多くの学生が履歴書に書くキーワード,それは「挑戦」。
きっと多くの採用担当者は,またか,と思いながらも,その書類を「可」のほうに通すのだ。
我々は,予想されたことが起こるとまたか,と思いながらも予想外のことは拒絶しようとする傾向がある。そういった習慣じみた作業が好きだ。
最近挑戦が足りないと思う。
挑戦というのは難しい。
やると決めるまでが挑戦で,やると決めたらもうそれは挑戦ではなくノルマになる。ノルマになると挑戦という言葉が持っていた輝きは急速に薄れるように思う。だがそれでもやはりそれはまだ挑戦の一部なのだろう。挑戦というのは長丁場だ。
時間の要素は忘れがち。
我々は生まれながらにして,生という長い長い挑戦に挑んでいるのだ。と,カッコつけて締めくくろうとするが,これもまた挑戦。
2010/03/06
2010/03/05
ブレ
ブレるとだめなんだって,前の首相が言ってた気がする。
でも,どの世界も自分に関係ありそうな気がして,ふらふらするのもまたいいような気がする。
一番大事なのはどこでもやっていけること。
そのために必要なのはなんだろう。
羽を広げられる環境だ。
バタバタバタバタ。
そういえば,動物には,友達に会いに行くということはあるのだろうか。
感動ものの映画では,仲間と寄り添う瞬間はあるけれど。
久しぶりに犬にあったときに大喜びしてたりするのを見るとそんなこともありそうな気がするが,そもそも,彼らには自由がない。
カラスのパー君が,隣町のピーちゃんに世間話しに行ったとか,なんだかありそうな気もする。
カラスの世間ってどれくらい狭いのかな。
でも,どの世界も自分に関係ありそうな気がして,ふらふらするのもまたいいような気がする。
一番大事なのはどこでもやっていけること。
そのために必要なのはなんだろう。
羽を広げられる環境だ。
バタバタバタバタ。
そういえば,動物には,友達に会いに行くということはあるのだろうか。
感動ものの映画では,仲間と寄り添う瞬間はあるけれど。
久しぶりに犬にあったときに大喜びしてたりするのを見るとそんなこともありそうな気がするが,そもそも,彼らには自由がない。
カラスのパー君が,隣町のピーちゃんに世間話しに行ったとか,なんだかありそうな気もする。
カラスの世間ってどれくらい狭いのかな。
2010/03/04
2010/03/03
桃の節句
今日は桃の節句である。ひな祭り。男としては特にすることがない日なのだが,さり気なく金平糖を買ってしまいそうだった。
それはさておき,今日は歩いた。
いつも自転車で走っている道を歩いてみた。
妙に詩碑が多くある。群馬では萩原朔太郎が地元民だったこともあり,朔太郎の碑や,その他詩人の碑も沢山置いている。知ってはいたのだが,読んでみようと思ったのは2度目だった。
2度目。その意味するところは,碑の存在を知ってすぐに興味を抱き見てみたところたいしていい詩ではなかったのでそのまま興味を失って数カ月ということである。
2度目のチャンスはこのようなふとしたきっかけでやってくるのだ。
そこにあったのは,いい詩だった。一発でタイトル,作者,詩の内容,すべてを覚えてしまえると錯覚したほどだ。だからこそここで紹介できなくなってしまった。つまり,もうわすれてしまったのだ。それほどに最近感動から解き放たれるのが早い。
これは困ったことだ。
どうしてこのようなことになるのか。その分析をすると,また誰も考えもしないであろう明後日な仮説を立てることになってしまうだろう。だが,そういって我慢できるほどいい子でもないのだ。
感動を簡単に自分の言葉や経験に置き換えてしまおうとするからに違いない。新しい感動を,過去のものとして捉えてしまう。そうなると,どこかにあった過去の感動の中にまぎれてしまって思い出せなくなる。そして,すべて自分が主人公になって,その感動を与えたもの自身の存在を忘れていってしまう。
そんなことなのではないだろうか。
ひょっとしたらボケが始まってるとか,あまりに本物に出会うことが少なくなってたいしてよくないものにまで感動するようになったとか,他の可能性もありそうだ。
はあ。いつまでも本題に入れない。いやしかし神は細部に宿るのだ。本題はつまらない。その他の部分が面白い。世の中そんなものだ。
その詩の内容というのは,あたし平凡になりました。うそです最初から平凡でした。平凡だから,平凡じゃないかもしれないと強がってるだけでした。そんな平凡な女でした。
みたいなものだったのだ。
