけるために,ちょっぴり山奥まできてしまった。

海のあなたに幸い住むと人の言う。
我人とめゆきて,涙さしぐみ山のぼる。

ちょっと前に,自分の声を聞いた。
ちょっとくぐもった声で,なんと低かったのだ。
自分の声は甲高いと思い込んでいたので,ちょっと驚いた。
楽しい時には甲高い声でキャーキャー騒いでいるのだと思っていたが,あの高さできゃーきゃー騒ぐのはちょいとよろしくない。だから,今度からもっともっと高い声で騒ぐことにする。


カタカナを読んでいると不思議と甲高い声が聞こえてくる。
アハハ。あはは。
ほら,カタカナの方が声が高い。

こういうのは,自分だけの感覚かな。

2010/04/27

たまには法律についての関心事

今日はずいぶん驚くべきニュースがあったと思う。

このように書くと,僕が今何に関心があるのかがわかってしまい,そしてそれが世間の関心とずれていることを明らかにしてしまうかも知れないが,それはそれで仕方がない。

ひとつは,最高裁の死刑判決破棄差戻判決。
藤田裁判官が退官したので,堀籠判事が代読したらしい。
これはきっと,藤田裁判官の土産だろうと考えてしまう。
刑事裁判に裁判員裁判が導入されたことが,死刑制度にどのような影響を与えるかはまだまだ分からないが,今回の判決は死刑という刑事裁判における大きな論点に影響を与えるのだろうか。

もうひとつは,時効廃止法。
本当にできてしまうのか,というのが正直な感想だ。
欧米では時効がないなんていうことを理由にするなら,死刑制度だって廃止している国が殆どで,死刑制度があったらEUなんて加盟できない。だから,こんなことは理由ではないだろう。
あとから真犯人が出てきてものうのうと生きて行けるのが許せないという気持ちはわかる。
だが僕は,昔にテレビで見たニュースが頭に引っかかってしまう。
決定的証拠がないからと言って,ずっとずっと死ぬまで警察官に追い掛け回される被疑者。
死ぬまでというのは言い過ぎだろうが,幼稚園児か何かが亡くなった事件で,なんども逮捕されては証拠不十分だかなんだかで釈放されて,と,今考えるとどうもおかしい気がするのだが,参考人聴取だって似たようなものだ。ともかく,その時の報道では,警察の捜査がやりすぎと感じた。
もしいつまでも疑われ続けたら,虚偽の自白して刑期を終えた方が楽になるかも知れない。
判決は出ないけど真犯人だ,というどこか謎めいた自信が世の中のどこかから湧いてくるのが少し不安だ。

刑事法というのは何なのだろうと,考えてしまう。
そして,たぶん,主流派の考え方とは僕は違うのだろうと思う。
僕には説明をする術を持たないし,誤解を招くことへの不安が大いにある。

責任のある発言かあ。
いと難し。

2010/04/26

トモダチ

この間あった友達が言っていた言葉が妙に心に響いた。
しかもそれは,少し前に自分が言ったことの裏返しのような言葉だった。

久しぶりに会ったのに,全然久しぶりに会った気がしないような友達もいれば,久しぶりに会ったら全然変わってしまったと感じる友達もいる。不思議だと。

少し前に書いた事も含めて考えると,「変わった」と捉えるか,「意外な側面を発見した」と捉えられるかの違いなのではないかという気がする。

たとえば,マクドナルドに行った時,かつての早稲田太郎なら,安いからといって,ハンバーガー2個と水,と頼んでいたとしよう。
それが,久しぶりに友人と会ったとき,早稲田太郎はなんと照り焼きバーガーとコーラと,アップルパイを頼んだではないか。

ここで友人中央次郎は思った。
「早稲田太郎よ,昔はあんなにけちだったのに,いまじゃカロリーナンバーワンのオンパレードで,しかも値段も高いじゃないか。変わってしまったなあ。」

