2010/02/28

Invictus

映画館が近くにあって,しかもメンズデーなんてものがあるから観に行った。

初のクリント・イーストウッド作品。

マンデラとスポーツの凄さを感じた。



オリンピック。長野五輪の時の盛り上がりはやっぱりすごかったし,日韓ワールドカップの時も盛り上がった。スポーツで盛り上がってた時のことを思い出したりした。大衆のエネルギーはすごいのだ。観戦が終わってみんなが仲良くなってしまう瞬間。早稲田の時の野球やラグビーを思い出してしまう。全然知らない人たちと肩組んで歌うたって,腕振って校歌歌っているのだ。
なんとなく高揚する,でもちょっぴり恐怖感もある。この際どいところが好き。

それと,一人の人間というのは,多くのことを抱えていて,その一つ一つは関連しているのだけれどやはり別の話で,特に,他人にはそのひとつひとつの側面しか見ることができないのだ。自分自身でさえそうなのだろう,などとあまりに漠然過ぎて何をいっているのか分からないようなことを感じ取った。
よく総合評価というけれど,そういうものなのだ。

あとあと,限界を超えるという瞬間,確かにある。これ,忘れてた。

感じ取ったものが,ボロボロと思い出せなくなっていく。どこかに書き留めておかなければ。

久しぶりに一人で映画を見ていて,映画をスクリーンの外でみている瞬間と,スクリーンの中でみている瞬間があることに気づいた。スクリーンの枠が見えている時と,見えていないとき。
スクリーンの中にいるとき,僕はそのストーリーの何処かに参加していて,何かを共有している。共有というのは,共に有ると自分自身が思うことにあるのだと思う。

2010/02/27

餅は餅屋

結局,自転車をまた修理してもらった。今度の自転車屋はずいぶん安くやってくれた。
2回目。なんと手のかかる子であろう。

そこのおじさんに言わせると,この自転車は全体的に柔らかいのだそうだ。

大丈夫,大丈夫なんていって,少しくらいおかしくなっても無理して乗っていたため,歪んだ形でチェーンやギアが削れていったとか。

一箇所修理を頼むと必ず他の部分もおかしいことが発覚し,サービスで直してくれる。

なんにせよ,これでしばらくイジメられる。よかったよかった。

めざせママチャリ最速の男。

2010/02/26

蚊がいる。風呂にいる。天井に。ずっと。相変わらず天井に張り詰めた水滴の一つに閉じ込められたまま。琥珀に閉じ込められた虫のように。逃れようと羽を動かしているが,水滴の形が変わるばかりで飛び立てない。

もう死んでしまったかな。そう思いながら,毎日みている。もう動かない。ほらだめだ。琥珀のように閉じ込められてしまうのだ。息だってできないではないか。

そう思っていると,ふっと動くのである。まだ生きているのか。どうやって生きているのだろう。そのうちに蚊のことを忘れて風呂から上がってしまう。

また今日,また思い出した。まだかすかに動いている。流してしまおうか。そう思ってよく見ると,水玉の中に卵を生んでいるのである。

この小さな水滴の中で卵がかえってボウフラになって鬼ボウフラになってかが出てくるのだろうか。

卵が孵るところを見てみたい。

そんなわけで今日も蚊は,天井に張り付いた,それは小さな小さな水たまりで,生死の境をさまよっているのである。

2010/02/25

IMO

IMOといえば,(1)国際海事機関,(2)国際数学オリンピック,(3)国際流星機構,と出てくる。
Wikipediaによれば,そのうしろにIMO(清涼飲料水)とあるのだが,こんな名前のジュースがあったなんて知らない。


ところで,芋のウマさに感動しているのである。サツマイモ,うまいじゃないか。伊達に黄色くないな。


さて,どうやって芋を食べたかというと,鍋に入れたのである。どうってことはない。しかし私はここで哲学した。サツマイモを鍋に入れる。さて,これはかつて見たことがあったのだろうか。


正直言えば,若干の不安があり,ネットでやっている人がいないか調べてしまった。どうも大丈夫だったようなのでやった。それは,鍋の中に食材をすべて入れるのに,サツマイモが溶け出してパンプキンスープみたいになってしまったら夕飯にありつけなくなってしまうわけだし,不安に思ったのは許してもらいたい。
とはいえ,こういう時はだいたい,不安視していな部分にトラブルがあったりする。ほうれん草をしっかり洗わなかったため,毛の生えた黒い粒,すなわちアブラムシで出汁を取ってしまった。だが少量だったこともあり見なかったことにしても大丈夫だった。


