クリスマスイブに何がしたいと聞かれれば,教会にいきたいといいたい。
大晦日に何がしたいといわれれば,お寺にいきたいといいたい。
正月に何がしたいといわれれば,神社にいきたいといいたい。
作法だけ教えてくれればそれでいい。教義も何もいらない。
神秘的存在を信じるものが集まっていることを信じられる場が設定されていて,いつか何処かで神秘的体験ができる時がくると信じている自分がいるだけで十分だ。
ただ神秘は継続的存在ではないのだろうと思う。
その場その時,たった一瞬だけ存在し,振り返ってもそこには,存在したということすら自信をもっていうことができなくなってしまって,いかにも怪しいサイババみたいなおじさんがいるだけなのだ。
恋人と過ごす人は,二人の間に神が降りる瞬間を待ち望んでいる。
教会に行かなくったって,神に出会えるのだきっと。
だが,本当は僕は,教会には行かない。
神は人が作り出したから。物事は共有しようとした瞬間に陳腐化する。
黙って空をみあげていればそれで十分だ。
そこに淀んだ空が広がっていなければ。
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