ここで,中央三郎は思った。
「早稲田太郎って甘いの好きだったんだ。意外な発見。」

変化を受け入れるか,拒絶するか,そこに境目があるのではなかろうか。
そしてその境目が,判断する側自身のひとつの仕切りで,きっと,壁だ。

もちろん,変わってしまったと残念に思うことを否定するわけではない。自身にとって大事な事がそこに隠れているだけなのだろうから。

僕の壁はどこにあるかな。

2010/04/25

ハーフの結果


1時間50分で完走しました。
この間練習で走ったときは,15キロくらいで両足つったので,それに比べれば,足もつらずに走れて満足満足。
順位はだいたい2000人中900番くらいだったみたいです。

最初は歩かず完走すればいいと思っていたのですが,途中欲が出て90分くらいで走ったらフルマラソンだと3時間切って猫ひろしだなあとか思ってしまった。

最後の3キロはみんなに次々と抜かれて悔しかった。若干屈辱です。

でも天気良くて楽しかった。

ゴールしたところを激写されてました。着ている青Tシャツは,参加賞です。

2010/04/24

ハーフ


あしたはハーフマラソン。

2010/04/23

ストレス

ストレスを感じる場面というのは人によって異なるのだろう。
ストレスを感じているということに気付けるかどうかもひとつのポイントだ。
ストレス発散法もまた人それぞれ。

八つ当たりだけはしないようにと心がけているのだが,やっぱりしているのだろうな。

中学生の時に,国語の先生が言っていたことを思い出す。アンネの日記に書いてあったのだったという話だったと思うのだが,紙ほど強いものはない。それは破いてしまえばそれまでだけれども,そういうことではなくて,何を書いても静かに受け止めてくれる。

ブログのように公開するものは,誰かがどこかで読んでいるからそこまで強くないだろう。そうやって人の目を気にするのだから,赤裸々な気持ちを書いているのかといったらそれは嘘だ。

だが,人目を気にするからこそ,ちょっとはいいことを書こうかなとも思ったりする。そんなサービス精神に自分自身が救われたり,思わぬ発見をしたりする。

井上ひさしの言うとおりで,楽しいことは何かとふれあった瞬間に生まれる。
犬も歩けば棒に当たるといったものだ。

早稲田太郎は歩くと,壁に当たる。
壁を伝って歩いてく。
そうすると,そこに友人が待っていたりするのだ。

2010/04/22

人は泣きながら生まれてくる

少し前,井上ひさしの評伝を読んだ。
なぜ喜劇を書くのかと聞かれて彼はこう答えた。
人は泣きながら生まれてくる。生きる苦しみは人に内在している。
だが,笑いは人と触れ合って初めて生まれる。笑いは特別な存在だ。だから僕は悲劇ではなく喜劇を書く。

たしかに一人で笑っていることはあまりない。心から笑うことというのがずいぶん減ったような気がする。

ところで,西郷さんの名言を目にした。
「命も要らず名も要らず、官位も金も要らぬ人は始末に困るものなり」

かつては何も思わなかったこの言葉が,今は妙に心にひっかかる。

詰まらぬ人間に落ちたものよ。

2010/04/21

就活って何だ



まあ,書評にあったから買ってみた。
書いてあるのは,入念に調査せよ。マニュアルに頼るな。10年先の自分を語れるようにしろ。みたいなものだ。
だが,インタビューを受ける人事部長たちはほとんどが,いい加減なきっかけで入社している。
今はそんな時代じゃないのだ,と言うことなのだろう。

就活ねえ。

最近,熱く語れるものがない。
冗談みたいな本気の話をさせてくれない。実現可能性を問われてしまう。それに,次は常識の壁だ。

どこかがおかしいのだ。
欲しいものが手に入らない。だが何が欲しいのか分からない。

2010/04/20

自分探し

なんだろう。やっぱり自分探しをしているのだろう。
自分探しをしているということは,自分を見失っているのだろう。
自分を見失っているということは,自分らしくないことをしているのか,しようとしているのではないかという不安があるのだろう。
ずっと夢に描いていたことはなんだったのだろう。
自分はどこらへんにいるのだろう。
その夢はどのくらい現実的で,しかもやるべき事だったのだろうか。

