2012/05/20

休日-散財

今日は,ぷらぷらと車を走らせ,買い物しました。
まずはタイヤ。さんざん悩んで車のタイヤを買いました。これはすり減っていたから,しかたない。
そして,グラス。フランフランで,割ったグラスの敵を討ちました。
最後に,ペン。
あり得なかった。これは,見逃すことができなかった。
高崎イオンモールの改装セールで,ペリカンのスーレベーン400と思われる万年筆が,なんと,約60パーセントオフで売っていたのである。他にもいくつか,かなり買いと思われるペンが,5割から6割引で販売。しかしまったく見向きもされていない。なんてこった。
と,隣でキャラクターものの文房具を買おうとだだをこねる子どもを尻目に,やばい,やばい,と地団駄をふんで大騒ぎして買ってしまったのである。
妻に冷たい目で見られながら。

2012/05/19

疲れ目

疲れ目というと,目がしょぼしょぼすることなのだろうか。
僕の場合は,左目が二重を通り越して三重くらいになると,疲れ目である。別に目はしょぼしょぼしない。
そうなることは,自分でも忘れていた。しかし周りは気づいていた。

2012/04/24

とんかつ神話

風邪を引いたときはとんかつ。
試合の前の日はとんかつ。
疲れたときはとんかつ。
弁当迷ったときはとんかつ。
というわけで,なぜか無性にとんかつが食いたくなったのである。自炊するようになってからとんかつを食べる機会がほとんどなかったというのに,無性に食いたくなったのだ。
そんなわけで,土曜とんかつを食って風邪を治してマラソンに備えたはずだったのだが,
日曜,マラソンで疲れ切ってとんかつを食い,そして寝込み,
月曜,とんかつは我慢して,そして今日,ショウガ焼きで我慢したのである。
おかげで風邪はかなりよくなった。

ところで前橋シティマラソンはあまりに無残な結果だった。毎度のことながら15キロを過ぎてからが地獄である。寒気がするわ,呼吸が小刻みになるわ,次々と抜かれるわ,もういやだと思いながら,走ったり歩いたりしていたところ,沿道で「2時間間に合うよ」と言っている人がいた。正直,もうタイムなんてどうでもいいと思っていたのに,その言葉を聞いた瞬間,「2時間オーバー?だったら走らないほうがましじゃないか」と泣きそうになった。そこで半べそかきながなら走って,狙ったかのように2時間00分,NETで1時間59分というタイムだったのである。
いつも走った後に思う。走り終わって爽快な気分だったためしがない。もう走るか。こんな思いするならもう走らない方がましだ,と思いつつ,こんなに悔しいなら走らないよりましだ,という思いもあったりして,それで,のど元過ぎた頃またエントリーしてしまうのである。たぶん。

2012/03/25

新しい憲法の話

スマホで青空文庫を読んでいたら,「新しい憲法の話」という本を見つけた。
旧文部省が終戦直後に作ったものらしい。
とてもわかりやすく憲法の基本理念が書いてある。
時間は過ぎて,様々な解釈やら不都合な現実やらが出てきたが,まずはスタートを思い返さないといけない。

君たちはどう生きるか-岩波文庫

君たちはどう生きるか(吉野源三郎)。いつだかわからないのだが,買ったらしい。ずっと本棚に置いてあった。
友人が,高校生と読書会をやるという。課題図書が「君たちはどう生きるか」だった。
これはいい機会だから読んでみた。ちまちま読むつもりだった。
ところが,面白い。一気に読んでしまった。珍しく,ベッドに持ち込んでまで読んでしまった。
あるべき生き方というのは,子どもの頃から知っていて,実はシンプルのなのだが,これがまた忘れがちというか目の前にある細々したことに心を奪われて,いつの間にやらその道からずれてしまっていたりする。こまめに初心に返る必要がある。

そして読書会。これもまた面白かった。高校生の感覚と,全く違う。
高校生と感覚が違うのは,成長の問題ではなくて,生きている世界が違う,というのか別の生き物,というのか,そういうものなのではないかと思った。
たとえば,高校生は定義をあまり気にしないが,大人になると「常識」だとか「普通」だとかいうと,それはいったい何を言うのさ,と気になってしまい,定義をいえ,となる。これは大人になると頭が固くなってしまって,議論の土台として使う言葉がしっかり固まっていないと先に進めないからではないのか。などといろいろ考えながら,空を見上げて星空。おひさしぶり。


2012/03/18

経済大国インドネシア

本屋でふと目にとまった。東南アジア,どこか面白そうなところはないか。日本と東南アジアを繋げる仕事ができたらいいのだが,と思っているわけだが,インドネシア,そういえばこの国は面白そうだとずっと思っていたが何も知らない。知っているのはジャカルタとイスラム国というのと人口が多いということくらいだったか。



読んでみると,なるほど新興国は経済成長が見込まれる,といってもそれは一生懸命努力して,政治,政策,経済,外交で悩みつつ成長していかなければならないわけで,将来有望と言われているだけでそれに甘んじていては成長できないまま取り残されてしまうリスクを背負っているのだ。インドネシアも浮き沈みはあったが,なんとか大きな幹ができてきたのでこれから進めるだろうという,自己啓発本のような内容で考えさせられてしまった。
それにしても,スカルノ,スハルト,ハビビ,ユドヨノなんてしばらく目にしなかった。スシロ・バンバン・ユドヨノという名前が面白くて騒いでいたのはいつだったろうか。

2012/03/13

ナンバ歩き

鞄を片手に歩いていると,時々「足引きずってない?大丈夫?」と言われることがある。
自分では足を引きずっているつもりなど毛頭ないのであるが,片手に鞄を持つからバランス悪くなりそのように見えるのだと思っていた。

ところが今日,鞄を持って「うー寒,うー寒」とつぶやきながら歩いていると,いつの間にやらナンバ歩きになっていることに気づいた。
ナンバ歩きというのは,同じ側の手と足が同時に出る歩き方。つまり右手右足が同時に出て,次に左手左足が同時に出る歩き方。普通は右手左足,左手右足が同時に出ているわけだが,相撲取りとか,侍なんかがやっていた歩き方なのである。ひょっとしたら古武道にはまっていた桑田真澄もナンバ歩きだったかもしれない。動物で言えば,ラクダの歩き方であって,馬の歩き方ではないのである。ちなみに,日本人の歩き方がナンバ歩きではなくなったのは明治時代の軍隊のせいだとかおかげだとか誰かから聞いたことがある。つまりは明治を挟んで歩き方がラクダから馬になったわけである。

とにもかくにも,右手右足が同時に出ると,ユラユラ揺れながら歩くことになるわけで,これで足を引きずって見えたのではないかと思った。などと思いながら歩いていたら,妙に気になってしまってナンバ歩きができなくなった後,今度は普通の歩き方までできなくなってしまったのである。むむむ。右,左,とつぶやきながら歩いて帰ってきたわけだが,這って帰らなかっただけ邯鄲の歩みのよりはましだ。しかし,いくら美しい歩き方ができなかったからと言って,普通の歩き方を忘れてしまって這ってきたというのは誇張にしすぎだと思っていたのだが,あながち嘘ではないかもしれないと思い直した。