平凡だから平凡じゃないと言い張るなんてあたりは,ギクッとするところがあったりして,最初からそうだったんだよと告白するあたりも平凡な発想でこれもまた平凡な心を表しているのだ。全部仕組まれてる。何となくしっくりきてしまった俺まで平凡だといわれているようで,実に困った。うそです最初から平凡でした。すみません。という風に,いつの間にか取り込まれて雁字搦めになり,詩碑の前で身動きが取れなくなった。
こういうときは声をだすといい。
「あんぽんたん」
自ら発したこの一言で私は解き放たれ,再び歩き始めたのだ。
するとまた詩碑がある。
どれどれと読んでみると,今度はつまらない。ところが不思議なことにこの詩の名前は覚えているのだ。「心理」。どうなっているのだ。内容は当然覚えていない。
あまりにひどい覚え方なので,ショックのあまり,詩碑を色々調べてみた。すると,あるではないか町田康の詩碑が。
今度はこれを見つけに旅にでます。
それはさておき,今日は歩いた。
いつも自転車で走っている道を歩いてみた。
妙に詩碑が多くある。群馬では萩原朔太郎が地元民だったこともあり,朔太郎の碑や,その他詩人の碑も沢山置いている。知ってはいたのだが,読んでみようと思ったのは2度目だった。
2度目。その意味するところは,碑の存在を知ってすぐに興味を抱き見てみたところたいしていい詩ではなかったのでそのまま興味を失って数カ月ということである。
2度目のチャンスはこのようなふとしたきっかけでやってくるのだ。
そこにあったのは,いい詩だった。一発でタイトル,作者,詩の内容,すべてを覚えてしまえると錯覚したほどだ。だからこそここで紹介できなくなってしまった。つまり,もうわすれてしまったのだ。それほどに最近感動から解き放たれるのが早い。
これは困ったことだ。
どうしてこのようなことになるのか。その分析をすると,また誰も考えもしないであろう明後日な仮説を立てることになってしまうだろう。だが,そういって我慢できるほどいい子でもないのだ。
感動を簡単に自分の言葉や経験に置き換えてしまおうとするからに違いない。新しい感動を,過去のものとして捉えてしまう。そうなると,どこかにあった過去の感動の中にまぎれてしまって思い出せなくなる。そして,すべて自分が主人公になって,その感動を与えたもの自身の存在を忘れていってしまう。
そんなことなのではないだろうか。
ひょっとしたらボケが始まってるとか,あまりに本物に出会うことが少なくなってたいしてよくないものにまで感動するようになったとか,他の可能性もありそうだ。
はあ。いつまでも本題に入れない。いやしかし神は細部に宿るのだ。本題はつまらない。その他の部分が面白い。世の中そんなものだ。
その詩の内容というのは,あたし平凡になりました。うそです最初から平凡でした。平凡だから,平凡じゃないかもしれないと強がってるだけでした。そんな平凡な女でした。
みたいなものだったのだ。
平凡だから平凡じゃないと言い張るなんてあたりは,ギクッとするところがあったりして,最初からそうだったんだよと告白するあたりも平凡な発想でこれもまた平凡な心を表しているのだ。全部仕組まれてる。何となくしっくりきてしまった俺まで平凡だといわれているようで,実に困った。うそです最初から平凡でした。すみません。という風に,いつの間にか取り込まれて雁字搦めになり,詩碑の前で身動きが取れなくなった。
こういうときは声をだすといい。
「あんぽんたん」
自ら発したこの一言で私は解き放たれ,再び歩き始めたのだ。
するとまた詩碑がある。
どれどれと読んでみると,今度はつまらない。ところが不思議なことにこの詩の名前は覚えているのだ。「心理」。どうなっているのだ。内容は当然覚えていない。
あまりにひどい覚え方なので,ショックのあまり,詩碑を色々調べてみた。すると,あるではないか町田康の詩碑が。
今度はこれを見つけに旅にでます。
2010/03/02
キャベッジ
いやまあ今夜は酔っぱらいですからどうでもいいことをいってても許してくださいな。
どうして英語はカッコつけてるんだろうと思うのですよ。
なぜキャベツをキャベッジ!というのですか。
なぜトマトをトメイトーというのですか。
なんできゅうりをキューカンバーっていうのですか,キューまでしかあってないじゃないですか。
なぜ馬鈴薯をポテイトウというのですか。せめてジャーゲイモーにしてくださいよ。
パイナップルだって,パイナポーじゃ,グリコやったら5歩しか進めないでしょう。しかも「ー」を一文字にしてですよ。まあチョコレートをチヨコレイトって数えるから大丈夫だけど。パイナポウっていうからさ。