そもそも,虫。これは,我々が将来食糧難になったら確実に食べなければならなくなるであろうタンパク源であるのだし,太古より我々哺乳類と地球の覇者を奪い合っているのであるから,この程度のことで物怖じしてはならないのだ。


と,哲学から離れてしまったのだが,このように調子よくなってしまっているのは芋がうまかったからである。ただ鍋に入れただけなのに甘くなるというのは何事だ。一生懸命砂糖を溶かし込んでいるケーキが聞いたらショックのあまりメレンゲになってしまうだろう。


それはさておき,我々がする初体験というのは,いくつかの類型があるのだと考えたのだ。
本物を実際に知っていて,それを創りだすために真似てみるもの。
本物は知らないが,あるということを知っていて,それを作ってみるもの。
全く知らずにやってみるもの。


たぶん,一番楽しいのは二つ目だろう。少なくとも私にとってはそうだ。まあ,よくよく考えると,本物を実際に知っているが,よく見ていないからあることを知っている程度のものだが,なんとなくしらないというのも悔しいので徒手空拳でやってみる,というのが多いのですべてが融合されているのかもしれない。


ここにたぶん問題があるわけだ。


この三つは目的意識から分類した方がわかりやすいかもしれない。
一つ目は,特定のものを同じ作り方でつくるという目的。
二つ目は,特定のものを作るという目的。
三つ目は,ものを作るという目的。


どうでもいい分類だ。




ともかく,今回は,芋を食うにあたって,自分にとって予想外なおいしさを求めてしまったのだ。そこで,見たこともないものを作ろうと思った。そこで芋鍋というアイデアが浮かんだ。だが,鍋に沈んだ芋を口に入れて,どこかで食べたことがあるような気がしてきた。


僕はまだ記憶という袋の中から飛び出せていないのだろうか。



2010/02/24

速度制限

我がママチャリには速度制限があるらしい。
見通しのいい直線,舗装も良好の緩い下り坂,歩行者なし。こんな条件が揃ったらとなりの軽自動車に勝負を挑みたくなるのもわかってもらえるだろう。

先日舗装し直されたばかりの道路だったのでついつい頑張って漕いでしまったのである。ライトが車の前照灯のように明るくなってきた瞬間,チェーンが外れるのである,前と同じように。

指を油だらけにして,チェーンをかけなおし,後は反省してのんびり漕いで慎重に行けばいい。

だが,直線はまだまだ続いているのである。気づくと必死に漕いでいるのだ。そして,チェーンが外れる。

そこでようやく諦めるのだ。

今度自転車屋に行って,スピード出しても大丈夫なように直してもらおう。

だが,よく考えると,ママチャリには若干の不安がある。まず,ママチャリはハンドル操作が難しい。そしてブレーキも効きが悪い。そして,籠の中身は宙を舞う。横になっていたものが縦になり,そしてマサイの戦士のような踊りをはじめて,そして,窪塚洋介のようなびっくり行動を起こすのである。

対処法を考えなければならない。

2010/02/23

攻守

世の中にとって新しいことは攻めるべきだ。世の中にとってありふれたことは守るべきだ。

否。

世の中にとってありふれたことこそ,細心の注意をもって徹底的に攻めるべきだ。

そうだ,ただ単に攻め方が足りない。

吾輩の辞書に守備はない。ナポレオン先生,どうでしょうか。


”かつて希望は社会の前提だった。”
今でもずっと。そうですよ。

2010/02/22

マスクオブ

ぞろめー。2月22日22時22分だどうだ。

2010/02/21

コーヒーを飲んでから眠ると,眠りが浅くなるのだろう,たくさんの夢を見る。朝起きた時が一日の終わりのような気分で,徐々に疲れてもう昼過ぎにはぐったりだ。

喜怒哀楽が激しくなり,ミスが多くなり,ツイてないと嘆いた後に,いいことあって大喜びして,それで疲れて,オリンピックのニュースに涙を流して,勇気をもらって,あまりに作りあげられた話に鼻白んで,よくわからなくなって,耳が熱くなってきて,足の先に汗をかいて,やっぱり調子がわるいからと,お風呂に入って寝てしまうのが一番だ。