今の自分は何か違う。

もっとどこかに僕自身を最大限に広げられる場所が,相手が,いるのではないかという幻想が頭をもたげてくる。

どうせおまえなんかにはわかんねえよ,なんてかっこつけた青臭い不良みたいなことを言いたがっているのではないか。そんなこと思いながら自分の思っていることを全部流して,あまりに支離滅裂で整理されていなくてしかもネガティブで,それがなんとも自分らしくなくて笑えてくる。

だから自分探し。
今の自分のよくないところを全部挙げて,それでも僕を受け入れてくれる皆さん,なぜなのですか,と渋谷のスクランブル交差点のど真ん中で叫びたい。だって,前橋の駅前で叫んでも,なんと誰の耳にも届かないで終わってしまうからだ。

つまりやっぱり大声で叫ぶのは,周りの人にも聞いてほしという気持ちがちょっぴりあるのだ。
ただし,海は除く。
海岸で海に向かってバカヤロウと叫ぶのは,誰も聞いていないと思うからなのだ。
王様の耳はロバの耳。王様の耳はロバの耳。

では,ロバじゃなかったらなんの耳。
ウサギの耳ではバニージジイ。
象の耳だと薄すぎる。
カバの耳では可愛すぎる。
カピバラの耳だと,ん,耳あったっけ。
いいよ,パンの耳で。

ただでくれるパン屋さん,まだこっちでは見つけていない。
あれがあれば,相当助かるのに。

そんなわけで,自分探し。
僕の耳はパンの耳。群馬には海がないから利根川上流の橋の真ん中で,叫ぼうと思ったが,上流で川幅が狭くてやめた。カエルに,耳つけたら,どうなるのだろう。

そんなことが気になってしまったので。


自分探しをやめた。

2010/04/19

答えはNOだ

君は答えを見つけたか?
答えはNOだ。

この問答,仮に答えがYESであれば,では答えは何か?という問いが必ず続く。だが,NOだとここで終わり。だから「答えはNOだ」の意味が「そう。答えはNOだ」というのか,「いや,まだみつかっていない」なのかわからない。

だからどうした。

だから,答えはNOなのだ。

まさにそんな気分になるのだ。

10年先を考えるには,自分が小さすぎてどこかにいってしまう。
50年先を考えるには,自分は年を取りすぎている。
自分自身を見つめようにも鏡が見当たらない。

まず既に起きた未来を見つけよう。

とまあここで気づいたのが,10年先というのは,10年先の世の中を見るのではなくて,10年先の自分を見ようということだった。

なんと,世の中の行く末以上に推測不可能だ。

2010/04/18

ジョグ

まあ,ハーフマラソン近いからちょっと走ってみようと思って利根川沿いを走ってみた。

きつかった。
人の少ないルートを往復するので,途中で力尽きると大変だと思って歩幅を小さく,ちまちま走った。
だが,あと2キロで言えというところで右足ふくらはぎがつり,伸ばそうと思ってアキレス腱のばす体操みたいな感じに足を広げたら左足もつった。はう,という情けない声が出た。仕方なしにそこからはぷらぷらあるいて帰った。

かえったら,顔に塩吹いていた。
その後,膝が痛くて階段が登れないお年寄りの気持ちがよくわかった。

だが,なんだかすっきりしたのである。

2010/04/17

不思議

どこからアクセスしているのか都道府県別にわかるアプリケーションがブログに載っている。
ミクシーとかフェイスブックとかグリーとかああ行ったものを経由して見に来る人がどこにカウントされるのかよく分からないの。
それもそうなのだが,群馬が1位になっているのが分からない。いや,分からないと言い張りたい。
群馬から見ているのはたぶん僕だけだ。
そして,アクセス数なんて数が知れているので,比率を見るとだいたい何回くらいカウントされているのかがわかってしまう。群馬で一日一回ではないようなのだ。
たしかダブルカウントしないようになっていたと思うので,ネット環境の設定上ダブルカウントが可能になってしまっているのか,それとも,群馬に影の読者がいるのか。

