2011/01/01

年頭所感

年頭所感という言葉を覚えたのは,昨年だったろうか。どこかの社長の年頭所感を読んで,熱い気持ちが伝わってきたことへの敬意を表して,そして忘れないように使ったのだと思う。内容を忘れてしまったが,熱い思いを元旦に宣言した,という,そのことだけは忘れない。

今年は,高崎での生活がスタートする。
責任が一気に重くなる。しかし,それに伴う実力はこれから培わなければならない。
明るく楽しく変わったことがするのが好き。
しかし「歳の割りに落ち着いて見える。」なんて聞き飽きたフォローを逆手にとって,常識的で冷静な自分も演出できるようにしたい。

不思議だ。
どこかで,ある人が書いていた。
ホスピスにいる人が悔いるのは,人とのつながりを大切にしなかったこと。金や名声ではない。

そうでない人もいるだろうけれど。

最近,どんどんコミュニケーションの手段が増えている。
ネットではSNSで近況がわかるし,すぐコメントも出来る。
メールも簡単に出来る。
電話も,ソフトバンク同士ならタダ!
僕はほとんど使わないけれど,スカイプだったらカメラ機能を使って顔を見ながら話も出来る。

先日,引越しをしたときにネットがつながらなくて非常に不便した。
電話が固定電話しかなかったら,メールがなかったら,手紙しかなかったら,いまでは年賀状でしか住所がわからないたくさんの友人や先生方との連絡をとるしかないのかと思うと,それで関係性を維持できるなんて,今よりよっぽど,お互いに信頼しあっていたんじゃないかという気がしてくる。

同じ事を繰り返し繰り返し書くようだけれど,人間関係は,どれだけ連絡しているかという頻度ではないんだろう。あまりに少ないのは駄目なのだろうけれど。

でも本当に不思議。たとえば小学校6年間一緒だった友達,中高6年間一緒だった友達,大学4年間一緒だった友達,なんて考えると,一緒にいる時間が本当に長かったように思う。
よく考えると,一緒にいたといっても,ずっと一緒ではないのだ。クラスが一緒だったのは1年間だけだったり,授業が違ったり,実は大学3年になってからであった人だったり,キャンパスで一緒にいたことはなくて旅行に一緒に行ったことがあるだけだったり。
それなのに,ずっと一緒にいるような気がする。
別れてからも。別の学校や,会社に行って,僕が全然知らない上司や同僚達に囲まれて,僕達が一緒にいたときよりも長い時間をすごしているのに。
そう考えると,長い付き合いの友人達も,実はお互いに信頼しあっているという思い込みをお互いにしているというちょっとした奇跡的な状態がたまたま続いているからまだ友達でいられるのではないかという気がしてくる。
今いる友達を大事にしようと改めて思う。

振り返ると,昨年はちょっと逃げ腰だったような気もする。周囲からの見え方と,自身の見方にかなりの差があり,それに対して適切に対処できなかったからだと思う。
今年はさらに違いが出るだろう。これからはずっとそうだ。

とにかく僕に出来ることは,精一杯頑張ることぐらいなのだろう。
頑張ろう。たまに,いや,時々,うーんと,もっとかもしれないけど,怠けそうだけれど,それでも頑張ろう。息抜きしながら。

昨年,飲み会はご飯や楽しいイベントに誘ってくれた皆さん,今年も誘ってください。
群馬は遠いからいけないというのは,嘘です。気合が足りないだけです。気合が足りないときもあるだろうけれど,気合で乗り切れるときもあるので,ぜひ誘ってください。

で,群馬に来るときには,一声掛けてください。暇なときは電話ください。
アンドロイド携帯の連絡先を統合した際,今までの連絡先が全部一緒になってしまったので,メールアドレスを変えた人は古いアドレスも全部アドレス帳に入ってしまいました。電話番号も。なので,どれが今使える電話番号,どれが今使えるアドレスかわかりません。だから,メールもしてください。なんちゃって。


今年一年,さらに僕らしさをパワーアップします。
みておれ!!

今年もよろしくお願いします。

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