でもこうやって寝ると,また長い長い夢が続くんだ。

何故か初夏,かつて出会った色々な友達と,木漏れ日の下の湿ったテーブルに向きあって,笑うことなく長い長い夢を語りあっているのだ。

電気を消す瞬間,オリーブの瓶詰が目に入った。気がついたら手にぶら下げていたものだ。しかもトマト缶と悩んで。

今日はもう寝たほうがいい。

改めて思った。

オリーブの黒い実が,他のものに見えてくる前に。

2010/02/20

実家に帰って,風呂に入ろうと服を脱いで,まあ,男の人ならやってしまいますよね,マッチョポーズ。
そしたら,肩の毛がふさふさになり始めているのである。ついこの間は,首筋まで毛が伸びて,タテガミが生えたと喜んでいたのだが,今度は翼まで生えるとは。

このままいけばユニコーンになれそうだ。
ん,ユニコーンじゃなくて,ペガサスかな。

2010/02/19

乳製品

最近,消費量が多いのである。下手すると牛乳一日1リットルのペースだ。太るだろうなあと思ったり,体臭が乳臭くなってしまうと思ったり,決め細やかな肌になるかもと思ったり,とりあえず牛乳飲んでいれば健康に違いないと思ったり,ホットポーなんてもう覚えている人いないかもしれないけど,もじってホットモーとかいってみたりして,モーちゃん気分でチーズを食べて,さらにヨーグルトまでいってしまうのである。

2010/02/18

試験前日に凧揚げ

時々親と話していて出てくる笑い話である。
小学生の頃,テストの前日に,どうしても凧が上げたいと言って,親が,本当に勉強しなくて大丈夫なのかね,今日までも勉強してないけど,と言っているのに,凧をあげずにはもうなにもできないんだと奴凧をもって家を飛び出した。

風のない日に。

走れども走れども凧は上がらず,静かに勉強していればよかったという思いが頭をよぎったりしたわけだが,ここで負けを認めることは許されない。

とりあえず走った。走って,凧が地面につかなかった時間が数秒あったことを確認した。

いや~楽しかったなあ,と大見得を切って,家に帰り,翌日のテストは当然ボロボロだったのだ。

親が知っているのは,凧をあげに家を飛び出して帰ってきたことだけ。

どっちにしたって,ばかだねえ,という所に落ち着くのである。


まあ,本当は大事でないことがものすごく大事に見えるわけだ。いつだってそうなのだ。

2010/02/17

フォーボー

ベトナム料理のフォーをインスタントで食べた。ずいぶん久しぶりだ。

臭かった。

このにおいがたまらんのだよと思った。

世の中そんなものである。

2010/02/16

後悔先に立たず

後悔というのは,やればよかったと後になって悔やむことであって,やらなければよかったと悔やむことではないのである。

というわけで,ハーフマラソンに申込んでから,ちょっと走ってみたら,3キロも走らないうちに走ってるのか歩いてるのかわからない状態になってしまったからといって,申込んで失敗したかなとは思わないのであるし,申込む前に少し走ってみればよかったとも思わないのである。

まあ,なんとかなるさ。
"Optimism of youth is often underrated"
ある米大手検索会社の偉い人のことば。




2010/02/15

一度限りの人生だ

好きなことをやったらいい。
というわけで,ハーフマラソンにチャレンジすることにした。

2010/02/14

落し物

落とし物を見つけたとき,落とした人が困っているだろうなと思うことは最近少ないように思う。財布は兎も角,手袋や帽子,マフラーなどは落としたところでたいして困らないだろう。

どちらかというと,落とされてしまった手袋や帽子,マフラーがかわいそうな気がする。きっとそのまま薄汚れて捨てられてしまう。

だから,落としている現場を見つけたら,ついつい追いかけてしまうわけである。

ところが財布などは別に追いかけたりはしなくていいのだ。どうせ彼らは戻ってくるから。

そうすると,大事でないもののために走るというなんとも逆説的なことがおこってしまうのである。

2010/02/13

服装の乱れ

スノボのある選手が服装の乱れで開会式に欠席するというニュースを見て,どれどれどんな乱れた服装をしていたのかと探してみたのだが見つからない。これはセーフモードに引っかかるくらい乱れた格好だったに違いない。