日本地図全部に色がついたら面白いのに。

なんて,カウンターを出した途端に欲が出てしまうのだから,人間って単純。

2010/04/16

天職の見つけ方

Gigazineが紹介していた。
http://www.dumblittleman.com/2010/04/how-to-find-your-soul-job.html


Find a career/job that you would enjoy, even in the most challenging times.

これを訳すのに,「どんなに苦しい時にでも楽しいと思えることを選ぶ」となっていた。
だが,僕が訳すならこんな感じかな。
「全くうまくいきそうになくてもなんだか楽しくなってきてしまうこと」

チャレンジがつらいだなんて,ちょっともったいない。

でも,このフレーズ,少し心が洗われた。

他には
Explore the unexpected. Think outside the career box.
Conduct research
Look for alternative opportunities within your current employer.

予想外のこと,やりたいなんて思ってもみなかったこと。
道筋を立てること。
その場にある第三の道を探すこと。

2010/04/15

ミクシーってるね

かなり無理がある。mixiってるねで,つながってるね,だなんて。
でもでも,その広告に写っている女の子が可愛くてついクリックしてしまった。

ああ。男ってものは。

見ていて思った。
「東京いくんだ。」

ああ。東京は行くところじゃなくて帰るところなんだ。僕にとっては。
東京にいる殆どの人にとって,東京は行くところなのだろう。
そしてそのまま故郷にするのだろうか。


見たのは卒業編。

2010/04/14

べからず

ばからず。
びからず。
ぶからず。
べからず。
ぼからず。

ばびぶべぼ,とくると,どうしてビビデバビデブーが思い浮かんでしまうんだろう。


ほっとする誰かの一言で,萎縮していた僕の心が解放されたりする。
この人は僕を品定めしているんじゃないかと思うとずいぶん萎縮してしまう。

夢ってなんだったのだろう。

何が楽しかったのだろう。

どんどん心が固くなってきて,自由の羽がしぼんでくる。

真冬の池で,寝ている間に池が凍ったのか鳥が死んでいる。
暖かくなって氷が溶けてから飛べばよかったのに。


いままでたくさんのものを見てきたようで,きっと地図に書いてみたら,ほんの少しの場所しか僕は知らない。過去の僕がおいでおいでをしている。帰っておいで,過去の君の方が素晴らしい。
今の君は,すぐ楽な道に逃げようとする。
恵まれた環境を生かしきれていない。

2010/04/13

まだ本気だしてないだけだ

そうやって望みを残して,ふらふら生きているわけです。
俺が振ったんだといって強がりたいから,振られる前にふったりするのです。

最後の一箱を開けるのは,誰もが躊躇する。もうおしまいだから。
勇気を持って開けたら,パンドラの箱だったりするんだから。
でも入っていたならまだいい。空っぽなのが一番残念だ。

2010/04/12

雨だね

雨だ。春になって,昨日一昨日と暖かかったのに,雨が振った途端に冷え込む。
春という奴は,長閑な休日を見せてくれたかと思うと,手のひらを返したように急に冷たくなる。
漸く咲いた桜の花の,風に舞い散る一番の幸せを奪い取る。

だが散った花びらが,小さな水たまりに流れていく。日が沈むにつれ,そこはまるで夜空に輝く星空のように見えてくる。空に天の川がある。だが天の川は本当は星は流れていない。星はただ同じ場所から身動きが取れない。

だが雨雲に隠れて空の天の川が見えない日は,普段は映すことのない誇りにまみれたアスファルトが,見えるはずのない星の流れる天の川を映している。車のライトはまるで月明かりのようにアスファルトの空を映し出す。