そういやどうして,チヨコレイトと,パイナツプルと,グリコなんだろう。グから始まる食べ物って,「ぐみ」じゃあ二文字だしなあ。でもグレイプフルウツだったら結構進めるんだけどなあ。チだって「チキンナンバン」とかのほうが美味しいんじゃないかと思うのだけれど。パだって「パンナコツタ」でもいいのに。
ごめんなさい。
どうして英語はカッコつけてるんだろうと思うのですよ。
なぜキャベツをキャベッジ!というのですか。
なぜトマトをトメイトーというのですか。
なんできゅうりをキューカンバーっていうのですか,キューまでしかあってないじゃないですか。
なぜ馬鈴薯をポテイトウというのですか。せめてジャーゲイモーにしてくださいよ。
パイナップルだって,パイナポーじゃ,グリコやったら5歩しか進めないでしょう。しかも「ー」を一文字にしてですよ。まあチョコレートをチヨコレイトって数えるから大丈夫だけど。パイナポウっていうからさ。
そういやどうして,チヨコレイトと,パイナツプルと,グリコなんだろう。グから始まる食べ物って,「ぐみ」じゃあ二文字だしなあ。でもグレイプフルウツだったら結構進めるんだけどなあ。チだって「チキンナンバン」とかのほうが美味しいんじゃないかと思うのだけれど。パだって「パンナコツタ」でもいいのに。
ごめんなさい。
2010/03/01
カッコいい爺さんたち
最近電車に乗っても,席を譲れない。
ひとえに親切心がなくなってきたといわれてしまえばそれまでなのだが,他にも原因が有るのではないかといいたい。
元気な年寄りが多いということだ。
背筋をぴっと伸ばしてちょい悪な服を来た白髪の爺さんが乗ってくる。
さて,その爺さんに席を譲るとなると,,お前はいくらカッコつけても,爺さんなんだよ。だから俺が席を譲ってやるんだ。爺さんは静かに席に座ってな,と言わんばかりになってしまうのではないかという気がしてならない。
なんとなく,相手のメンツを気にして席を譲れない。
ちょい悪爺さんはこんなタイプが多いのだろうか。
無理してかっこつけてたから,席を譲ってくれてありがとうな人。本当の老紳士で,譲られた席に座るにもかっこいい人。頑張ってカッコつけてるんだから台無するようなことをして欲しくない人,まだまだ自分は若いのだから席を譲られるなんてけしからんと思っている人。
メンツを潰す優しさは優しさではないのではないかと思う。
少し前になってしまうが,高橋が銅メダルをとって,良かったねというのは,優しさとはいい切れないと思ってしまった。やっぱり,惜しかったねといってやりたい。彼に対して,頑張って銅の力しかないなんていいたくない。
だからみなさん,ぼくが,どこかで妥協しそうになってたら,こういってくださいな。
お前そんなのでいいの?って
認めてくれている人ほど認めてくれない。
僕はちょっと古い頭なのでまだまだそんなことを考えてしまう。
ひとえに親切心がなくなってきたといわれてしまえばそれまでなのだが,他にも原因が有るのではないかといいたい。
元気な年寄りが多いということだ。
背筋をぴっと伸ばしてちょい悪な服を来た白髪の爺さんが乗ってくる。
さて,その爺さんに席を譲るとなると,,お前はいくらカッコつけても,爺さんなんだよ。だから俺が席を譲ってやるんだ。爺さんは静かに席に座ってな,と言わんばかりになってしまうのではないかという気がしてならない。
なんとなく,相手のメンツを気にして席を譲れない。
ちょい悪爺さんはこんなタイプが多いのだろうか。
無理してかっこつけてたから,席を譲ってくれてありがとうな人。本当の老紳士で,譲られた席に座るにもかっこいい人。頑張ってカッコつけてるんだから台無するようなことをして欲しくない人,まだまだ自分は若いのだから席を譲られるなんてけしからんと思っている人。
メンツを潰す優しさは優しさではないのではないかと思う。
少し前になってしまうが,高橋が銅メダルをとって,良かったねというのは,優しさとはいい切れないと思ってしまった。やっぱり,惜しかったねといってやりたい。彼に対して,頑張って銅の力しかないなんていいたくない。
だからみなさん,ぼくが,どこかで妥協しそうになってたら,こういってくださいな。
お前そんなのでいいの?って
認めてくれている人ほど認めてくれない。
僕はちょっと古い頭なのでまだまだそんなことを考えてしまう。
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