探しているうちに出てきたのが,長野五輪の開会式の伊藤みどりの得体のしれない格好と,あけぼのの土俵入りだったのである。

曙以上の服装の乱れとなると,やはり,セーフモードに引っかかるに違いないと確信した。我が国の正装はデブの裸である。

2010/02/12

絵本

本屋によったとき,つい絵本コーナーに寄ってしまったりする。

余分なことを削ぎ落として,針のように細くなったメッセージがすっと胸に刺さったりする。

不思議なもので,子供の頃に読んだ絵本は,いや,大人になってからかもしれないが,妙に大事にしたくなってしまう。そんな絵本は誰にだってあるだろうし,それはきっと人それぞれだ。そして悲しいことにこれはきっと,他の人と共有出来そうにない。その人の子供の頃の心とは,今となってはもう誰も一緒に過ごせない。それだけ僕たちはバラバラに生きてきてしまっているのだ。そんな気がする。

共有できないにしてもいいなと思う絵本はやはりある。

はらぺこあおむし
やさしいライオン
スーホの白い馬
モチモチの木
100万回生きたねこ
ちびくろサンボ
ムーミン
アンパンマン
ぐりとぐら
ぼくを探しに
大きな木
じぶんをみつけたぶぶんひんのはなし
スイミー


ふとおもうのだが,読んで聞かせることがあったとき,泣いてしまうような話は酷だ。


有名なドラえもんの最終話とか,説明しようとする度に涙声になってしまい,まったくもって意味不明だ。たぶん,杜子春とかも今じゃ危ない。

2010/02/11

フリーダムな感じ

ここ数カ月で新しく出会った人が僕を評価するには,僕はフリーダムな感じなのだそうだ。
どうかな。

2010/02/10

思い出

ふと時間ができると,つい昔のことを思い出してしまう。
嘘だなあ。
ふと時間ができたときは,何かどうでもいいことを真剣に考えている。

何かしている時に,ふと昔のことを思い出すのである。突然に。思い出すだけならいい。その場にいるような気がしてしまう時がある。
なぜなのだろう。
どうやっても納得できない,諦めきれない何かがあるのだろうか。でも,辛い時を思い出すのではなくて,楽しい時を思い出すのだ。不思議だ。

感情。
ずいぶんと押し殺して生きているのかもしれない。

好きの反対は嫌いではなくて,無関心なのだそうだ。
そういえば,好きな気持ちが適わないと恨んだり妬んだりする。
何かに対して頑なな態度を取っている時というのは,ひょっとしたら好きかもしれない自分の気持を必死に抑えようとしているのかもしれない。

2010/02/09

長男の性格

長男は王座奪還の使命を生まれながらに背負っているのだそうだ。下の兄弟に親を奪われたという喪失体験,そして,それから奪い返すという体験。リーダーシップがあって,聞き分けが良い優等生になって親の歓心を得ようとするのだそうだ。

残念ながら,私は徐々に道を外れております。

ふらふらっと,人の言う事を気にせずに時を過ごすことが多くなりました。奪うべき王座を見失っているのかもしれません。子供の頃の親の存在のような,大きな存在がどこかにいってしまったのだろうか。

大きな存在。自分の夢だな。バカにされようと,鼻で笑われようと,自分だって冗談みたいにしかいうことができないけれど,道が絶たれそうになると,最後の最後に,NOっていってしまう。

まるで,せっかくバスに乗ったのに,発車直後に大騒ぎしてバスを飛び降りて,自転車に乗って夕日に向かって走っていってしまいそうな,そんな感じだ。

2010/02/08

山,谷

合言葉は,山,谷。子供の頃,秘密基地で遊んでいたときによくいったものだ。あの頃は山といってもお寺の裏山みたいなものか,頑張っても富士山みたいな山しか浮かばなかったのだろう。谷というものが想像できなかったような気がする。

僕が住んでいたところが平野だったからだろうか。

先日のスキーの写真を見ていると,谷というものがよくわかる。眺めていてふと思い出した。谷が美しいと思ったことを。僕の中では不思議な体験だった。いつも山の美しさに見惚れていた。それが,谷に日が差して輝いているのを見ると,そこはまさに陽溜りで,人の生活が見えた。綺麗だと思った。

谷というものに気づいたのは,スキー場が山にあったからだ。山に登って初めて谷の存在に気づき,谷の美しさにも気付けるのだ。

子供の頃,僕は谷の見える高さにまだ登ったことがなかったのだろう。
ようやく今になって,来た道を振り返って,谷が見えたのだと思う。秘密基地がまだ残っているなら,あの時の僕に,自信をもって「谷」と合言葉をいえそうだ。谷を知っているのだから。