春の雨は,夜になると天地を逆転させる。

我々は天井を歩き始めているのに,誰も気づかない。空が地面にあるなんて信じられないから。足が地面から離れているなんて考えられないから。だが,信じているに過ぎない。その証拠に,我々はいちいち地面に足がついているなんか確かめていないじゃないか。


ずっと前,雨がひらひら落ちるなんて書いて,あれはたしかに傑作だった。もう二度と書けやしない。いつの間にかなくなってしまう道路の花びらのように,人に踏まれて茶色くなり,地面にへばりついてそのまま消えていってしまう。言葉なんてそんなものだ。埃のように部屋の隅でダンスをしている時もあるけれど。

トタン板に雨が当たる音が懐かしい。トタン板なんて見なくなってしまった。

外に出ると雨が僕を包み込んでしまう。僕は部屋の中にまでその雨を持ち込んで,陽の光が差し込むまで部屋のなかは土砂降りだ。僕は部屋の中で傘をさして,息の出来る空間をかろうじて確保している。そしていつの間にか足が地面を離れ,足元に星空が広がる。だがその前に電気を消さなければならない。そうでなければぼんやりとした青白い光によってすべての境界が曖昧になり,僕は宙に浮く前に霧のように蒸発してしまう。


なんとなく寂しい気持ちになる。
ひらひら降るなんていって,雨が降ると何となく嬉しい気持ちになったのは,あの時だけだった。あの瞬間そう思うと,まるでずっとそう思っていたかのように勘違いをしてしまう。だがあれは,昔からずっとではなかった。いくつかの条件が重なって,あの瞬間,過去のすべてを背負って,雨がひらひら降ってきた。

だが今は,あの瞬間,そしてあれからの時の流れをすべて背負って,雨が試着室のカーテンのように包み込む。

だがきっと,悪いのは雨ではなくて風なのだ。
せっかく浮かんだ僕を,地面に叩きつけてびしょ濡れにしてしまう。僕は花びらだらけになって,震えながら排水口に吸い込まそうになる。

だから,暖かい風呂に入って,しっかり体を乾かして,それから,ザアザアぶりの部屋の中に電気を消して入る準備をしなければならない。

怖がって電気を付けていたら,何も見えない。

雨の日に頭に浮かんだ数々の水滴。今日はしっかり書き留めた。支離滅裂だけど。整理するのは書き留めた後の仕事だ。

2010/04/11

井上ひさし

一昨日あたり,舞台が延期という小さな記事が目に留まって,肺がんだったんだ,と知った。
今日,死んだというニュースがあった。
ポーランド大統領の飛行機事故,タイでの日本人記者死亡のニュースに混じって,また小さな記事なのだろう。
ひょっこりひょうたん島。万歳。

小さな記事なのだけれど,目に留まる。どうしてなのだろう。


はまるほど読んだわけではないのだけれど,それでも読んだことのある作家がいなくなるのは残念だ。

だけれども,作品は残り続けるのが不思議だ。
生きるというのは何かを残すことなのだろう。
誰のために,何のために,何かを残すのだろう。

金儲けの副産物が人の心を動かすだなんていったら,幻滅する。むしろ,感動したからこそ対価が支払われるというべきだろう。だが,多くの商品は先払いだ。

2010/04/10

お花見


お花見。
東京では,いや東京でなくても,どこでも,ばかみたいに桜の花を観に人が集まる。大混雑の中,ぎゅうぎゅう詰めで。

なんだか僕は今年は,いや,いつもそうかもしれない,人がいないところで立ち止まることなく花見をしているような気がする。ふらふらと桜の下を歩いている。たいがいは,立ち止まるのも嫌なくらい寒い日に。でもそういうのがちょっと好きで。

