2010/04/07

Stockholm syndrome

ストックホルムシンドロームというのは,かつてストックホルムの銀行立てこもり事件で,人質が犯人に親近感を抱いてしまって事件解決が難航してしまったということから,緊張した状態にいると変な相手にも依存してしまうことを言うのだろう。

このような言葉を出すまでもなく,自分自身は現状を肯定したがる。いま,自分がいる場所から見ると,その周辺はよく見えるし,そこに人がいる以上,ひとつの社会が出来ている。自分が普通に生活を出来ている以上それもまたひとつの人生にも見えてくる。

だがいったん外に出てみると,客観視することが出来て,ずいぶん見えていなかったのだなあと思う。

僕はずっと東京付近で生活してきて,外から見たことがなかった。たった数ヶ月,東京を離れただけで,しかも週末はしょっちゅう帰ってきているというのに,冷めた目で東京を見てしまう。やたら人が多いとか,その割につながっている人はそれほど多くないとか,やはり都会というのは幾重にも重なってやたらおおきくみえるのだけど,実際にはその重なった層同士はくっついておらず,はらはらとはがれてしまうような関係に見える。

都心にしかないものは,最先端のもの。だが,その最先端に触れられるかは,都心にいるかだけでは決まらない。後は面白い人との出会いか。だが,それもまた,都心にいるかだけでは決まらない。

人の生活というのはどこにいようと基本的には変わらない。それはひとつの真理だ。

明日の自分のために今日の自分を自己否定するというのはなかなか難しい。
東京を客観視できたといいながら,結局群馬を客観しできなければ東京を客観視できたとはいえないのだと思う。どこかに立たなければ物は見えないけれど,立っているその場所を客観視できないのだ。

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