ふっと,思い出した。ずっとずっといろんな話が頭の中を流れていって,ふと,ある人の言ったことを思い出した。
だから君が変えるんだろうに,なんて言われたことを。
学生の頃ある先生と,食事をしながら話をしていた。なんとなく思ったのと違った世界が広がっていて,ほんの少し失望したところがあったのだと思う。僕は色々なことを夢見ながらここに来たわけですが,実際に来てみると思ったよりも古臭くて,これからこんな時代がやってくるだなんていってたのはもっともっと先のような気がしてきましたよ,そんなようなことを言ったような気がする。
即座に言われたのが,「だから君が変えるんだろう」。一瞬の間もなく返されたのが驚きだった。だが妙に納得した。これからこんな時代がくるだとか,未来の話だとか,色々されているけれど,誰かが一歩ずつ進めているからそんな未来が現実にやってくるわけで,今を見て,悲観的な将来を慮って愚図愚図言っているのではなくて,変えるべき努力するのだったかなあと思った。
きっと僕はあんまり普通じゃないのだと思う。それでかもしれないけれど,変わった友達も多いのではないかと思う。こんなこというと,友達に怒られてしまうかも知れないが。
変わった人たちと一緒にいると,刺激をたくさん受けて,面白いし,相手を尊重しながら自分を主張できるような気がして,自分が成長しているのではないかと感じることが多い。だから,最近はやりのダイバーシティなんて言葉を使って,いろいろな人とやっていくのが大きな成長を生むのではないかと考えていた。
だが,僕にとってのダイバーシティは,変わった人たちと付き合うことではなくて,普通の人と付き合うことなのだということにふと気がついた。つまらないとかよく分からないとか,そいうことをいって心を閉ざすのではなくて,そういう人達とこそうまくやっていくのが,僕にとっていろいろな人と付き合うことになるのだ。
自分にとって都合よく解釈してばかりいてはダメなのだ。
外を見ようとばかりしていると,中を見ることが出来ていないし,上を見てばかりいても,下を見ることができない。実は結構難しい。
だが,心響く瞬間というのは,やっぱり,自分が興味をみている空にあることが多い気がする。それを好きだというのだろうから,当たり前かもしれない。
ふと,あるネットの番組を見ていたら,「人はだれだって素晴らしい人になろうとしているでしょう,出来る限り,なかなか難しいけど」と普通のおばさんが言っていて,妙に感動した。そして,そこからズルズルと僕の心の中でいろんなものが出てきて,さっきの話をふと思い出したのだ。
2 件のコメント:
会社でダイバーシティーと言うと、
女性社員の活躍をもっぱら意味していて
何だか好きになれません。
(あたしの中で、「女性の活躍推進」という言葉の独り歩きに偏見があるからですが)
でも、taroさんのダイバーシティー論を読んでこれだ!!と思いました。
「ダイバーシティーだ!」と構えずに
自然に様々な人と関わって自分も成長していきたいとあたしも思います★
男女や国籍に限らず,一人ひとりに個性あるもんね。変に区分けせず,自然が一番!
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