桜が綺麗だ。疑いもしなかった。

だけれど,今年はなんか違った。

それは誰かの一言からだ。花見花見と言ってもどこへ行ってもソメイヨシノ。ソメイヨシノなんてクローン。どこで見ても同じだよ。

そう言われてみると,枝ぶりは違うけれど,なんだかに多様な花の房がボンボンみたいについているだけで,たいしたことないように見えてきた。

ソメイヨシノに隠れて,ほんのすこし違う色だったり,違う咲き方をしている桜があると,なんだかそいつらの方が全然いいように見えてくる。

ポツンといるんだけれど。

並木もいい。だけど,一本,華々しく咲き誇っているのもいい。

どこだったろう,写真で見たような気がする。広い丘のてっぺんで,年老いた枝垂れ桜が一本,よっこらせと言わんばかりに花を咲かせている。そんなのが見たいんだよなと,急に思うようになった。

それをみるためだけに,人の少ない田舎道をずっと登って,桜の木の下でひと休みして帰るみたいな。そんな贅沢がしてみたい。

もちろん,晴れている日に。

2010/04/09

星の数を数えるのと同じくらい

君は自分の人生について,又は夢についてどれくらい真剣に考えたことがあるんだい,と誰かに聞かれているような気がする。

僕は,そうですね,空にある星の数を数えるのと同じくらいでしょうか,と答えようとする。

目が良くても悪くても,空が綺麗でも汚くても,たぶん,数えきる前に飽きてしまうほどの星の数があるし,どこから数え始めていいのかも分からない。なんとなく明るい星を幾つか見つけて,そして,オリオン座みたいな知っている星座の形を再確認して,おしまいだ。いつもは。

それなのに,なぜだろう。急に空をみあげてしまったりすると,いつまでも何時までも空を見つめて,同じ星を何度数えているのかわからない位混乱しているのに,必死に星を探してしまったりする。

小学生の時には,星の色なんて習ったけれど,もうみんな白くしか見えない。なぜだろう。そんなことが頭をよぎった途端,星に色が生まれる。

黒い布に穴が開いているだけなのではなくて,闇の中で小さな星の一つ一つが自分の色に輝いている。そういえば,小学校で習ったのだった。空は写真のような一枚の板ではなくて,どこまでも永遠に続く空間。そんな当たり前のことが,とてつもなく恐ろしい発想に思えてくる。だって,今見上げたその空の先には,宇宙の果てまで遮るものが何もない。宇宙の中の太陽系の中の地球の中の日本の中のどこか小さな土地の上で空をみあげている優曇華の花みたいなちっぽけな僕が宇宙の果てを見つめているなんて,とんでもなくとんでもない。

2010/04/08

stomachache

何で最近タイトルが英語かって聞かれても,私は知らない。

たぶん,最初直接入力になっているからなんとなくタイトルくらいは英語にしてみようかと思ったのか,いや,始まりはクラスター。クラスターの記事を書こうと思ったときに,以前書いたことを思い出して検索してみた。そしたら英語で書いてあった。だから,英語と日本語と両方書いてあったほうが検索しやすいだろうと急に思ったのだろう,とかっこつけていってみるわけだが,結局のところ,だんごどっこいしょの落語みたいに,最初やると何とはなしにそのまま続けてしまうということはよくあるわけだ。

だんごどっこいしょっていってみたけれど,本当は何なのだろう。
だんごだんごといいながら,家を出たのに,水たまりを飛び越えるときに,どっこいしょといって,それからどっこいしょどっこいしょと唱えて,というふうにいろいろ言うことが変わるが,最後に,団子頂戴といって終わる話なのだが。

さて,本題。

腹が痛い。

ただそれだけのことだ。

だが,数日にわたっておなかを壊すというのは,思い出す限り小学校以来であって,一大事なのである。どうしていいのかわからない。原因には,思い当たることが多すぎて困ってしまう。

安くなっていたバナナか。おいしかったのだが。

食べたものが全て出ているのではないかと思うのだが,全然腹が減らないというのはどういうことなのだ。それに,1,2キロしか体重が減らない。人間てすごい。太っててよかったとも思ったのだが。やはり普段から多少の余裕は必要だ。