2010/02/07

人生において大切なもの

暑苦しさだ。
楽しさだ。
ふつうじゃない人達だ。
そしてそのまわりの常識的な人だ。

自分が腐らない場所にいないとなあ。

尊敬する新渡戸先生の言葉を忘れてはいけないのである。
一人でいると堕落する。

2010/02/06

ミーハー

ミーハーというのは,流行りにすぐ飛びつく者をいうらしい。
さて,僕はミーハーだろうか。
流行りというのは,どういうのをいうのだろうか。
もう流行というのはないくらいに多元化しているのではなかろうか。

なんていって,その表現自体がミーハーだ。使い古された多元化という言葉。

では,流行る前に飽きる。これはミーハーか。

2010/02/05

あら

魚料理に挑戦しようと思い,ブリの煮付けを作ろうとした。スーパーで山盛りのブリがぶった斬られて安く売られていたので,乱暴な切り方が気に入って買ってきたのである。

帰ってからよくよく見ると,アラというものらしい。どうも骨が多く肉が少ない。
あら探しのアラだろうか。

骨が多いアラ。なぜかそういうのを気に入ってしまうのである。

煮付けを作ったところ,結構美味しくいただけた。最後の一切れを食べようとひっくり返したら,目玉つきだった。ぎろっと睨まれた。そして残った汁は,煮凝りになった。

2010/02/04

え,引退!?

朝青龍引退なの。信じられない。

学問に王道なし

学問には,王道がない。奇抜な道しかないのである。
などというと,王道の意味を間違えているといわれてしまう。
だがしかし,あと30年待ってみよう。変わっているかもしれない。
王道の解法というように,定石と同意義で使われることが最近増えてきているような気がする。学問に王道なしという言葉も,王道という言葉の使い方の変化にあわせて意味が変わるかもしれない。

奇抜な道しかないのが学問だったとしたら,どんなに楽しいだろう。


2010/02/03

節分

節分と言って思い出すのは,泣いた赤鬼だろうか。
ふっと頭をよぎると豆をまく力が少し抜ける。
恵方巻きなんて,僕の子供時代には聞いたこともなかった。だから,信じないし,やることもない。

そもそも恵方巻きと太巻きの違いがよくわからないのである。

それにしたって,年齢の数だけ豆を食べるのはだんだんきつくなってきた。いや,食べるのが厳しいのではない。数えるのが大変なのだ。

2010/02/02

日記

果たしてこのブログは日記なのだろうか。毎日更新してはいる。けれど,日記というと,日々起きた事柄を記しているイメージがある。日々起きたことを書いていると言っていいのだろうか。むしろ日々起きたことから思ったことを記しているに過ぎない。

毎日書いていると,徐々に毎日書くことが目的となっていって,本来の目的を忘れてしまう。では本来の目的とはなんだったのだろうか。

わかり易い言葉で,自分の感じたことを,伝えられるようにする。

たったこれだけ。

少し前,ブログの目的は,読みに来てくれる友人に近況報告をするということだった。しかし近況報告というのはなんなのだ。「もうかりまっか?」「ぼちぼちでんな。」みたいなものなのだ。

例えば,星が少なくなったのは,空が汚いからではなくて我々の目が悪くなったからなのだとか,寒いですねというときは,寒いかどうかが問題なのではなく,気持ちを共有するという儀式が問題なのでたとえ寒くなかったとしても寒いですねと答えなければならないのだとか,どうも氷がはるほど寒らしいのだが気づかずにコートを着ていなかったが,それは女子高生がコートを着ていなかったのを見て大丈夫だと思ったからだとかいうとお前は大人だろと言い返されそうだが,ミニスカートにセーターに制服という姿の女子高生がチャリで爆走していても大丈夫なんだから,いいのだ,とか,でもマフラーはあった方がいいのかな,とか,いつもどおりの僕を伝えるには,今日あったことをつらつら書くよりも,思ったことをつらつら書くのが一番なのではないかな,とか思ったりして,いつ見に来ても相変わらずな僕を見つけてもらえればそれが一番嬉しいのである。

もう変わらないのかもね。

2010/02/01

何かがおかしい,どこかがおかしい

もう1月が終わっただなんておかしい。これはきっと時空に割れ目ができてしまったに違いない。

なんていってたら雪が降ってきた。
氷河期に突入かな。マンモス倒すぞクロマニヨン。