2009/09/21
ピエドラ川のほとりで私は泣いた
ピエドラ川のほとりで私は泣いた。ピエドラ川にはこんな言い伝えがある。ピエドラ川に落ちたものはみな石になって沈んでゆく。私の涙も石になって沈んでゆくだろう。私の心の中身も全て紙に書き出して,ピエドラ川に捨ててしまおう。全て石になって沈んでゆき,私の心は晴れるだろうから。
なんてことが書いているようで,ちょっと違う。
パウロコエーリョといえば,アルケミストとか,ちょっと希望が持てそうな小説を書くというイメージがある。
が,今回はちょっと違ったような気がする。こちらの感じ方が変わっただけかもしれないけれど。愛というテーマについて,特定の異性を愛する愛というものと,人々を愛する愛の間の葛藤のようなものを,男のほうが持っているのに,主人公の女性のほうは両立を信じてその彼をもてあそびつつ愛しているというとんでもない話なのだ。
というのは言いすぎであって,女性に対するバイアスがやはりかかりすぎている。
こうやって人間は真っ直ぐものが見えなくなってゆくのだ。
二つの愛が両立するということは,仏教の生命を根元でひとつの大きな源流があると考えるのと同じように感じる(といいながら,仏教がこんなことをいっているのか本当は知らない)。ものごとの本質は,根元に大な源流があって,その源流を辿るとさらに大きな川が流れているみたいなことなのだろう。
全てが湧き出す泉みたいなところ。
頭のてっぺんだったら,噴水みたいに見えるのかなあ。
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