だがなんだか,これだけでたのだからたくさん食べても大丈夫だろうと思ってしまうのだ。それに,なんだかおなか壊しそうなものばかりおいしそうに見えてくる。ヨーグルト,牛乳,オレンジジュース,納豆,蜂蜜,アイス,刺身,肉,レーズン,アイスコーヒー。

大丈夫,おなか痛くなるだけだから。

飽きたらおかゆ食べればいいんだよ。

2010/04/07

Stockholm syndrome

ストックホルムシンドロームというのは,かつてストックホルムの銀行立てこもり事件で,人質が犯人に親近感を抱いてしまって事件解決が難航してしまったということから,緊張した状態にいると変な相手にも依存してしまうことを言うのだろう。

このような言葉を出すまでもなく,自分自身は現状を肯定したがる。いま,自分がいる場所から見ると,その周辺はよく見えるし,そこに人がいる以上,ひとつの社会が出来ている。自分が普通に生活を出来ている以上それもまたひとつの人生にも見えてくる。

だがいったん外に出てみると,客観視することが出来て,ずいぶん見えていなかったのだなあと思う。

僕はずっと東京付近で生活してきて,外から見たことがなかった。たった数ヶ月,東京を離れただけで,しかも週末はしょっちゅう帰ってきているというのに,冷めた目で東京を見てしまう。やたら人が多いとか,その割につながっている人はそれほど多くないとか,やはり都会というのは幾重にも重なってやたらおおきくみえるのだけど,実際にはその重なった層同士はくっついておらず,はらはらとはがれてしまうような関係に見える。

都心にしかないものは,最先端のもの。だが,その最先端に触れられるかは,都心にいるかだけでは決まらない。後は面白い人との出会いか。だが,それもまた,都心にいるかだけでは決まらない。

人の生活というのはどこにいようと基本的には変わらない。それはひとつの真理だ。

明日の自分のために今日の自分を自己否定するというのはなかなか難しい。
東京を客観視できたといいながら,結局群馬を客観しできなければ東京を客観視できたとはいえないのだと思う。どこかに立たなければ物は見えないけれど,立っているその場所を客観視できないのだ。

2010/04/06

affordance

アフォーダンスという言葉が新聞に紹介されていた。見ただけでつい行動を引き起こしてしまうような物の形のことをいうようだった。

この話を聞いて思い出すのは星新一のショートショート。たしか,鎮魂歌というタイトルだったか。有名な科学者が税金を大量につぎ込んで作った機械。そこにはボタンと手がついている。そのボタンを見るとつい押してしまう。押しこまれると,手が元に戻す。ただそれを繰り返すだけの機械。批判の嵐にさらされたが,その機会はオブジェとしておかれ続け,通る人は吸い寄せられるようにボタンを押す。そして手が元に戻す。何百年か経って,人類がいなくなった。木の枝が風に吹かれてボタンを押し,手が元に戻す。そしてさらに数百年。その機械は,ボタンを押されてもいないのに動き出し鎮魂歌を流し,そして永遠に動かなくなった。といったような話だ。

この話に出てくるボタンは,アフォーダンスの塊なのだろう。

ボタン。しかしこれはどうしようもなく誘惑の塊だ。ボタンを見ると,押したら何が起こるのかドキドキしてくる。押さないでくださいと書いてあるとなおさらだし,書いてなくても,ボタンから伸びているコードが壁に埋まって消えて行くところなどを見ると,ひょっとしたらどこかでロケットでも発射するんじゃないかとわくわくしてくるのであるが,大人は素知らぬ顔で通り過ぎなければならないのだ。

まったくひどい話だ。

ボタンに限らず,誘惑に耐えなければならない形は他にもいろいろある。人によっても違うだろう。
人が触ったところだけ色が変わっているアート作品などを見ると,笑ってしまうときがある。

2010/04/05

sweater v.s. fleece

この冬,ユニクロのセーターとフリースを買った。
より着たのはセーターだった。

結論。セーターの方が暖かい。

2010/04/04

cluster

ひゅっと,宇宙から星が降ってきて,それがずっと星の周りを回っている。
月はどうして地球の周りを回るようになったかなんて天文学的な疑問に答えるのは,ロマンチストに任せることにするけれど,何かを考えるときの道具というのはそういう感じがする。

僕の頭の中には,うどんほどの太さ,長さのたくさんのフレーズでいっぱい。それがみんな頭の中をうようよと泳いでいる。深く深く潜っていけばリュウグウノツカイに出会える。僕の頭の中は,母なる海ではないから,魚が泳いでいるとなるとどこかからやってきたとしか考えられない。雨の強い日に何処からか流れてきたのか,それとも釣ってきたのか,どこからともなく集まってきたフレーズたちが泳いでいる。弱肉強食,フレーズたちも食べたり食べられたり,浮世に嫌気がさして深く深く潜り込んだフレーズもあれば,鯨のように大きくなって腹の中でゼペット爺さんを生かしてしまうような奴までいる。

ふと頭の中に光が差し込んだとき,そういったたくさんのフレーズのいくつかがきらりと光る。

それを道具に,ものごとを考え始める。

外からやってきたものが,自分の周りをぐるぐる回っている月のように,はたまた生簀の中で育ってゆく魚のように,暗い道を照らしたり,勝手に肥えていったり,するような感じに,自身の考えを導いている気がしてきた。そして,短いフレーズのようなものが,結局考えの中心で,長い長い文章や,単語だけでは,考えることができない。

「世界は予めクラスター化されている。」
今日僕の頭の中で光ったのはこんなフレーズだった。
やはり今まで僕がいたのは,ひとつのクラスターだった。居心地が良くて,尊敬出来る人が沢山いて,そして刺激をもらって,どんどん自分らしくなるような房にいた。
いま,他のクラスターにお邪魔しそうになっているのではないかというところに,妙な不安を感じているのかも知れない。

うまく伝えたいこのイメージ。だが,まだできそうにない。うどんから穴子くらいにはなったか。

2010/04/03

ハゲ

韓国の駅に,ハゲと言うのがある。

それはさておき。

電車に乗っていたら,結婚式帰りと思われる着飾った女性たちが話していた。
「こないださ~,合コンしたら,〇〇会社創始者のご子息がいてね,すっごい金持ちだったんだけど,ハゲでちょっと年がいってて無理だったわ~」などと話していたのである。

髪の毛の有る無しってそんなに大事なことだったのか。

ここ数年,坊主だった身としては,そこまで毛が生えてるかどうかが大事だなんて思ってもみなかった。むしろ,髪の毛というのは女性の性的シンボルであって,いつまでも毛が生えているのは乳臭い男の印みたいのものなのだと思い込んでいたのである。

とまあ,ここまでいうとやはり大袈裟なわけであって,ハゲかどうかは化粧をしているかどうかの違いみたいなもので,大した問題ではない,と思っていたのだ。

が,化粧をしているかどうかというのも,大した問題の人がいるわけで,もう,結局のところ,何から何まで世の常識に反した私の感性,なんとかしてください。



はげあがって困るのは,額が広がる分,顔が長く見える,という程度の問題か,と思っていた。


そして,少しはげた細マッチョオヤジが一番もてると思ってた。のではないかということに気付かされた。

こんな考えてしまったのはきっと,その結婚式帰りと思われる着飾った女性たちの中に美人がいたからなのだろう。男って単純。

2010/04/02

good-better-best

なんでgoodの比較級がbetterで最上級がbestなんだろう。

きっと,goodとbetter-bestは,離れすぎているんだ。

良い,と,より良い,一番いい,というのは似ているようで全然違う。きっとそうに違いない。

2010/04/01

4月バカの日

さて,どんな嘘をつこうかしら。